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因縁果

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いつもお世話になっております。
以前近くのお寺さんのご住職から「因縁果」という言葉を教えていただき、改めて考えてみたときにきちんと理解ができてないと思い改めてお聞きしたのですがやはりちゃんと理解ができているのかどうかわからず、あまり何度もお聞きするのもためらいがあり、私の解釈であっているのかどうかを教えていただきたく質問させていただきました。
因縁果とは「すべてのことには因(原因など)や縁(ご縁など)があり果(結果)につながる。その繰り返しである」と解釈しているのですが…
もし訂正等がありましたら教えていただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

網の目の様に

ご相談拝読しました。

専門的な観点からになるとまた違うのかもしれませんが、基本的にはその理解で問題ないのではないでしょうか。

ただしそれには続きがあって、因縁果は無数・無限に網の目のように広がっていきますから、「これが因でこれが縁で…だからこれがこうなってこうなる」と言う様に一部分を切り取って見てしまうと思い通りにできる部分もありそうに感じるかもしれませんが、実際は始めも終わりもなくつながっているので思う通りにはならないのですね。

これが因でこれが縁と限定的に実体視できるものでもなく、ある面ではこれが因だけどそれはあの果でもあって、またそれが縁としてあれがこうなって…という風に。

でもそれは人知が追いつかないというだけであって、どんなに不思議に思えることや納得のいかない事や都合の悪い事も、わけのわからないもの(因果関係を無視して起こる様なもの=呪いとか祟りとか引き寄せとか…)ではないということは言えますね。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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毛玉をほどくことは諦めろ。ってことで

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人生の転機になる「一転語」をあなたに。 ハスノハで返信しきれない内容...
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質問者からのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
回答にも違いも見えて私自身考えさせられることがありました。奥の深いものではあると思いますが少しずつ自分の人生の中に取り込みながら
生きていきたいと思います。
ご回答いただきましてありがとうございました。

「因果応報」問答一覧

過去の過ちと因果応報への恐れ

過去の過ちから日々不安で押し潰されそうです。 一年前に下手をしたらクビになるようなことをしてしまいました。 私は最近因果応報という言葉を実感しており、それを強く確信する度に過去の過ちが広まり、自分に返ってくるのではないかと不安でいっぱいになります。 また、あろうことか ・その当時に口の軽い同僚2人に酔った勢いで話してしまった ・その行為を共に行った社外の相手と喧嘩別れをしている上に証拠写真を持たれている 以上の2点から会社にいつかバレる可能性が十分にあります。 今のところそういった脅迫や噂は立っていないのですが、何事も因果応報だと思い、いつか明るみに出るのではないかと毎日怯えています。 また、最近になって守りたい存在ができ、その為にも今の職を失うことはしたくないです。 そして、その存在のお陰で日々幸せを得ているのですが、いつか来るかもしれないしっぺ返しを恐れて幸せを素直に喜べません。 忘れた頃に因果応報がやってくるのではないかと思うと、忘れることも出来ません。 最近不安になると胃腸を痛めるようになってしまいました。 また、今ある幸せを感じられないことに辛さがあります。 今は昔のことを大いに反省し、誠実に生きることを心掛けています。 本題です。 罪を帳消しにしたいとは言いません。 いつか罰は下るだろうと常に考えています。 ですが、いつまでも続くこの不安から解放され、今ある幸せを心から感じてみたいのです。 こんな私はどう心がけ、考え、日々生きれば良いのでしょうか。 ※内容をかなりぼかしていてすみません。 この過去の行為は、人を傷つけたり、社会に迷惑をかけるような内容ではありませんが会社の規則に反した行為です。実際どうなるかはわかりませんが、注意とかでは済まないレベルではあると思います。 また、会社での立場は確実に無くなります。

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回答数回答 1

苛まれ続けるのならば死を選びたい

この世に因果応報はないのでしょうか? 私は学生の時に集団いじめを受け、卒業してからも今までずっと容姿のことで批判されたり、外出先で出くわそうものなら大声で悪口を叩かれるので一時期は買い出しすら恐怖でした。 やはり、そういった出来事が自分の中で積み重なって性格も歪んでしまい、大学生活はずっとひとりぼっちで、国家試験も落ちて、現在は毎日泣きながら予備校に通っています。 極めつけに、私をいじめていた女共は今彼氏もできて、友達に囲まれて幸せそうです。 現在は遠く離れた土地にいますが、腐れ縁っていうのですかね、以前ばったり会って、それはそれは幸せそうでした。 私は信頼できる友達も、相手もいないのに。 ふとした瞬間に、涙が溢れます。 予備校にいるときに泣きたくなかったのに、この間はついこぼれてしまいました。 常に、幸せそうな人を見ては憎んで心の中で貶してしまう自分が嫌で、日頃から出来損ないの社会不適合者と、自分を罵ってしまいます。 正直言って、恋人が欲しいとは思っていません。ですが、いじめてきたやつらは幸せで私はどん底にいることが悔しくて、情けないですし、 街で仲の良さそうなカップルをみると、微笑ましいより、憎しみが湧いてきてしまいます。そして「私はそういう相手がなんでいないんだ」とか、普段なら考えないことも考えてしまいます。 多分、恋人が欲しいというのは、女に生まれてしまったことによる生存本能だとわかっているのですが、今の状況が惨めすぎてそんなつまらないことに囚われてしまっています。 この様な劣等感に、苛まれ続けない良い考え方があれば教えていただきたいです。

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回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ