実母の死
こんにちは、今年の5月にアメリカ人の義母の死について相談に乗って頂いた者です。 その節は大変お世話になりました。
今年は災難続きで12月はじめに今度は日本にいる最愛の母を亡くしました。 高齢でしたが健康そのものの母でしたので、家族も親戚も驚きでいっぱいでした。
連絡を受けて5時間後には飛行機に飛び乗り日本へ向かうことが出来、意識はないものの母に会えたし、病院で数日間過ごし苦しむことなく亡くなる母の最期看取る事が出来ました。
葬儀も済みアメリカに戻ってきましたが、まだ母が亡くなった実感が湧きません。
姉は母が亡くなって次の日に、少し元気になって布団から少し身体を起こして無言で吸い口で水を飲む母に高い壁越しから見かけて「ママもうそんなに快復したの?!」と思わず声をかけた夢を見たと言っていました。 なのに私は全く母の夢を見ないのです。
母が亡くなる2日前に電話で話しをした時の最後の会話は、「夫が私や子供達の事を大事にしてくれること、子供達が健康で健やかに成長していること、三月に日本に子供達を連れて日本に遊びにいくよ、私はアメリカで幸せに暮らしているから」みたいな事を話したのですが、母が夢に出てきてくれない事が悲しくて毎朝起きてはガックリしています。
まだ四十九日も来ていませんが、母ともう一度話してみたいのです。私たち家族は大変仲良しでしたが、私の所にも夢に出て欲しいのです。
私の事を溺愛してくれた母が夢にも出てきてくれないのは何故なのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
夢よりも正しい対話法があるでしょう?
お母さんを亡くされさみしいお気持ちでいっぱいであられると思います。
謹んでお悔やみ申し上げます。
あえて現実的なお話をさせて頂きます。
一つ、お姉さんが、また夢を見てお母さんと話をした、とします。
一つ、意外にも、あなたのご主人も夢をみてお母さんと話をしたとします。
一つ、この私が夢を見てお母さんとお話をした、とします。
実はそこには、お母さんの意思や命はありません。
厳密には、お姉さんや夢を見た人が、お母さんに対するいうに言われぬ気持ちが「夢という形で現れ」て自己消化しようとした、脳内の働きであると、冷静に分析するべきではないでしょうか。
あなたは何も夢という形にこだわらなくても、現実的に自分の中のお母さんと対話をして、解決させたい思いを解決されてゆけばよいのです。
それが供養という死後、内なる故人と対話するための正当な自己対話です。
なぜお姉さんをうらやむ必要がありましょうか。
お姉さんが夢を見たということは、お母さんに対するいうに言われぬ気持ちが、ただ夢の中で投影されたという事に他なりませんし、それ以上でもそれ以下でもありません。
あなたはあなたが主体性を持って、あなたの心の中で内なるお母さんと対話を続けてゆくべきではないでしょうか。
どうしても、対話をしたい、夢に出てきてほしいならば、その方法として、
①写真などをみて、小さいころから、生きていた母と話したこと、してもらったこと、迷惑をかけたこと、うれしかったこと、ためになったことを一つ一つ思い出す。
②意識はなかったけれど、生あるうちにお母さんと会うことができた、その時に伝えるべきことがなんであったかを考える。
③今貴女が、お母さんに話しかけたい事があるならばそれを思う。
やがて、起きていてもあなたは夢想状態になります。
話すべき事や思い起こされることが、無限に表れるはずです。
寝ている時にも、夢に出てくるかもしれません。
ですが、夢は夢です。
あなたの夢の続きの真実は、大恩あるお母さんと、今後、いままでとは違った形でかかわってゆくことが始まったばかりです。
お母さんの願いを心の中で聴くのです。菩提を弔う、といえる生き方をなさってください。
悲しい時も、悩む時も、喜ぶ時も
ガーデンさま。お久しぶりです、なごみ庵の浦上哲也です。
お義母さんに続き、実母も亡くされたとのこと、非常に悲しみの大きな1年となりましたね。私も今年は大切な方を複数失う年でした。お気持ちがわかるとは申せませんが、私なりの悲しみを抱いています。
お母さまが亡くなった実感が湧かないとのことですが、それは当然のことです。私は12年前に父を亡くしましたが、すでに僧侶であった身で死に近い立場であったにも関わらず、完全に受け入れられたのは丸2年後でした。
夢についてですが、私の父は突然死でしたので、お別れをすることが全く出来ませんでした。ですので私も、夢でいいから会いたいと思いました。でも父が夢に出てきてくれたのは、だいぶ時間が経ってから1〜2回だけです。
でも、夢になかなか出てきてくれないからといって、父が私を思う気持ち、私が父を思う気持ちが小さいというわけではありません。
同じように、ガーデンさんが母親を思う気持ち、お母さまがガーデンさんを愛する気持ちが少ないというわけではありません。それは心にとどめておいて下さい。
ガーデンさんとお母さまには何年の歴史があったのでしょう。30年以上の歴史があるのです、そうそう短期間で受け入れられるものではありません。じっくりと何年でも時間をかけて、ゆっくりゆっくり受け入れていってはいかがでしょうか。お母さまは、時に悲しみ、時に悩み、時に喜ぶガーデンさんを、暖かく見守って下さっていると私は信じています。
夢からさめる
ガーデンさん、こんにちは。お母様の訃報、お悔やみ申し上げます。お坊さんとしても、やはり・・いつも人の死は突然だ・・と思い知ります。
まだ四十九日が経っていませんが、お母様ともう一度お話ししてみたいのですね。ガーデンさんの夢に出て欲しいのですね。
お母さまが夢にも出てきてくれないのは何故なのでしょうか。
連絡を受けてから帰国して、お母様の最期にまみえた。あなたがちゃんとお母様の息を引き継いでいることの証として、「寝ている間の夢に出てこない」。そう私は思います。
(「夢に出る」=深層意識・潜在意識がどうの・・と言われると分からなくなるので置いときます。)
夢とは、なんでしょうか。
寝ているときに見るものでしょうか?夢からさめれば現実で、夢からさめても夢・・ということは無いのでしょうか?
あなたは実感がない、とおっしゃる。ガーデンさんは今「実感がない、という夢のなか」にいるのではないでしょうか。お母様が出てこないから毎朝がっかりする・・という夢。「ママもうそんなに快復したの?!」という夢を見られない・・という夢。
もしガーデンさんがほんとうに夢を見たいのなら、あなたがまず夢から覚めることです。
「(妹の夢の中には出てきてくれたのに、溺愛してくれた)私(の夢の中には出てきてくれない)」という夢から。
ガーデンさん自身のまわりの人々はやさしいはずです。きっと手助けしてくれるはずだと信じています。
「夢幻の如し」
ガーデン様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
義母様のご逝去から半年あまりにて・・実母様のこと、誠に心からご冥福を祈念申し上げます。
人の命は、朝露の如しと申しますが、誠に儚いものでございます・・「儚い」も「人べん」に「夢」と書きますね・・
かの有名な敦盛の一節・・
「・・思へばこの世は常の住み家にあらず 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし 金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる 南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり 人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ・・」
まさに人の世の儚さを「夢幻の如く」とし、諸行の無常なることを思う内容となっております。
平家物語の冒頭・・「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の世の夢のごとし」と、ここでも「夢の如し」と出て参りますね・・私たちは「無常」をやや感情的・哀愁的に捉えてしまうことも多いですが、仏教におきましては重要なる法印でございます。誠に諸行の無常なることをしっかりと理解して、悟りを目指すための仏道に入る因と致したいところでございます。
「夢」は所詮「夢」でしかありません。当然に現実の出来事ではありません。これは誰もが理解できることであります。でも、仏教では、現実の世界もまさに「夢の如し」として表現致します。
この場合の「夢」とは、「実体の無いこと」の喩えとして引用されることとなります。
私たちの現実の世界においては、そのものを永久永遠なるものとして成り立たしめている実体がどこにも見当たらないこと、そのものをそのものたらしめている自性がないことを、実体が無い、つまり、「空」と申しますが、実体が無いがゆえに、掴まえよう、捉えようとしても、結局、何も掴まえられない、捉えられないこと、これをまさに「まるで夢のようだ」として表すのであります。
夢は結局、幻でしかなく、またこの世の現実も「夢幻の如く」であることを理解することが、仏教においての「空」を理解する上でも大切なこととなりますので、この機会に少しだけでもお知り賜れましたらと存じております。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
向井真人様
ご回答ありがとうございました。
おっしゃる通り私はまだ母の死を受け入れられない夢から目覚めていないのかもしれません。
明後日は心配してくれる女友達が何人か集まり一緒にランチでもしようと声をかけてくれました。
春には又日本へ行ってお墓参りをするのでその頃には又気持ちも落ち着いていると良いなと思います。 ありがとうございました。
丹下覚元様
夢にこだわらず写真を見ながら母と対話すると言うのは考えても見なかったので大変参考になり、少し心が軽くなった気がします。
今までは日本との時差を気にして母とスカイプや電話をしていましたが、これからは24時間いつでも母に語りかけることが出来るのですよね。
本当にありがとうございました。
浦上哲也様
住職様の亡きお父様との経験談をありがとうございます。
私の悲しみに寄り添って共感してもらえたことに又涙涙でした。
娘達の幸せを何よりも考えていた母です。 私がこうして異国の地で幸せにしているのをいつも自慢に話していたと親戚からも聞きました。
まだまだ母を思い出して泣く事もあるでしょう。 でも母に語りかけて少しずつ母の死を受け入れていけたらと思います。
ありがとうございました。
川口英俊様
お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。
あれから数回母の夢をみました。
私がメソメソしている隣に母が座って優しく慰めてくれているものでした。
あっという間に逝ってしまった母ですが、彼女としては本望だったと思いますし、
私も今は心がだいぶ落ち着きました。 春に又日本へ行きお参りします。
川口様の温かいアドバイスありがとうございました。
ガーデン