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人は、死ぬ前に「須弥山」を見るのか?

回答数回答 1
有り難し有り難し 4

昨夏、父が急逝しました。死の前日、父は「もうここ(病院)で終わり」と、つぶやいたのです。
母(2008年に末期の胃癌で死去)は、死の8日前に「須弥山」を見ているのです。と言っても、私の推測ですが・・・。
父が死んだ日、病院の昼食を「完食」したのを見届け、いったん実家へ。が、すぐ病院から「容態が急変したので緊急手術をする」と電話があり、呼び戻されました。結局「術中死」でした。
こんな最期だったので、なおさら「須弥山」が関係あるのかと、考えてしまうのです。
要領を得ない内容で申し訳ありません。まだ悶々としています。
私も両親と同様に、死ぬ前に「須弥山」を見るのでしょうか?
ご回答頂ければ幸いです。

2019年3月7日 14:22

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人それぞれではないでしょうか。
人によっては蓮の花が辺り一面に咲いている風景を見た方もおられますからね。
南無阿弥陀仏

2019年3月7日 14:39
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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんをしています。 なかなか良い回答はできませんが、少しで...

質問者からのお礼

早速のご回答、ありがとうございます。
「須弥山」と口に出しただけで、周囲は冷たい視線を浴びせるだけでしたので・・・。
私も、そうありたいと、願っています。
余談ですが、我が家は「浄土宗」です。

「死について」問答一覧

日本、自然死を知らない医師

いろいろ、いろいろ、思うことがあって、思うことがあり過ぎて溢れて、うまく文章に出来ないです。 死とは何か…医者は自然死を知らない 「延命治療」蔓延する日本と「自然死」選ぶ欧米 夕刊◯ジの記事は、良くも悪くも、日本人の「自然死」に対する考え、気持ち、心について、考えるきっかけを与えてくれているように感じました。 良いとか悪いとかじゃなくてです。 いろんな意見があります。 どの方の意見も分かります。 そうだね、そうだよね、と思います。 ただ記事にすると、意見の押し付けや行き過ぎた言葉が並んでしまいがちで… でも、それも仕方がないことで… 何せ人間が書いた記事ですからね… 意見の押し売りさえなければ、それも良しとするしかありませんよね。 私も自然死賛成、いや、自然死なんて嫌だ、延命治療はしたくない、いや、延命治療だって必要だ… どれも、そうだよね、と思います。 医療者の側からすると、治療拒否→治療しない、とは出来ない事情もあります。 それも仕方がないこと。 最近、腎臓の病気を患う患者さんに対して、人工透析をせず死なせた!という事件(?)が世間を騒がせたけれど… じゃあ…ただ人工透析を続けるのみ、人工透析の拒否を受け入れない医師が、良い医師、正しい医師、と言えるのか… 私がよく経験した話になります。 タクシーに乗った時に「◯◯大学病院までお願いします」と言うと、私がまさか職員とは知らず、見舞い客か何かと思って、こんな話をされたりするのです… 「僕の兄貴も腎臓悪して、ずっと◯◯大学病院で透析うけとったんや。でもな、しんどうてしんどうて、もうええ、透析はやめる言うてな、ホンマにやめて、死んでんけどな、やめて良かったわ、医者は反対してたけどな、やめて良かった…」 だから、透析どうこうは、そんな単純な話ではないと私は思うのです。 じゃあ、ケースバイケースだ!という人が正しいかと言えば、そんなこともないし、それだって言ってしまえば綺麗事であり他人事のように聞こえます。 正しい答えなんて、ない。 じゃあ、どうしら…? お坊さまたちは、人が人としとある最後の姿、亡くなった姿をたくさん見ている貴重な方々です。 自然死、延命治療、その他いろいろ… お坊さまの意見…?というか…お坊さまの心の中にある想いをお聞かせ願えませんか?

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

どうして死にたいという人を見過ごせないんだろう

数年前の一時期、全く通りすがりのブログに「死にたい」というSOSを続けざまに見つけたことがありました。一晩に5、6件とか。 「死にたい」は「助けて」だと思います。 希死念慮はどれくらいの緊急性があるかによって違ってきますが、プロフィールや住所などがある程度特定可能な場合ですと、公的機関…と言っても警察は事件が起きないと動いてくれないので、主にその人の地元の役所や福祉の関係の機関にお願いするしかなかったりします。ある程度深刻かも、という場合ですが。 とおりすがりの人間がコメントを入れても効果があるかどうかわかりませんし、むしろ逆効果になったりすると最悪なので、そのあたりに匿名性の限界があります。 何かやった、というにはあまりにもささやかなことですし、効果があったかどうかなんて全然わかりませんでしたが、でも何かしないといられない気持ちがさせたことでした。 過去の自分がそうやって必死になったことがあるので、自分が死にたくなった時には、もしかすると友人知人家族のみならず、見知らぬ人がどこかで祈っていてくださるかもしれない、と思って、ちょっと考える余裕を持つことが出来ています。 手を伸ばそうとしたその時の誰にも伝わっていないかもしれませんが。でもやらずにはいられなかった。大きな事故や災害の時にも無事を祈りますよね。そういう気持ちと同じです。直接に助けにいけないもどかしさはありますが。 私も双極性障害の持病があるので、よく希死念慮には襲われます。自分がすごく死にたい気分の時なのに、いまにも死にそうな人に遭遇すると、思わず助けないといられない、っていうのはなんなんでしょうね??かなり本能に近い?崖っぷちの人を助けようとしたら自分も落ちる危険があるけど、それでも手を伸ばす。人って不思議だな、と思います。(サイコパスな人の心境は不明ですが) 自分のいままでの行動でずっと不思議だと思っていたことでした。「それじゃあ、一緒に死のう」とは思わないんですよね。本能とか良心とかが関係しているのかな?とも思えますが。 もしかしたら「いまにも死にそうな人」に自分自身を投影していて、その人が救われると安堵するというか、そのへんはもう彼我の境界が薄くなっているのかもしれませんが。でもこれは私だけではない心理だと思えます。悩みつつ、行動しています。ささやかですが。 でも謎心理です。

有り難し有り難し 9
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