子供が亡くなって1年が経ちました。
8か月前子供達の死について
相談させてもらった者です。
一歳の子を亡くし
同時にそのときお腹にいた子を亡くし
1年と少しの時が経ちました。
子供を思い、前向きに生きようと
私なりに努力をしてきたつもりです。
でも、亡くなったことが全く理解できなくて過ごした時間の方が
まだまともに生活が出来ていた気がします。
今は亡くなった当時より
何もできていないです。
家族にも八つ当たりのように
辛く当たってしまい、呆れているようです。
これは、甘えなのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
甘えてよいと思いますが。
おはようございます。お子さんを送られて一年とのこと。私も自分の子どもが赤ちゃんだった頃の寝顔とか、今でも思い出します。
「悲しみから立ち直る」って、何なんでしょうね。おきた事を忘れてしまう事でしょうか?どこかで「立ち直り完了!」と線引きできるものでしょうか。
そんな線引きできるものではありませんね。
ただし、これ。どなたと別れて行くときも同じだと思うのですよ。私も祖父・祖母と別れ、恩師と別れ、友達と別れ、元カノと別れ…て来ましたが、「その別れに後悔はないのか?立ち直ったのか?」と問われれば、一点の曇りもなく「はい」とは言えません。
さてあなたの文章を読んで、私が少し心配になったのは「日々のご供養をされているかしら」という事です。お仏壇やお位牌があるのか分かりませんが、朝晩に1分ずつでもいい、他の事を中断してお子さんたちを祈る時間を設けていますか?という事です。
そしてまた、ふと子どもたちの思い出や後悔の念が浮かんだときに、キチンとそれに対応していますかー、という事です。傷口を見ても薬や絆創膏を貼らずに掻きむしってはいませんか?
さて、問いである「甘え」。「家族への八つ当たりのような表現は甘えである」。そうだろうとは思いますが、それがダメとも思いませんよ。
しかし、家族も人間です。あなた同様、大切な赤ちゃんを失った人です。お仲間です。
だから、辛く当たるよりも一緒にお仏壇の前に座り、一緒にお祈りいただくのがよろしいと思いますよ。「お祈りするから、1分一緒につきあって」と。最低1分。各々がどれだけ祈るかは、人それぞれ好きなだけすればいいです。
そして、お祈りが終わったら日常に帰る。オンとオフをはっきりつけるようなものです。