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無職の自分

回答数回答 2
有り難し有り難し 30

無職の自分に悩んでいます。
中学に入る前に病気(精神障害)に罹ってしまい、
入学こそ出来ましたが
普通に学校へ通う事は出来ず、
中学を卒業後は家から出られなくなり、
外出にも苦労が伴う様になりました。

周りからは理解されない事もあって、
無職である事から軽蔑される事もあり、
自分に自信が持てなくなってしまいました。
今では朝起きた時やご飯を食べる度に「今日も生きてしまった」「ご飯を食べていいのだろうか」と罪悪感が湧く様になりました。
世間でも無職やニートはよく思われていないと思うので
胸を張って生きていけません。

お坊さん。どうすればいいですか?
世間を気にせず生きるにはどうすればいいのでしょうか?

2019年3月7日 0:50

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

食生活、規則正しい生活、適度な運動で生きる気力UPを☆

 私も20代の頃、自信を失い、生きる気力を失い、未来に絶望し、何をしても楽しくない、楽しめない、そんなつらい時期がありました。そんな時に私を救ってくれたのは読書でした。どん底の人生から何度も立ち上がった人の話や、生き方指南の本を沢山読むことで、自分の心持ち一つで人生を大きく転換できることを知ったのです。

 洋一さんはまだまだお若いので、無職でいる時期は自分の好きなように時間を使えるチャンスでもあります。今はインターネットで(良い情報ばかりではありませんが)色んなことを知れる本当に良い時代ですし、本屋に行けば面白そうな本を立ち読みだってできます。(ネットの情報より、やはり本をオススメします。読書は確実にあなたの世界を広げてくれますよ。)

決して
無職=ダメ人間でなはいのです。

むしろ
無職=無限に広がる可能性のある人生に気づける人間

だと捉えてみてはいかがですか?

 自分は何に興味があるのか、自分の好きなこと、夢中になれることを見つけることができる、素晴らしい機会の中にあなたはいるのですよ☆
すぐに見つからないかもしれませんが、もし洋一さんが、これだ!と思えることに出会えて、それに夢中に取り組むことができれば、自ずと生き生きとしてきます。それが自信につながります。

 無職、ニートから立ち上がり、社会的に成功している人は沢山います。
そういった人を見つけて話を聞く、本を読むことをオススメします。

 しかしながら、本を読むにしても、何かを調べるにしても、興味の持てるものを探そうにも最低限の気力、生命力がなければそれすらやる気にもなれないことがあります。

 「心身一如」という言葉がある通り、心と身体は繋がっています。
心を元気にするにはまず身体を元気にすることが近道とも言えます。

 ありきたりに聞こえるかもしれませんが、バランスの取れた食事、規則正しい生活、適度な運動によってこれは驚くほど改善されます。

 逆に言えば身体が非常に健康であれば、心は病みようがないのです。

 そんな、「心と身体のつながり」について調べてみるのも初めの一歩かもしれませんね☆
応援しています!

2019年3月7日 13:40
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有り難し
おきもち

あせらず生きれば道は開ける物事の捉え方や考え方次第では?

若いうちに精神障害で学業をあきらめなくてはならなかったとのこと、悲しいことですね。私も精神障害がありますが、私が精神障害を疑ったのは小学校6年(1984年の話)の時で「将来は精神病院(今の精神科病院)に行くんだろうな。」とは悲観的に漠然と思っていましたし、小学校入学の頃(1979年の話)から問題行動の多い今でいう発達障害のあった子供ではありましたが、何とか大学まで行き、本山で修行までできたのは、家族の理解もあったのか病状が軽かったのか何が幸いしたのかわかりませねんが、お仏飯を言叩いて育ったからでしょう。お仏飯を頂くとは仏さまにあげたご飯をお下げして温め直して食べることで、またお米を朝炊飯器で炊いたとしてもまずそれは仏様に備えてから頂いていました。そもそもがその米がお仏供米(おぶっくまい)といいまして、檀家から頂いたものです。それを頼まれれば、位牌堂がその当時建設前でしたが、本堂の裏に三段にもなって檀家の位牌があってあと書院の廊下も位牌檀があって50個くらいあげていましたね。仏様自体は阿弥陀様三尊と開山上人とお釈迦様の苦行像と位牌檀の仏様にあげていましたから全部集めると家族6人の夕食分くらいはあったのです。夕食のご飯はなんか線香臭かったのをいまだに懐かしく思い出します。そしてその後大学2年の時に自分から精神科にかかりました。その当時は精神科は敷居が高く、今のように気軽に書かれる時代ではなかったですが、大学病院の精神科が初診でした。(1992年の話です。)その後から精神科のクリニックが東京にもでき始めてそこに転院しましたが当時はまだあまりいい薬がなくってね。私も大学4年の時(1994年の話)引きこもりになりましたよ。妹と一緒に暮らしていたので妹に面倒を見てもらいましたが、昼夜逆転が酷く、卒業論文も論文指導に行けず独学で書いて提出だけしたので、口頭試問の時に「これは卒論指導を受けましたか。」とか「読めないところがある。」とか「善導上人って何か意味があってのことですか?」(本当は善導大師)とかかなり突っ込まれましたが、「あなたのやりたかったことはあなたの寺の開山の一向上人なんですね。立派なお坊さんになってください。」と言われたわけではないですが、通してくれました。

2019年3月7日 7:58
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有り難し
おきもち

浄土宗僧侶ですが、時宗の一遍上人と同じころ活躍した一向上人の流れです。宗門...

質問者からのお礼

お二人とも回答して下さりましてありがとうございます。
お二人の回答から活力を頂きました。
以下、個別にお礼させて頂きます。

赤坂陽月さんへ
心身の健康を維持する為にも正しい生活を心がけようと思います。
今はネットがある時代なので、ネットの方をついつい見てしまいがちな自分ですが
読書する事も大事だと回答を見て改めて気づきました。
自分が夢中になれるものを探してみます!応援ありがとうございます。
自分への捉え方も変えてみます。

鈍阿さんへ
今は焦る事はせず、今出来る事を着実に行っていこうと思いました。
物事の捉え方や考え方も変えて、自分なりに道が開けたらいいなと思います。
鈍阿さんの人生まで教えて下さりありがとうございました。

「自分とは・自分を何とかしたい」問答一覧

これまでの自分の生き方を後悔しており、前に進むことが怖い。

初めて質問をさせて頂きます。 私は40代になります。 大学院を出て、2度転職し、自営業を営んでいました。 昨年、仕事に行き詰まり、病院で2カ月をすごした後、会社をたたむことにしました。 どの職場でも周りの人に助けられたこともあり、何とかやってこれたと思っています。 そして、この度会社をたたんで、以前から関心があった飲食店を始めたいと思い、アルバイトを始めます。 思い返すと、自分のやりたいことばかりをやってきました。 ただ、自分が何の成果を残せたのか、誇れるものがありません。 現在は親に経済的な援助を受けながら、飲食店でのアルバイトを始めることになりました。 私自身が40代、そして両親が70代となり、これまでの生き方が本当に一生懸命に生きてきたのか自信がありません。 これからは一から頑張らなければと思った矢先に、自分のふがいなさ、親への負い目、社会の目がどうしても気になり、ふさぎこむことが多いのが正直なところです。 人は人と思いながらも、どうしても自分の自信や前向きな気持ちがおれることがあります。 胸をはって、少なくとも親には恥ずかしくない時間をこれからは送りたいと考えています。 このような中途半端な生き方をしてきた自分にもう一度立ち上がる勇気や図太さを持つには、どのように日々を生きていくべきでしょうか。

有り難し有り難し 25
回答数回答 1

自分の信じる『神』や『仏』が何者かわかりません

はじめまして。 うまくお話しできるか、わからないのですが… ここ最近、自分の思想がどこにあるのかわからず、お話を聞いていただきたいと思い、投稿させていただきました。 まず、私は特に、何教徒である、ですとか、特定の宗教には属しておりません。 ただ、色々と自身の考えと当てはまるものを探すなかで、最も共感できるのが仏教でしたので、こちらにおります。 私は漠然と、神様が存在していると思っています。 神が人間を作ったと思っています。 しかし、それは聖書にあるような、直接的に人間を作り出すようなものというよりは、 人が一冊の本を作り上げるようなものだと思っています。 『神』が、この世界を作り上げ、そのなかで『キリスト教』『イスラム教』『仏教』といった… 語弊を恐れずに申し上げるならば、『地球というなかの物語の設定としての宗教』を作り上げているのではないか、と思ってしまうのです。 そうした、なんでもできてしまう神のような、宇宙の外にある大きな力が、私は怖くてたまりません。 あまりに苦しいとき、そうした『神』が、私に何かバチを与えているのではないか、とさえ感じます。 しかし一方で、仏教の『因果応報』という教えを知ったとき、どこか救われるような感覚がありました。 私が苦しんだり、喜んだりするのは、宇宙の外にある神のせいではなく、自分自身の行いの結果なのだ、と。 それから、少しずつ仏教について調べ始めていますが、やはり何か神様のようなものの存在は、否定できずにいます。 そもそも、誰か一人でも信じ、信仰し、救われている人がいるならば、キリスト教の神も、イスラム教の神も、はたまた新興宗教の神であっても、存在していると思うし、それを否定したくないのです。 自分の信じるもののために、誰かが信じるものを否定したくありませんし、ないものにしたくありません。 一方で、どこか神様のようなものに怯えている自分がいますし、こんな自分が仏教の教えに惹かれることは、それこそバチが当たるのではないかと思います。 うまくお話しできたかわかりませんが、心のもちようがわからず、難しく感じております。 なにかアドバイスなどありましたら、ぜひ教えてください。

有り難し有り難し 57
回答数回答 4

自分の冷たさ

私は、母親の死によって自分自身の冷たさについて考えるようになりました。 母親が苦しんでいる時、私はとても冷たかったです。 例えば私は母親が病気で苦しんでいる時に初詣に行きました。 私は、その時トートバッグが欲しかった 初詣に行く前にトートバッグを買いました。 今思うと、私は母との時間よりも物欲・・を優先したんだろうと・・ もちろん、その時はタイムリミットが近づいてる事は 分かってはいなかったけれど、 あんなに苦しんでいた母より、私はそっちを選んだ 最初はどうして初詣を断れなかったんだろうと・・そう悔やんでいました でも、よく考えると私は断れなかったのもあるけれども、結局はトートバッグが欲しくてそっちを優先したんだろうと思います。 苦しんでいる母を横目に私は何か言葉をかけるでもなく パソコンやっていた事もありました 母が亡くなって気づきました パソコンとか物欲とか母との時間に比べたらどうでも いい事だったと・・ 母が自分の死をもって私の持ってる冷たさを教えてくれたのだろうか・・と考える時があります。 あんなに苦しんでいたのに、自分の物欲、自分の時間ばかりを優先して母の事を顧みようともしなかった 私はおかしいのではないだろうか・・ と今思い出しても自分の冷たさについてやるせなくなります 私はずっと、自分中心に生きてきた 自分の中にある冷たさ、冷酷さと、どう向き合ったらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 29
回答数回答 1

自分で自分を苦しめてしまう

自分で自分がわかりません。 思えば不登校になったことも、特にいじめをうけていたなどの決定的な原因があった訳ではないのです。 ただ、人との関わりがひどく苦手だったことは事実です。 数年間引きこもり、アルバイトをいくつか経験しましたが、自身の責任感のなさや愚かさから幼稚で身勝手な判断を繰り返し、どの職場も長続きせず、様々な場所のあらゆる方々に不義理をし続け、今日までのうのうと図々しく生きてきてしまいました。 どうして、こんな自分に手を貸してくれた人や励ましてくれた人、期待してくれた人、よくしてくれた人を裏切ってまで、内にこもってばかりいる意味は何なんだろう。自分が楽になる為だけに人間関係を壊し、引っかきまわして、後から苦しむのはわかっているのに、自分自身が理解出来ません。 生きているのが苦しいです。 精神障害のチェック項目に自分を当てはめてはため息をついたり、逆に今までの生きづらさは全て病気のせいなんだと安心してみたり、もう疲れました。 私はまともじゃないのに、病院に行っても病気だと言われたことはありません。 普通と病気の真ん中にいて、どちらの世界でも私は仲間外れです。 いつも人目が気になり、皆が自分を見ているような気がして、目線をどこに置くのかが難しく、疲れました。細かく言えば、気がするのではなくて私にとっては紛れもない事実なのに、気にするなと言われても、それができればこんなに苦しんでいません。幼いころから頭にこびりつく、自分は普通の人間とは違っていて、周りの皆もそう思っているという考えが抜けず、疲れました。 幸せな人を羨んだりするけど、これまで幸せを手放してきたのは自分自身です。 どうして同じ失敗を繰り返すのか、破滅型とか悲劇のシンデレラという言葉を最近知りました。私のことかも知れません。 いつまで経っても変われず、同じような場所で同じようなことで悩んだり、地団駄を踏み続けて、自分で自分をダメにしていると思ったら、もう自分がクズすぎて死んでしまったほうがいいのにと思います。 私はどうしたらいいですか? 変われますか? 普通になりたいです。 自分を好きになれますか? 真面目で誠実になりたいです。

有り難し有り難し 69
回答数回答 2

自分の道は間違ってはいないとは思うが自信が足りない

子どもは親を選べないとあったり、子どもは自ら自分の親を選んで産まれてくるという話がありますよね。でも私自身が親を選んで生まれたとは思いたくないんですよね。親は子どもを育て、子どもは成長していく。親は子どもとともに一緒に成長していく。こんなだとは思います。だけど自分は、親のことを信用できません。親と思いたくありません。私が生まれる前から、父はアルコール依存性でDVをしてきました。生まれた時は、投げとばされ、叩かれたりしていたみたいです。物心がついた時は、アザができるほどに虐待をうけ、怯えて泣いていました。自分がよく死ななかった なと思います。母は父とまともに喧嘩したりするので、その腹いせが私にきて、母はそれを止めようともかばおうともしませんでした。いつも警察沙汰になるほど暴れました。毎日酒に溺れていて、目が覚めるといつも謝るの繰り返しでした。母親は私を親子というよりも女同士のように見ていました。そんな家庭環境で育ち辛くて、17歳の時に精神的な病になりました。真面目で責任感の強い性格で家庭でも学校でもうまくいかずに居場所も逃げ道もなくうつになって、病院に入院したこともあり馬鹿にされたりしました。私が病気になった時に、母親は手かざしの業という神様に入り、私も一緒にしてましたが、父親はそれが気に入らずに、母親とよく対立していました。私を治すためだとしていたけども、私からしたら、母親が全く変わらなかったので、この神様が信じられない感じでした。私は当時、症状がひどく、入院し薬を飲みながらで生活に支障がでるほどに荒れていましたが、今は結婚して子どもを育てています。私が治ったのは、神様のおかげなんだと思い信心してましたが、神様だけのおかげじゃないよ、自分の努力もあったからと思ってます。両親から離れて暮らし平穏な日々を贈ってます。もちろん信仰はしておりません。子育てで色々と大変でイライラすることはありますが、昔とは違って安定してるほうだと思います。実家へ変えると父親は相変わらずで、母親は孫を可愛がろうとせず、目の前で平気で喧嘩したりするので、帰るのが嫌になり、電話でもまともに話さないので連絡をたちました。たまに着信はありますが、家族と連絡をたっています。母親は、神様をしているのに全く変わらないから。逆に人か嫌がることを平気でするので、許せないんですよね。私は決別することにしました。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

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