どうしても身内や騙して金を取った奴らが許せない
はじめまして。私は方親で母親は精神病で入院。小さい頃から親戚中たらい回しにあいました。
心の中が憎しみでカウンセリング受けても憎しみが増すばかりで。身内には、税財産を取られました。
私が二十歳の時に肝臓ガンで亡くなった祖母には、親戚にだけは、絶対通帳から権利書は預けたらダメって口が酸っぱくなるくらい言ったのですが私の気持ちはこれっぽっちも伝わらず
「みく 以上に沢山彼奴にはしてやっている。お前に引き次ぐお金は母親の分だ。それに、散々金は今までしとるから金を取るわけないだろ」と言われたが、わたしが親戚たらい回しに会った時肩身の狭い思いや家政婦状態。仕事が終わらないとご飯食べさせてもらえず身内からのいじめに苦しみました。気狂いの子と・・・。親戚の子らは、幸せそうでした。祖父母に言っても我が子の言葉しか聞き入れず私は、より一層孤独をかんじていました。後で知ったのですが私を預かったら月15万も祖父母達は渡していたそうです。
親戚は、祖父母の前では、凄く良い人を演じていました。
結局生まれ育った本家の土地家財産を全て取られました。土地は借金まみれになり売ったそうです。本当が嘘かはわかりません。祖父母から親戚は土地大きな家を建ててもらってます。財産を取った人の息子が警察に務めていて訴えるにも私には、一円も手元に入らず。それからはもっと地獄で泥水を飲んでホームレス状態で今やっと3年前旦那と結婚しました。お金がないので式も写真も撮りませんでした。
あんだけ散々言ったにもかかわらず親戚に、通帳権利書実印を渡した祖母がどうやっても許せないのです。悔しくって悔しくって彼奴らは生きている。私が苦しんだ全てを味わって欲しいっと日々考えてしまいます。四国に育ち神社仏閣をみじかに感じながらいたので 呪わば穴二つ重々分かっていても絶対に、許すことができないのです。
私が名目上跡取りでしたが私側の先祖と縁を切りたいのですが可能ですか?いい思い出が一つもない元実家。
大昔は良くお墓掃除をしてましたが今になっては、先祖供養したくもありません。
このような状態から脱け出すには、どうしたらいいのか?どうか教えください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私がそのクサれ外道どもの寝込みを襲います
※この男は質問者のガス抜きをし、柔軟性を養うためジョークを多用した助言を致します事ご了承下さい。
全くふざけた奴ら!許せん!風邪が治ったら一肌脱ぎます!天罰を下す手伝いをさせて下さい、ひどい奴らめ!ぜひ三人で煮込み…じゃない、寝込みを襲いましょう。
拙僧めが、旦那と共謀して裏口から侵入して玄関の鍵を開けまする故、吉良…じゃない、彼奴らの家に討ち入り、奪われた金のありかを聞きだしましょう!
ただし、条件が。事前にTV局・新聞・警察に予告宣言しておいて欲しいのです。
「服役覚悟でお坊さんと主人の三人でキャッツ・アイのレオタード姿で忠臣蔵討ち入り珍強盗をしますので新聞のトップ記に載せて下さい」と交渉してください。
トップ面でひと旗あげれば、この珍事件を通して不正が暴かれ、あなたの恨みが晴れるかもしれない。モチロンその為にも、器物破損等は絶対になりませんし、彼奴や猫一匹にでも危害を加えれば罪が重くなりまする。
服役期間が長いと私もhasunohaで回答できなくなってしまうので、即日釈放無罪放免になるようリーガル・ハイばりの機転の利く弁護士を手配して下さい。
もし服役したら獄中出版、タイトルは「忠臣蔵so(僧)スタイリッシュ!」。キンドルで当たれば、結構なお金、山分けしましょう…!待ってます。釈放されるその日まで!(^-^)
…ここまでは、あなたの怒りのガスを少しでも抜く為のジョーク。
元々、おばあちゃんたちの稼いだお金はあなたのお金ではない、でしょう?
人は自分で稼いでいない金を、手にした途端、身内の中でさえ争い、憎み、苦しむ。
その肉親を怨む怒りの炎で今も苦しんでいるのは結局誰か。
通常だったらとっくに危害を加えている。だが、あなたがそんな魔道に落ちずにいるのは、あなたが人知れず苦労を重ねられ、人の痛みが分かるまでに立派に成長されたから。
恨みしか生まなかったクソ金なんぞ悪魔どもに食わせろ!
もう一つ。人は愛していない肉親は憎むことはできない。
お婆さんのこと愛しているから憎いんだと知るべきです。
金と憎しみよりも、お婆さんが面倒みてくれた恩愛の面に手を合わせなければ生涯救われないですよ。あなたはアイホールをして99の憎しみの闇しか見てない状態。
1の光を探すこと。それを、感じ取れることが祖母と母への報恩であり、その時感じる光こそが本当の財産です。
怨みは怨みによっては決して静まらない
みく様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
誠にお辛いことであったとお察し申し上げます。
「先祖と縁を切りたい」、「先祖供養をしたくない」というお気持ち・・
理解できます・・しかし、ご先祖様あってのみく様であることに変わりはありません。「つながり」という「縁」は切れません・・もちろん、お子様ができましたら、またその「縁」もつながっていくことになりますでしょう。
問い「縁とはなんですか」( http://hasunoha.jp/questions/316 )における拙回答にても述べさせて頂きましたが、仏教ではとにかく「縁」を大切に致します。全ては「縁」りて「起」こっている「縁起」のありようを理解することが重要となります。
この機会にでも無数の「縁」において今ある自らのありようを鑑みて頂けましたら有り難くに存じております。
「感興の言葉・ウダーナヴァルガ」(中村元氏訳)・岩波文庫・第14章・「憎しみ」から・・
「実にこの世においては、およそ怨みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みの息むことがない。堪え忍ぶことによって、怨みは息(や)む。これは永遠の真理である。」
「怨みは怨みによっては決して静まらないであろう。怨みの状態は、怨みの無いことによって静まるであろう。怨みにつれて次々と現れることは、ためにならぬということが認められる。それ故にことわりを知る人は怨みをつくらない。」
仏教では、憎しみや恨みは煩悩であり、そのような悪い感情に支配されての行為は、結局、悪い結果しかもたらさないため、当然に諌めなければならないこととなります。憎しみ、恨みを無くすには、耐え忍ぶこと(忍辱波羅蜜)と共に、慈悲の思いを向けることによって対治することが大切となります。
実は、仏教では自らを苦しめるモノ・コトがあってこそ、修行を進めることができると考えるところもあり、逆にそのようなモノ・コトに有り難さを思い、例えば、自らを害する敵にでさえも慈悲を向けることで、憎しみや恨みの感情を超えていくことが求められることになります。
もちろん、大変に難しいことではございますが、丹下様もおっしゃるように怨む怒りの炎で今も苦しんでいるのは結局、みく様ご自身・・これ以上苦しまないためにも、是非、仏法を学ぶ一つの機縁として頂けましたら幸いでございます。
川口英俊 合掌