「非モテな貧乏人は死ね」と自責が止みません。
お世話になります。
私は同性愛者ですが、
出会いや恋愛関係が不調に終わる都度、
相手の方に迷惑をかけたような気がしてなりません。
具体的なトラブルは何ら起きておらずとも、
私のような者に、時間や気力を割かせてしまったことが、
相手の方に申し訳ないのです。
「モテるタイプでないなんて、昨日今日のものじゃないんだから、
恋愛なんざとっとと諦めろ」
「友達もいないのに彼氏だぁ? ふざけんな」
「死ねよ、貧乏人」
上手くいかなかった現実を噛み締めながら、
自責の念で頭のなかがいっぱいになり、
仕事などへの気力が失われていきます。
何かしらリアルに接点があった方だけでなく、
例えばテレビなどで、好きなタイプの方を見かけただけでも、
申し訳ない気分になります。
「私のような者に応援されたり、好かれても迷惑だろう」と。
病院へ行ったほうがいいでしょうか。
宜しくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
モテるということ
うちの畑から出土した(本当はフリマで300円で買った)お面をモテモテ様と名づけて、キス・マークをいっぱい書いて台所に祀って夫婦・親子で「モテモテ様」と、あがめて重宝しています。
人は誰からモテ、称賛、いいね!されるべきでしょうか。
夫は妻から、妻は夫から、親は子から、子は親からモテモテされなければ良好な関係とは言えません。
ちなみにおモテにならないことを嘆かれているようでございますが、時代は滝クリ「お・も・て・な・し」とはいえ、全くモテないの「おモテ無し」ではシャレにはなっても、箸にも棒にも引っかかりませぬ。カワイイは作れる、と申しますように。モテる、ことも作る事が可能な時代です。
イマドキ女子も、カラコン、つけま、メイク盛り盛り、3倍盛り、10倍盛りと原形を失わせてある種無我の境地メイクで奮闘されておられるのに、たった一言で傷ついて、ふてくされてなんとされますか。
モテモテ様からのお告げ、御神託を代筆いたします。
「モテるとはモテはやさるるの意なり」
「モテはやさるるといふは、相手の求めに応ずる力、これをいふなり」
「モテ者は渇きあらば潤いを与え、暑ささあらば涼しきを与へ、寒あらば温暖を与えせしむるモノなり」と。
これらは仏典ではなくそれがしが執筆中の「モテモテ経典 第一章」に記されております。
空手道、剣道、柔道、弓道、茶道、華道、極道にも、その道の神髄を表した言葉があります。
男女の世界はルックスだけではありません。
どんな道も相手をうやまい、相手の求めに応じる気持ちやオモテナシの精神があれば、恋愛成就といわなくとも心の通い合いは可能なものです。
やさしいのですね。
聖太さま。
クリスマス前の質問でしたが、その後いかがお過ごしでしょうか。
恋愛に失敗するたび、相手を責めるのではなく、ご自身を責めていらっしゃる。
やさしい方なのですね。
恋愛に効く薬をドクターが処方してくれるのならば、通院をオススメしますが、個人的に通院の効果は???です。
恋に落ちるスキルと恋を長続きさせるスキルは別物かと思います。
小学生の考える恋愛。中学高校生の考える恋愛。大人の恋愛。
何をもって恋愛をするかは人それぞれでしょう。
ご自身のコンプレックスに原因があるのではなく、恋愛へのアプローチや価値観の共有方法に原因がある場合もあります。
モテる人すべてが幸せな恋愛をしている訳でなし。
自分が思うモテる条件が必ずしも相手の求める条件と一致しているわけでなし。
私が惚れた人目線での恋愛、私を必要としてくれる人目線での恋愛。
自身を嘆く前に自分へのいたわりと恋愛成就への手間と努力は必要かと思います。
慈悲は地球を救う
好きになった相手に申し訳なくなってしまうほど辛い思いを抱えられていらっしゃるのですね。恋愛はハッピーなばかりではなく、辛く苦しい思いもするのは、無理もない自然な事です。病院へ行く必要などありません。しかし、その事で聖太さんは、自責の念が堪えないのですからなんとも言葉がありません。
私たちが普段使う、いわゆる「愛」とは、本来わがままで、自分本位の物です。相手が振り向いてくれなければ苦しいし、自分の思い通りになれば楽しい、というものです。それに比べ、相手本位の感情を「慈悲」といいます。時間はかかると思いますが、聖太さんが愛ではなく慈悲、相手を慈しむという心持になったとき、苦しみが晴れるはずです。
自分本位でなく相手本位。「愛」は地球を救いません。地球を救うのは「慈悲」です。
せめぎ合って、折り合って、お互いさま(富田富士也先生)
聖太さま
なごみ庵の浦上哲也と申します。
私も若い頃、出会いや恋愛が上手くいかず、よく落ち込みました。聖太さんは同性の方を好きになるということで、より不調に終わる確立が高いのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
自分の気持ちが通じない悲しさや切なさ、これが重なると自己否定の気持ちが強くなりますよね。テレビで好きなタイプの方を見ただけで申し訳ない気持ちになってしまうということですから、この自己否定が積み重なっている状態のように感じました。
結局、特効薬は「自分を大切に思ってくれる方、必要としてくれる方」しかないかと思います。好きになって、結果迷惑をかける。それを恐れていたら人との付きあいは出来ません。カウンセラーの富田富士也先生はよく「せめぎ合って、折り合って、お互いさま」と仰います。いいじゃないですか、迷惑をかけても。それが人が社会で生きるということなんだと思います。
質問者からのお礼
ご回答をお寄せ頂きました僧侶の皆様、有難うございます。
ご回答を頂きましてから、ここにコメントを記載させて頂きますまでに、
相当なお時間を頂戴しましたことを、まずお詫び申し上げます。
皆様からのご回答を慎重に拝読しつつ、自己問答を重ねてみたところ、
どうやら私は、恋愛うんぬん以前に、
円滑な人間関係を築く能力が欠落しているのだろうと考え至りました。
病気なら医師の力で治まるや知れませんが、性格や資質は、早晩には改まらないでしょう。
例えるなら、人並みの体力が無い者は、フルマラソンを完走できないと嘆く前に、
普通に歩けるようになるのが先決ということや知れないと思います。
筆を滑らせて持論に偏ることなく、丁寧にご回答くださった方々に、御礼申し上げます。
有難うございました。