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因縁果

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有り難し有り難し 30

いつもお世話になっております。
以前近くのお寺さんのご住職から「因縁果」という言葉を教えていただき、改めて考えてみたときにきちんと理解ができてないと思い改めてお聞きしたのですがやはりちゃんと理解ができているのかどうかわからず、あまり何度もお聞きするのもためらいがあり、私の解釈であっているのかどうかを教えていただきたく質問させていただきました。
因縁果とは「すべてのことには因(原因など)や縁(ご縁など)があり果(結果)につながる。その繰り返しである」と解釈しているのですが…
もし訂正等がありましたら教えていただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

網の目の様に

ご相談拝読しました。

専門的な観点からになるとまた違うのかもしれませんが、基本的にはその理解で問題ないのではないでしょうか。

ただしそれには続きがあって、因縁果は無数・無限に網の目のように広がっていきますから、「これが因でこれが縁で…だからこれがこうなってこうなる」と言う様に一部分を切り取って見てしまうと思い通りにできる部分もありそうに感じるかもしれませんが、実際は始めも終わりもなくつながっているので思う通りにはならないのですね。

これが因でこれが縁と限定的に実体視できるものでもなく、ある面ではこれが因だけどそれはあの果でもあって、またそれが縁としてあれがこうなって…という風に。

でもそれは人知が追いつかないというだけであって、どんなに不思議に思えることや納得のいかない事や都合の悪い事も、わけのわからないもの(因果関係を無視して起こる様なもの=呪いとか祟りとか引き寄せとか…)ではないということは言えますね。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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質問者からのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
回答にも違いも見えて私自身考えさせられることがありました。奥の深いものではあると思いますが少しずつ自分の人生の中に取り込みながら
生きていきたいと思います。
ご回答いただきましてありがとうございました。

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