反出生、命の苦しみ、生きることそのものについて
最近、私は命そのもの、生きることの苦しみについて考えています。
◯生きること、それ自体は実は凄くグロテスクなものだと思います。
食物連鎖の頂点で生きる為に他の生物を殺して食べる。
仕方がないとは言え、酷い話です。その為の精進料理ですが、植物も穀物も、命の1つではないですか?結局、人は何かを殺さなければ生きれません。
(その為に「(命を)いただきます」という免罪の言葉があると思います)
◯そして、精神医学的に健常とされている私たちの多くは、"定型発達という病を抱えている"という表現に存在を揺さぶられました。
以下引用
福森 アメリカの自閉症協会のニューロティピカル(定型発達)=以下(NT)に関する定義がとてもおもしろいのです。要は多数派を占める私たち健常者のことです。
・NTは全面的な発達をし、おそらく出生した頃から存在する。
・非常に奇妙な方法で世界を見ます。時として自分の都合によって真実をゆがめて嘘をつきます。
・社会的地位と認知のために生涯争ったり、自分の欲のために他者を罠にかけたりします。
・TVやCMなどを称賛し、流行を模倣します。
・特徴的なコミュニケーションスタイルを持ち、はっきり伝え合うより暗黙の了解でモノを言う傾向がある。しかし、それはしばしば伝達不良に終わります。
・NT症候群は社会的懸念へののめり込み、妄想や強迫観念に特徴付けられる、神経性生物学上の障害です。
・自閉症スペクトラムを持つ人と比較して、非常に高い発生率を持ち、悲劇的にも1万人に対して9624人と言われます。
ある意味、人間ってこんなものなのかと悲しくなりました。
◯生きる事は苦しみです。快が満たされても一瞬だけ。自分にも楽しい瞬間もあり、努力をして勝ち取ったものもあります。
しかし、認知症になった老いた家族を見ると、生きる事の無情さ、悲しさに打ちのめされます。(人は年老いて死ぬものだとしても)
私は無宗教なので輪廻転成や解脱を信頼していません(すみません)
人はなぜ新しい命を産みたがるのでしょうか?生物の本能だと思いますが、経済格差が広がり、苦しみと悲しみが多い世界に、親のエゴで子供を産む事を自分は良い事だとは思えません。
(自分の場合だけです)
苦しみだらけの世界でなぜ産むのか。
反出生の気持ちがあります。こんな自分は何かおかしいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
産む性質の者だから生き残ってきた
子孫や分身を残さない性質の生き者がいても、子孫や分身を残さないのだからすぐ絶滅してしまいます。
絶滅していない私達の先祖は、子孫・分身を「生む派」「生みたい派」なのです。
「生む派」の子孫である私達に、子孫を生みたがる本能があるのは当然だと思います。
仏教は輪廻転生を前提に考えます。
殺し殺される世界から解放されたければ、輪廻転生から解脱するしかありません。
煩悩を滅して悟り、輪廻転生から解脱(いわゆる成仏)すれば、殺したり殺されたりしなくてすむのです。
輪廻転生の苦、生老病死の苦から解放されたければ、生への執着を捨てる必要があるのです。
苦に気づくこと、身体の不浄(執着に値しないこと)に気づくことは、悟りに通じる第一歩ではないでしょうか。
あなたは、宗教的なセンスの持ち主なのかもしれません。
質問者からのお礼
遅くなり、申し訳ございません。
仏教的観点からの回答、誠にありがとうございました。
少しでも苦しみを減らせるようにします。