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子供への対応について

回答数回答 2
有り難し有り難し 80

小学生になる男の子を育てています。
毎日、同じ注意の繰り返しで疲れています。
(食事中は左手もテーブルに、帰ったらまず宿題をする、など)

注意の内容は本人とも話し合って、何故必要なのか理解してくれています。
しかしテレビを見ていたり遊びに行ったりして、よく忘れます。
子供なのだからこういうものだと頭では分かっているのですが、この注意をしなければならないのが一体いつまで続くのかと思うと、終わりが見えずうんざりしてしまうのが正直な気持ちです。
私もできれば怒りたくはないです。
言い方が悪いのかと優しく、丁寧に繰り返したりもします。

しかしやはり、同じことの繰り返しに、どうしても苛々して、心底嫌気が差します。
子供からは母ちゃんは怒ってばっかりやな、と言われる始末です。
思わず、誰のせい?と意地悪く言い返してしまいます。

注意してやる必要性は分かっています。
でも時々、無性に虚しくなって、この繰り返しに意味はあるのだろうかと落ち込んだりします。

この繰り返しに対して、親はどういう気持ちでいればいいんでしょうか?
虚しくなったり、落ち込んだりした時につい子供に強く当たってしまう情けない親です。
とりとめのない質問で恐縮ですが、何か助言をいただければありがたく思います。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

うちも似たもんです。。

おはようございます。
自分の子のことは棚にあげて、あえて回答します。

その1、いいとこ。
子どもさんのいいところも10個言えますでしょうか。
いいところも知ってる上で、足りない部分を伝える。
子どものダメなところばかり頭の中を占めて伝える。
伝わり方、同じじゃないです。

その2、困り感
カバキチ様は困ってる。
だけど子どもさんは困ってるでしょうか。
宿題先にしなくても、食事マナー悪くても命までは奪われない。
子どもさんが困ってること、聞けてますか?
自分の気になることばかり、押し付けていませんか。

その3. 会話。
注意以外で、子どもさんとの間でどんな言葉のやり取りされてますか、
しょうもない話とか、どうでもいい話とか、雑談ちゃんとしてますか。
大事な話もそればかりだと飽きられる。
カバキチ家の家訓として
他のことはできなくても、帰ったらまず宿題!
そんな言葉の重み、ありますでしょうか。

その4 できた時アプローチ
できてない時に注意→怒ってばかり。
できてることが嬉しいわぁ→僕のすることでお母さん喜んでくれた!
できて当たり前という発想もあるけれど、
左手、宿題以外の行動で、これ出来てて嬉しいわぁ!
頑張ってくれてありがとね。
というリアクションとったことありますか。
なければ、実行してください。

必要性は分かるけど、繰り返し繰り返し。
学校で勉強、家でも勉強。
意味あるのかな? 時々虚しくなる。

もしかして子どもさんもカバキチ様と同じ思いを持ってるかもしれません。

他にもあるけど、何か参考になれば幸いです。

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おきもち

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「変えるべきは自身ではなく歩む方向」「時間とお金の使い方」「向きが変われば...
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お子さんは、甘えているだけです。

聞いているのかどうかわからなくても、小さい頃から繰り返し言われてきた事というのは、子供の中にすりこまれているものです。
自宅という、まだ甘えが許される空間だから、なんとなく言う事を聞かなかったりしてしまうだけで、きちんとした場所で、フォーマルな振る舞いが求められる場面では、小さい子でも、その時の教えが活きてくるものです。

注意された事を、すぐに修正しなければならない、という行為自体が、男の子にとっては少し恥ずかしいものです。私には、「母ちゃんは怒ってばっかりやな」という言葉は、照れ隠しに聞こえます。
そのうち、母親に甘えてくれる事も減っていきます。なので、今のうちに甘えさせてあげて欲しいな、と思います。

目に見える反応が返ってこない事で、不安になるかもしれませんが、逆に、ちょっと目を離した隙に、いつの間にか大人になっている事もあります。

男の子というのは、そういうものです。

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佐山拓郎
浄土宗の佐山と申します。 浄土宗教師の資格を得たあと、10年間のサラリー...
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質問者からのお礼

奏庵さま、ご回答ありがとうございました。自分の子のことは、の一文にとても親しみを感じました。子供のいいとこやできた時に注目するのは注意以上に重要な事だと拝見して思い至りました。どうしてもできていない部分ばかりを見てしまいますが、こら!と言うよりも、やったね!と喜ぶ方が親としても嬉しいですし、楽しいです。
『自分の気になることばかり、押し付けていませんか』お恥ずかしいですが、その通りだったと思います。子供のためというよりは親としてどう見られるか、ばかりに注意がいっていたと思います。
子供に対しての視野が狭かったのだと気付きました。もう少し引いてみてやればいいとこも可愛いところもたくさんあるのに…これでは子供もしんどいですね。子供も虚しい。自分の事ばかりでした。
ご回答に肩の力が抜けて楽になったような気がします。ずっと吐き出してもいいものかと悩んでいた事でもあったので、優しく受け止めていただけて、その点でもとてもありがたいです。
この度はどうもありがとうございました。

佐山さま、ご回答ありがとうございました。どうしてすぐになおしてくれないの、と怒ってばっかりだったので、目から鱗でした。自分に置き換えてもよくわかります。自分の気持ちばかりが念頭にあって、言われた子供がどう感じるのか、という視点が抜けていました。勉強になります。
甘えている、という事にも、家ではリラックスできているんだな、と思うと、叱るばかりの親でいいのか?と落ち込む部分もあったので、子供にそういう場を提供できていると分かって、嬉しくなりました。ご回答を拝見して、生まれた時から今日まであっという間に過ぎていった事を思い出しました。道中は長くてもある日振り返ればやはり光陰矢の如しなのだろうなと考えると、注意は注意として、家の中ぐらい、とおおらかな気持ちになれます。
この度はどうもありがとうございました。

泰庵さま。申し訳ありません。先のコメントでお名前を間違えてしまいました。失礼致しました。

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