お骨を拾うより子どもの昼寝を優先してしまいました
先日、悪いことが続いている、悪い方位に引っ越してしまったせいだ、何を信じて生活していけばよいのでしょうか、と質問させていただきました。そして現実を受け止め心を鍛えて乗り越えることをお坊さま方からアドバイスいただきました。
私の心の持ちようとして、上記の質問と関連があるかもしれないので、また質問させてください。
2年前、祖母の葬儀に参列した後、火葬したお骨を拾うことより、当時一歳だった息子を自宅で昼寝させることを優先してしまったことをとても後悔しています。
祖母とは私が結婚して家を出るまで同居していたため、幼い頃は特に、共働きだった両親に代わり、育ててもらいました。結婚してもすぐ近くに住んでおり、毎日のように顔は合わせていました。
当時から私は子どもの睡眠を特に重要視していました。発育に絶対的に大事だと思っているからです。でも、今考えると、なぜ祖母の人生最期のそんな大事なときにすら息子の昼寝を優先してしまったのか。よく考えれば1日くらいきちんと昼寝させなくても良かったのに。
そしてその後悔をし始めたのは、下に生まれた娘が、呼吸の病気でよく眠れないからなのです。なぜ私が一番大事にしている睡眠に関わることで娘に病気が出てしまったのか。原因を考えると、祖母のお骨のことを思い出しました。大変なことをしてしまったと罪悪感でいっぱいです。
祖母のお墓は現在住んでいる自宅のすぐ近くなので、子どもの散歩がてらできるだけ立ち寄るようにしてはいます。
祖母に悪いことをしてしまった、娘に病気が出たのはそのせいではないか、と思っています。もう取り返しはつきません。祖母へ謝罪の気持ちを伝えるにはどのようにしたらよいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お祖母様を祟り神の様にしないでください(勝手な妄想で)
ハッキリ申し上げないと伝わらない恐れがあるので失礼ながら言いますが、お祖母様は全く関係ないでしょうそれは。
ご自身の罪悪感とご自身の都合の悪さ(お子様の病気)をご自身の勝手な理解でつなげて考えているだけです。そう考えることで自分は納得できるという自分の都合でしかないのではないですか。
お祖母様が骨を拾ってもらえなくて恨んでいるというのですか?家相の件も同様ですが、全てご自身の妄想であり勝手な意味付けです。
(遺伝的要素や家庭における生活習慣病的要素があるならそういう意味で関係あるとは言えるでしょうが)お祖母様とお子様の病気に因果関係はありません。
病気になる時はなるのです。先天的な要素で病気や障害をもって生まれることもあります。それは医学的な分野になりますが、受精時の細胞分裂における偶発的なミスやDNAに傷がついていたとか様々な原因があってのことでしょう。
もちろん科学や医学がもっと進まないと人知ではわからない部分は多く、それが生命の神秘でもあるでしょう。
でもその神秘的なまだわからない部分があるということと、そこに呪いや祟りやバチがあるとかいうことは全く別です。
普通にしていれば不幸は起きない、頑張っているのだから不幸は起きないはずと思っているならそれが大きな誤りです。
誰にでもいつ何時でも病気・事故・天災などなど都合の悪い事は起こり得ます。もちろんそれは原因があってのことです。
善い事をしていれば幸せしか巡って来ず、悪い事をしたら不幸がもたらされると考えるのであれば、それはそういうことをもたらす神を想定する宗教においてのものです。仏教はそうした神のような絶対的な存在を否定します。
すべてはあらゆる関係・条件・環境の相互依存・相互作用でなりたっていると考えるのが仏教の縁起(縁によって起こる)の考えです。
仏様とは神様ではなく、その縁起の法則に目覚めた人間です。人間が仏になったのです。なのでいくら先祖供養をしても自分に都合がよいことがもたらされるわけではありません。
ご先祖も仏様も「人はみな老い、病み、死ぬのだよ、みな関係して成り立っているのだよ」という私たちの都合を超えた真理の法則を教えてくれるのみです。
その教えを聞くからこそ私たちは自分の都合を超えて自分が不幸と判断してしまう物事にも立ち向かっていけるのです。
お子さんのことと、おばあさまのことは切り離してください。
おばあさまからみれば、ひ孫さんが健やかに成長することを望むことが一番だと思います。ですから、自分の遺骨を拾い上げてくれなかったからと言って、あなたを恨むでしょうか?
あなたの変わるに他の親族の方々が、ちゃんと収骨されたはずです。ゆえに後悔をされることは、返っておばあさまも気にされていると思います。そんなことを心配しないでと。
下のお子さんの原因は、あまりにも睡眠に対する意識が強すぎりるのかもしれません。もちろん、病院には通っておられると思いますので、収骨のこととは切り離して考えた方が良いでしょうね。
おばあさまには、常に感謝の心を忘れなければ、それがご供養になります。