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無くすのも運命ですか?

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親から貰った母子手帳を無くしたことに気づきました。
心当たりがあるのは数年前に大掃除したことです。

断捨離を決めて必要なものや不必要なものを分ける際に必ずチェックしてから捨てるようにしていたので母子手帳を捨てるということは決してしてません。
見つけたらすぐに大切な場所に保管してたのですが、恐らくその時も見つからなかったと思います。だいたいあの辺りにあるはずと思ってました。

どこかのケースの中にあるだろうと思い込んで数年探すことをしませんでした。
部屋も物が少なくなりましたが、再び断捨離をする際に隅々まで調べ尽くしたのですが母子手帳が見つかりません。

病気は幼い頃に一通りして、生まれた体重も親から教えられているのですが、生まれた正確な時刻や成長記などもう見ることができないと思うと辛いです。

気づかないまま捨ててしまったのか
これは私にとって不要なものだったのか
何度探しても見つかりません。

今まで無くても平気だったものが探してもないと分かったときに固執してしまうのは欲でしょうか?
母子手帳はいつまで持っていたらいいのでしょうか?

捨ててないはず、と思う限り諦めることができず、無いことを受け入れられません
断捨離しなければよかった、と思う反面
断捨離しなければいけなかったとも思ってます。

後悔してるけど、でもそうするしかなかった場合、どのような心持ちで乗り越えたらいいですか?

それとも母子手帳って幼い子の間だけが必要で成人した以降はそこまで重要ではありませんか?
調べたら母子手帳紛失は新米ママさんの相談が多くて、成人した以降の大人が自分の母子手帳を紛失して困っているというのを見ません。

再発行も新米ママさん方用で、さすがに成人した以降の人の分まで記録は残してませんよね

身の半分を削られた思いは大袈裟ですか?
小さい頃の写真は置いていたので、捨てなくて良かったと思ってます。

でも、いつかは捨てるのだろうなと思ってます。
物を失うのも運命ですかね?

確認して分別してたのに、断捨離始めた当時に戻りたいです


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私は自分の母子手帳は子供の頃に見たような微かな記憶があるくらいですね。もちろん今は持っていません。
どのような予防接種をしたのか知りたいときは、病に対する免疫があるかどうか採血して調べることができますから心配しなくていいと思いますよ。
母子手帳に執着するよりも、お母さんへの感謝の気持ちを大切にしましょうね。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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運命と縁起

お母さんから貰った母子手帳を紛失されたという事で、気を落とされているご様子。
大切な記録でもありますが、成人してからは、必ず必要というわけではなく、何とも漠然とした喪失感ですね。

さて、キリスト教と違い、仏教では運命という言葉は使いません。
全ての結果はそうなった原因があるので、因果、もしくは縁起と言います。
これに照らし合わせて考えるなら、ものさんが断捨離を始めたのが(はっきりはしていないようですが)原因で、その結果母子手帳を紛失してしまったのです。

最初から全てが決まっていると考える運命よりも、全ての結果には原因があると考える縁起の考え方の方が、ともすれば神様のせいにしてしまうよりも、自分の行動に責任が持てるように思われます。

産まれた時間も、成長の記録も、お母さんの頭にはちゃんと残っているはずです、これを機会にお母さんとの話に花を咲かせるのも良い思い出になるのでは?

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おきもち

浄土真宗本願寺派 忠専寺 住職 同宗派 特別法務員 同宗派 布教使 ...
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質問者からのお礼

ありがとうございました。
あれから似た方の質問を探したら
家事で全てを失った人を思うといいなどで被災された方のどうすることもできない避けれない出来事と比較すると、まだ自分は悲惨ではないと思いたいのですが…

場所を決めて大事にしていたのにあるものがないというのは不安になりますが、いざというときは採血で調べてもらいます。
大人になったときに親から渡された子供通帳はあるのに母子手帳はないって…

自分事になると悲観的になってしまうけれどそれぞれの事情で持ってない人もいると思うと、暫くは落ち込みますが、それでも生きている人達がいると思うと生きていこうと思います

凹んでてなにいってるかわからないかもしれませんがありがとうございました

「運・運命」問答一覧

家族の怪我が続く

以前主人について、離婚すべきかご相談させて頂いたものになります。 その際は心温まるお言葉を誠にありがとうございます。 その後数ヶ月我慢して日々を過ごしていたところ、土曜日出勤で私が仕事中子供を保育園に預けている間、主人が仲間たちと遊んでいたところ、階段を踏みはずし、脛と膝を粉砕骨折、救急車で運ばれ2ヶ月入院の大怪我を致しました。 ちなみに骨折入院中に主人は私と同じ会社を退職しました。2ヶ月ほど前に、私には相談も無く、独立するということで会社に退職届を出していました。 それもこれもやはり神様の思し召しか、独立は時期早々かと思いましたが、私は何も言わずに、毎週3歳の子供を連れて片道2時間かけて面会に行きました。 その退院後、主人も心を入れ替えたのか、家事や育児にも協力的になり、出かけても家に毎日帰ってくるようになりました。昨年の7月頭骨折、9月頭退院の出来事です。 そんな年が明けた矢先、おととい、 姉の旦那が小学生の子供2人と家族4人でスケートをしていたところ、くるぶしを骨折、本日から急遽入院、手術することになりました。姉の家族は私から見ても羨ましいくらい夫婦仲も家族仲もよく、何も悪いことは見当たらなく、夫婦2人3脚でやってきたので、1ヶ月程度の入院ということで姉が大変ショックを受けています。 また、正月に実家に帰った際、姉の家族を見送った翌日に私が帰ろうと駐車場から出た際に、私の父が階段から転倒したらしく、骨折まではいかなかったのですが足を怪我しています。 私の身の回りで、しかも父に当たる人が立て続けに足を怪我をしているのですが、何か良くない運気があるのでしょうか? ちなみに以前のご相談で記載させて頂きました私の母は、3年前の私の出産時末期の白血病だったのですが、私の祈りが通じたのか奇跡が起こり、今年はお正月料理を今までで一番盛大に準備し、私の子供と遊べるくらいまでに回復しました。 私と姉は元気ですが、立て続けに試練が来るのでかなり不安になっています。 偶然でしょうか? 何か断ち切る方法があれば教えてください。

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「運」って何ですか?

初めまして。疑問に思っていることがあります。 「運」という言葉は現代人は皆当たり前のように使う言葉です。「ギャンブルで勝ったから運がいい。」「ソシャゲのガチャで狙いが全然当たらず運が悪い」といった感じに。 このように「過去に起こった出来事」に対して運がよかった、悪かったということに対しては特に疑問はありません。 しかし、「今の俺は運がいいから次も勝てる」「私は運が悪いから何をやってもうまくいかない」といったように、あたかも「運」を自分の才能や能力のように語ることに疑問を感じます。 どんなに過去の結果がよかったとしても、これから振るサイコロの目が出る確率は変わることはないはずです。しかし人は「運」で確率が変わるかのように信じ、験担ぎをしたり神社にお参りに行ったりします。 私の中で「運」という物は以下のどれかかなと思います。 1:「運」は人が持つ才能や能力の一つであり、良い行いをすることで鍛えることができるもの。 2:「運」は天上の存在が与えるチャンスであり、良い行いをすると巡り合いやすくなる。 3:「運」なんて存在しない。全ては過去の結果であり、行いで変化するものでもない。 私は「運」を信用していない人なので3だと思っています。 お坊さんの方々は「運」というものを何だと考えるか知りたいです。

有り難し有り難し 5
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運命とは

私は周りから見たら、外見才能知能、そんなに恵まれてたら何もかもがイージーだろと言われるように産まれました。 しかしそんな人間は周りから見るといるだけで「ずるい」許せない存在であり、あらゆる人(家族友人教師)から酷い迫害に遭い幼少期からストレスで病気だらけ、頼る人もいず、彼氏も友達(養育環境による鬱で)も自殺し義務教育すら終えられず11年も引きこもりまともな就労経験もなく15年もうつで餓死寸前で入院、差別され続け何で生きているのか分りません。 大人になっても外見のせいで異性にとんでもない目に遭わされ同性には嫉妬、やっと結婚し昨年息子を産み激しいトラウマの末、家族と夫にまで虐待されていた事を40年経って気付き絶縁し自分は悪くなかったと知り一瞬で鬱が治りました。 姉二人は普通の人生です。親戚に誰も似ていない才能があり美しい私「だけ」家族中から虐待され、三歳で殴られ死ねと言われ去年生きている間にと改名しました。 唯一優しかったのは祖母であり、その長女が「この子は産まれてきて良かったという顔をしている」と言い、彼女には何か不思議な力があったらしく私に純白のドレスを小学校入学式に贈ってくれたりもしました。 その通り私は不思議なものを見たり聞いたり奇跡的に助けられたりを何度もしました。物理的にあり得ないことが起き周りの人の方がそれを見、知っていました。 妄想などと診断された事もなく、大抵のスピリチュアルには懐疑的で幽霊や恐ろしいものを見たことは一度も無いのです。一番強烈な体験を信頼できるお坊さんに話したら「私はそんな体験はないけれど真実だと思います」と逆に驚かれました。 親は身近で知りうる限り最も愚かで尊敬できる所のない人間でした。私はたった一人ボコボコにされながら家族を助けてきました。もう十分だろうと思います。彼らが罪を悔い改める時間が残されているといいですが。 神仏がおられるのなら(私は確信しましたが何の神かは分かりません)真に救われるべきは自らの弱さに対峙せず、それを抗えぬ幼い我が子にぶつけた彼らの方だと思います。 夫は酷いモラハラを大変反省してくれ何もかもこれからだと思いましたが、夫はおそらく軽い自閉症であり息子は遺伝したのかもっと重く知的障害も併せ持っているようです。 私の人生よりも、生きる力をくれた息子を不幸にした事が許せません。 運命とは一体何なのでしょう?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ