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死ぬまで怠けたい。

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死ぬまで怠けたい。
絶対に頑張りたくない。苦労したくない。
鬱ではない。希死念慮もない。金を稼ぐのがダルい。働きたくない。天から金が降ってくれば良いのに。
輝ける人生は欲しい。しかしそのために苦労や努力するのならそんな人生は要らない。苦労や努力するのなら成長もしたくない。
怠け続ける人生は悪いことではないと思う。
怠けるのは自分の願望であることは間違いないから。しかし最高の理想は怠けながら、楽をして社会へ価値を提供して輝くこと。
いずれにしても怠けられないなら生きる意味がない。

やりたいこと?ある。けど何をどうして良いか判らない。行動しようと考えると脳に負荷がかかり行動できない。怠けられなくなるかも知れない。

ひたすら怠けてれば何かしたくなる?
いつまで続くんだか。

どうしたら良いでしょう?
本心丸出し、剥き出しの本音をありのままに書きました。頑張るのが美徳、甘えるなみたいな価値観の人は回答をご遠慮ください。
よろしくお願いします

2019年1月27日 7:03

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの人生です

拝読させて頂きました。はい、そう生きることができるならば宜しいと思います。
あなたの人生ですから人に危害を加えたり人をおとしめたりしないならばそのような生き方も良いのではないでしょうか。
人それぞれに生き方は自由ですからね。

あなたが選択した考え方や行動や生き方に応じてその後の人生も変わってくるかと思います。自ずと人とのご縁も変わってくると思います。

自分の人生ですからね。自己責任が原則です。

どうぞあなたが思い選択して判断なさった人生を思い切り生きて下さいね。

再度拝読させて頂きました。例えばですけれども人の歴史は古くからあり様々な人々の生き方があります。ですから今までの様々な方々の人生について興味のある方々の人生を知ってみてはいかがでしょうか?歴史上の人物や偉人だけではなく今まで語られている名もなき人々の生き様も興味深いものもあるかと思います。
またここhasunoha には様々な生き方の方々の体験談も沢山出ています。その中であなたが興味関心を持ったり賛同できる生き方や考え方もあるのではないでしょうか。
そのような生き方をもとにあなたがどのように選択なさっていくかです。

またこの世の世界は必ず苦楽はセットになっています。気持ちの面もあるかもしれませんけれどもこの世では楽だけでは成り立たないと思います。
いかがでしょうか?じっくりと考えてみる価値はあるかと思います。

2019年1月27日 13:22
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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして9年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラー...

雑感になりますが…

こんばんは。亀山純史と申します。私からは回答というよりも、雑感を綴らせていただきます。あなたのこれからの思考にお役に立てればと存じます。

①「絶対に頑張りたくない。苦労したくない。」とのことですが、そうなるにも努力や頑張りは必要になるのではないでしょうか。

②「いずれにしても怠けられないなら生きる意味がない。」となれば、「生きる」とは具体的に何なんでしょうか。単に死なない状態を「生きる」というのであれば、怠けられるかどうかは問題外になりますし、何か生産的な状態を「生きる」というのであれば、それは「怠ける」とは相反する状態でしょう。

③「怠け続ける人生は悪いことではないと思う。怠けるのは自分の願望であることは間違いないから。」とのことですが、私たちの願望の多くは、仏教では煩悩として否定していくべきものです。ですから、「自分の願望」が「悪いことではない」という結論に直結するには、もっと検討を加えるべきでしょう。

④「最高の理想は怠けながら、楽をして社会へ価値を提供して輝くこと。」における、社会に提供する「価値」とは何ですか。私にはよくわかりませんでした。

⑤最後に一言。仏教では両極端に走らない「中道」を生き方として説きます。頑張りすぎることも、そして怠けすぎることも、仏教では嫌います。私自身の経験から言えば、たとえば、仕事上で、何か良いアイディアはないかと考えているときには思いつかなくても、その思考から離れたとき、不意に良いアイディアはやってくるような気がします。このような経験から私は、「何事も一方に偏っていてはダメなんだ」ということだと思っています。

以上が私からの雑感になります。はじめにも申しましたように、少しでもお役に立てればと思っています。

2019年1月27日 19:55
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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...

「怠」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「怠」という字は、神頼みする心という意味であるようです。

祈り、願うだけ、動機だけで願望が叶えば、それはそれで皆幸せになれるのですが、そうではないのがこの世の理でもあります。

因縁ありて結果あり、因縁なくして結果なしであり、結果を出すには、やはりそのための因縁(原因と条件)が必要となるのであります。

もちろん、過去世における因縁によりては、今世では一見出なさそうな結果が出ていることもあるでしょう。それは、今世における因縁も来世で結果が出ることもあるというところとなります。いつ結果が出るかは分からないところはありますが、いずれにしても因縁が調わなければ決して結果が出ることはないのであります・・

善き結果へと向けては、それ相応の善き因縁が必要となります。

何もしなければ、やはり、その因縁を集めることは難しいことになるのは仕方のないところとなります。

いかに思い描く結果へ向けて因縁を調えるべきか、そこを少し見直して参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

2019年1月27日 14:42
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。

「勝手にしてください」という主旨の御回答以外にもなにか質問を見ての気づきなどありましたら、別視点のなんでも良いので気づいたままの感想や私にアドバイスしていただけることを教えて下さい。

「自分に甘い・怠け・厳しくしたい」問答一覧

好きなことすら習慣化できないです

昔から物事を自主的に長く続けられた試しがありません。計画的にこつこつやる、ということが出来ず何かと後回しにしがちです。 趣味で小説を書いています。ネットで公開したり、同人誌を作り年に1〜2回イベントに参加しています。 最初の何年かはそこそこ順調にやれていました。同人誌作りという慣れないことへの慎重さもあったからだと思います。 しかしこうした活動を続けているうちに、元々の悪癖が出始めました。適当な塩梅にする加減を知ってしまったことで原稿の執筆を後回しにし、〆切直前に慌てて書き上げて入稿。次の本こそはスケジュール通りにと次回のイベントを定めるも、前回はあれくらいで何とかなったしと執筆に取り掛かるまでがまた遅れ出す……という悪循環にはまりました。 あの時さっさと書き始めないと間に合わなくなることは分かっていたのに、それでも手に付かなかった。集中できなくて、ちょっと書いてはやった気になって後回しにしたと、〆切前に半泣きで連日徹夜をする羽目になります。 そうなってくると執筆自体がなんとなく面倒くさいことに思えてきて、〆切のない作品を進んで書くことまで減ってしまいました。ではやはり〆切を作れば、とイベントに参加するとまた悪循環が始まる。 恐らく、物事を習慣化できない自分は、自主的に計画的にこつこつやらなければならない小説には、一番向いていない人間でした。 ですがこうして10年もだらだらと続けてきてしまったので、また書き始めた頃の楽しさを味わいたいという未練があります。それにもし、今度こそスケジュール通りに執筆できるようになれば、他のことだって習慣化できるようになるかもしれないという漠然とした希望もあります。こうしたことを何となく望んでいることもやっぱり良くないのかもしれません。 人が初心に帰るためには、どんなことをする必要があるのでしょうか。この三日坊主で面倒をすぐ後回しにする性質を直すことは、やはりもう無理なのでしょうか。 同人現役者にこの手の話をすると、しばらく遊んでやる気が出た時にやればいいじゃんとか書き始めればなんとかなるみたいな流れになりビール追加で終わってしまうので、しょうもない話ではありますが良ければ助けていただきたいです。

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怠惰な発想を克服する

以下、長文となります。 わたしは、怠惰な人間です、 最低限の効率で、及第点を取れればいいや、という発想が深く身体に根付いており、継続的な努力ができません。 そのくせ、理想に近付きたいという欲求も強いため、怠惰な自分と、理想の自分が激しく乖離しており、悩んでいます。 大学時代は、まだ、性格のコンプレックスや将来不安をエンジンに、仕事への漠然とした憧れをアクセルにして努力できていたので、乖離は小さかったようです。 成功の指針は、わかりやすく、経済的成功でした。資本主義社会なのだから、稼いだ人間こそが成功者であり、強者なのだ、というわけです。 ところが、いまは、①コンプレックスも緩和され、②仕事もある程度流れは掴めたので憧れ自体はなくなり、③金を稼ぐ、ということにも強い動機を見いだせなくなりつつある自分に、気づいています。 金を稼ぐ、という点についてですが、もともと、タワマンに住むとか、シャンパン開けてお姉ちゃんをはべらすとか、ぜんぜん興味ありません。 ふつうに欲しいもの買うぶんには、今の給与で全く問題ない、ということに、気づいてしまった。千円足らずで色々なものが美味しく食べれて、清潔な環境が整備されている日本て、本当に、凄い国だと思います。 FXで稼ぐやり方も、だいたいわかってしまった。トレードも、いったんわかれば、実業で稼ぐより、効率がいいということも、わかってしまいました。 そういうわけで、最近は、ただただ怠惰です。 でも、最低限の効率で仕事こなして、空いた時間はベッドでゴロゴロするのが至高の人生だ、というまでは割り切れないのです。 やっぱり、専門性を追求して、人脈を広げ、実業で成功している人はかっこいい。今の私のように、上から降ってきた仕事をサバいてるだけの働き方は、ラクだけど、このままだと、やはり先々後悔するような気もする。でも強い原動力はなく、身体が動きません。 バリバリ仕事している方の動機付けって、一体何なのでしょうか? 最低限の効率で及第点を取れればいいや、という怠惰な発想って、やはり、どこかエラーがあるとおもうのですが、どう克服すべきなのかも、わかりません。 今後の生き方に、何らかの示唆をいただければ幸いです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 16
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休み癖、サボり癖が治らない

はじめまして。今まで怖くて誰にも相談できなかったので、誰かに聞いていただければ何か変わるかも、と思い質問させていただきます。 タイトルの通り、サボり癖、休み癖が治らず困っています。 中学1年生の時から不登校になり、中学は殆ど行けていません。高校も通信制の高校で登校が自由だった為課題のみを提出しに行くような状態でした。 その後専門学校に進み、その学校は遅刻欠席に厳しいところでしたが数ヶ月に何度か休んでしまうという状況で、今はパートとしてサービス業に就いて3年目になります。 最初の頃は休みもなく働けていたのですが、ある日今日は行きたくないな、と思い突発でお休みを取ってから、ここでも休み癖、サボり癖が付いてしまいました。 月に3日は必ず休んでしまい、最近は多いとき月に5日など休んでしまいます。 おやすみの電話をするたび、社員の方が大丈夫?お大事にね、など声をかけてくださるのが申し訳ないです。社員の方も、もうずる休みだと気付いていると思います。 休んだ日はもう次からは絶対に休まない!と思うのにふとまた目が覚めると今日は行きたくないな…と思い休んでしまうことが多いです。 パートの為、お休みするとその分お給料が引かれることも分かっています。ただ仕事に行くとなるととても気持ちが重くなるのです。行ってしまえば、早退もせず普通に働いて帰ってこられるのに。行くまでが辛いです。 この休み癖、サボり癖は、職場の人間関係も悪くない為、また実家に住んでいるから衣食住は安定しているし大丈夫、と心のどこかで思っている私自身の甘えだということも、なんとなく気付いています。 でも、同じように実家で暮らしているのに毎日きちんと仕事に行けている人もいるのに、なぜ私はそれができないんだろうと凄く悲しくて、情けなくて自己嫌悪が凄いです。 仕事を終えて家に帰ってきた母に、体調不良で休んだと嘘をつくのももう嫌です。全て自分の甘えが悪いことも、理解しています。それでも変わることができなくて困っています。 支離滅裂な文章ですみません。でも、誰かに聞いてほしくて投稿しました。 よろしくお願い致します。

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"辛い" が癖になってる

特に大きな苦しいことは無いはずなのに ちょっとだけ嫌だったことをなんとなく自分の中で大袈裟にしてしまって 勝手に誰よりも苦しいふりをしてしまいます。 死にたい とか 自分が嫌い って 思っていたいんです "今日は楽だったな"みたいな自分が明るい気持ちになったのに気付くと いや、私は普通の人と違って何事にもネガティブに考えなくちゃいけない 死にたくなっていなきゃ私は心がおかしい子だから って修正したくなって そうするんです。 "今日楽しちゃったってことは明日はとっても辛いんだろうな" とか。 でも そのせいで失敗しちゃうこともあるんです。 ずっと暗くて否定的な考えでいると、 よく人を傷つけるような発言をしてしまったり強く当たってしまったり。またそれで自分を嫌いになれます。 今日 また 人を傷つけちゃった とか 話ができる人は身近にいません。 いないというより、したくないに近いです ずっと苦しく居たいので、あまり話しません。 誰かに話したら 私は苦しくなくなってしまう 本当はちょっとでも苦しんでる私に気付いて欲しいけど 心配なんてされたら 幸せになってしまう 幸せな私なんて 私は愛せない 少し考えて 私は救われたいのかな 今までの苦労を誰かに気付いてもらったとき こんなにこんなに頑張ったんだねって して欲しいのかな と思いました。 なら 誰かに話して肯定されたら 私は苦しく居たくなくなるのかな? とも思いましたが なかなか今の私には想像できません。 辛かった思い出を引きずって生きて その辛さが今まで心を満たしてきた 最近は少し環境がかわって 辛いこともそれ程頻繁に思い出さなくなった でもその代わり なぜか心がからっぽな感じがして 私には 友達もいて 好きなこともあって もしかしたらもう本当は幸せで救われているのかもしれない そう思うことはできても 確かに私の心がその思考を許しません。 死にたいとか自分を愛してないとか この思考のどこまでが本当の気持ちででどこまでが嘘の気持ちなのかとか、いろいろわからなくなっていました。 私は苦しみたいままでも いいのでしょうか? 周りを傷付けずに 自分だけ苦しいふりを続けることは できるでしょうか? すみません、要点があやふやでよくわからないですが、自分なりに頑張りました。読んで下さるととっても嬉しいです。

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