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死ぬまで怠けたい。

回答数回答 3
有り難し有り難し 58

死ぬまで怠けたい。
絶対に頑張りたくない。苦労したくない。
鬱ではない。希死念慮もない。金を稼ぐのがダルい。働きたくない。天から金が降ってくれば良いのに。
輝ける人生は欲しい。しかしそのために苦労や努力するのならそんな人生は要らない。苦労や努力するのなら成長もしたくない。
怠け続ける人生は悪いことではないと思う。
怠けるのは自分の願望であることは間違いないから。しかし最高の理想は怠けながら、楽をして社会へ価値を提供して輝くこと。
いずれにしても怠けられないなら生きる意味がない。

やりたいこと?ある。けど何をどうして良いか判らない。行動しようと考えると脳に負荷がかかり行動できない。怠けられなくなるかも知れない。

ひたすら怠けてれば何かしたくなる?
いつまで続くんだか。

どうしたら良いでしょう?
本心丸出し、剥き出しの本音をありのままに書きました。頑張るのが美徳、甘えるなみたいな価値観の人は回答をご遠慮ください。
よろしくお願いします<(_ _)>


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの人生です

拝読させて頂きました。はい、そう生きることができるならば宜しいと思います。
あなたの人生ですから人に危害を加えたり人をおとしめたりしないならばそのような生き方も良いのではないでしょうか。
人それぞれに生き方は自由ですからね。

あなたが選択した考え方や行動や生き方に応じてその後の人生も変わってくるかと思います。自ずと人とのご縁も変わってくると思います。

自分の人生ですからね。自己責任が原則です。

どうぞあなたが思い選択して判断なさった人生を思い切り生きて下さいね。

再度拝読させて頂きました。例えばですけれども人の歴史は古くからあり様々な人々の生き方があります。ですから今までの様々な方々の人生について興味のある方々の人生を知ってみてはいかがでしょうか?歴史上の人物や偉人だけではなく今まで語られている名もなき人々の生き様も興味深いものもあるかと思います。
またここhasunoha には様々な生き方の方々の体験談も沢山出ています。その中であなたが興味関心を持ったり賛同できる生き方や考え方もあるのではないでしょうか。
そのような生き方をもとにあなたがどのように選択なさっていくかです。

またこの世の世界は必ず苦楽はセットになっています。気持ちの面もあるかもしれませんけれどもこの世では楽だけでは成り立たないと思います。
いかがでしょうか?じっくりと考えてみる価値はあるかと思います。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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雑感になりますが…

こんばんは。亀山純史と申します。私からは回答というよりも、雑感を綴らせていただきます。あなたのこれからの思考にお役に立てればと存じます。

①「絶対に頑張りたくない。苦労したくない。」とのことですが、そうなるにも努力や頑張りは必要になるのではないでしょうか。

②「いずれにしても怠けられないなら生きる意味がない。」となれば、「生きる」とは具体的に何なんでしょうか。単に死なない状態を「生きる」というのであれば、怠けられるかどうかは問題外になりますし、何か生産的な状態を「生きる」というのであれば、それは「怠ける」とは相反する状態でしょう。

③「怠け続ける人生は悪いことではないと思う。怠けるのは自分の願望であることは間違いないから。」とのことですが、私たちの願望の多くは、仏教では煩悩として否定していくべきものです。ですから、「自分の願望」が「悪いことではない」という結論に直結するには、もっと検討を加えるべきでしょう。

④「最高の理想は怠けながら、楽をして社会へ価値を提供して輝くこと。」における、社会に提供する「価値」とは何ですか。私にはよくわかりませんでした。

⑤最後に一言。仏教では両極端に走らない「中道」を生き方として説きます。頑張りすぎることも、そして怠けすぎることも、仏教では嫌います。私自身の経験から言えば、たとえば、仕事上で、何か良いアイディアはないかと考えているときには思いつかなくても、その思考から離れたとき、不意に良いアイディアはやってくるような気がします。このような経験から私は、「何事も一方に偏っていてはダメなんだ」ということだと思っています。

以上が私からの雑感になります。はじめにも申しましたように、少しでもお役に立てればと思っています。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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「怠」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「怠」という字は、神頼みする心という意味であるようです。

祈り、願うだけ、動機だけで願望が叶えば、それはそれで皆幸せになれるのですが、そうではないのがこの世の理でもあります。

因縁ありて結果あり、因縁なくして結果なしであり、結果を出すには、やはりそのための因縁(原因と条件)が必要となるのであります。

もちろん、過去世における因縁によりては、今世では一見出なさそうな結果が出ていることもあるでしょう。それは、今世における因縁も来世で結果が出ることもあるというところとなります。いつ結果が出るかは分からないところはありますが、いずれにしても因縁が調わなければ決して結果が出ることはないのであります・・

善き結果へと向けては、それ相応の善き因縁が必要となります。

何もしなければ、やはり、その因縁を集めることは難しいことになるのは仕方のないところとなります。

いかに思い描く結果へ向けて因縁を調えるべきか、そこを少し見直して参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。

「勝手にしてください」という主旨の御回答以外にもなにか質問を見ての気づきなどありましたら、別視点のなんでも良いので気づいたままの感想や私にアドバイスしていただけることを教えて下さい。

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