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厭世観と希死念慮

回答数回答 1
有り難し有り難し 61

読んでいただきありがとうございます。

未来に楽しみがあるから今がどれだけ苦しくても頑張れる、そういう方って結構多いと思います。ですが私にはどうしてもその未来が明るいものにも楽しいものにも思えないのです。幼い頃は自分が10年後に生きている姿すら想像できない、生きていても幸せな未来な筈がないと考えてしまい、未来というものに希望を持てた事がありませんでした。

厭世観と希死念慮が昔からありましたがどうすればその二つを消すことが出来るのでしょうか。その二つを消すことが出来れば未来が良いものだと思えるのでしょうか。

お知恵をお貸しください。よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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何にも感じないで生きていられるほうが変なのだ

人間は考える葦であるという有名な言葉をお聞きになったことがあると思いますが、考えない葦人間もけっこうたくさんいられます。食べることと物欲が優先している自己中心的な人は、他者に対する想像力が欠けてしまっているので、自分が他人を苦しめる原因の最たる存在であることに気付いたりしないで、自分が真っ当だなどと思い込んで他者を蔑ろにしたりするのです。 しろさんのように、自分の在り方を考える能力を持っているのは、いいことなんです。もう死にたいと言うような気持ちを一度も抱いたこともない人間など真っ当な考える葦ではないと私は思っています。
今の日本や世界の状況に置かれていて、未来に明るい展望を持ってる人間がいたとしたら、よほど能天気で想像力のない人ですね。虚無的になるからこそ、その地点から何かを創造していこうという自覚と意識を持って、自分のペースで生きて行くようになれるのではありませんか。私は83年も生きてきましたが、もう早く死にたいなんて思うことが未だにあります。これは子供の頃から恵まれない絶望的な環境、生きることの困難な貧困のなかで生きてきた所為ですが、その空しい気持ちは、未だに私を捉えて離してくれない。考える葦の根底には悲観や虚無感があって、だがやっぱり自分や誰かのために何かをするのだ、という思い直した気持ちが、今日と明日を支えてくれるのだと思います。人生は苦であるというインド思想の前提は嘘ではなく、苦の自覚から何かを行なって生きてきたのが人間の在り方だと思います。自分を他人を見るように少し離れたところから見直してみましょうね。

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有り難し
おきもち

山内 宥厳
楽健法と楽健寺の天然酵母パンを普及しはじめてかれこれ半世紀になります。楽健...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
現在の日本や世界などを見ていて明るい未来はないと思うことの方が普通なのかもしれません。死にたいなどという考えを持ったことがない方のほうが少ないのは確かにおっしゃる通りだと思います。

毎日「もう生きていたくない、社会に合わせることが出来ない自分には価値が無い、生きているだけで迷惑をかけている、存在する理由などどこにもない、消えてしまいたい」という気持ちに襲われます。
明日何か少しでも良いことがあるだろうかなど目先のことに希望を持ったり楽しみにする事も出来ないのです。それをなんとか無くせばほんの少しでも息がしやすいかもしれないと思ったのです。
質問内容はそういった内容でした。混乱しながらの質問でしたので言葉足らずで申し訳ありませんでした。

自分や誰かのために何かをすると言う気持ちを持つことは私も大切だと思いますし客観視を出来るようにもしていきたいと思います。貴重なご意見をありがとうございました。

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