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生きたい気持ちと生きる罪悪感の葛藤

回答数回答 1
有り難し有り難し 10

皆様、よろしくお願いします。
膠原病という厄介な持病がある私が乳がんになってしまいました。
手術もして頂き、今、家にいます。手術したから終わりではなく、これからが大変なのだと思います。
でも良い気付きもあったんです。私が今、こうしていられるのも病院のスタッフさん達と主人の支え、すなわち私は本当に色んな方々に支えられていることを身に染みて知りました。(特に先生には本当にお世話になりました)
でも持病を抱えながらのがん治療、私はこれから支えて下さった方々に尚負担をかけて生きていくのです。
それにもし今、私が死んだら、主人は暫く悲しむだろうけど、新しい恋をして人生やり直せるかもしれないのにと思うこともあるのです。
今、お世話になった方々への恩返しはどんな治療にも耐え元気になることが大切だと思います。でもその反面「いつまで生きることに執着してんねん!」という自責の気持ちで揺れています。
私がこう思っているなんて、周りの人は夢にも思っていないと思います。
本当に本当に本当に良くしてもらったというか、してもらってるんです。病院スタッフさんも主人もみんな優しいのです。
それなのに相反する気持ちで葛藤し、手術の傷跡の痛みも忘れるほど心が痛いのです。
私の心から「生きる罪悪感」に出ていってもらうためにはどうしたら良いですか?苦しいです。教えて下さい。お願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの命は、仏様からの命。

こんにちは。亀山純史と申します。

私たちは自分の命は自分のもののように考えがちですが、私たちは自分の意志で呼吸をしてはいません。また、睡眠中も、意識は活性化していなくても、命は生き続けています。私たちの命は元々自分のものではなく、仏様から頂いたものなのです。ですから、生きることに対して、罪悪感を持つことはないのです。

「なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土(浄土)へはまいるべきなり。」(『歎異抄』)なのです。

以上が私からの回答です。頂いた命を大切にしていきましょう。

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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

質問者からのお礼

ありがとうございました。
ただ1か月考えましたが、どうやら私には亀山様のお言葉がまだ咀嚼出来ていません。
私には難しいのでしょうかね(笑)
せっかくお言葉を頂いたのに、申し訳ないです。

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