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恨みや復讐について

回答数回答 1
有り難し有り難し 34

仕事上の相手に騙されたのですが、なかなか相手を罰する良い方法がありません。犯罪や損害を立証し刑事、民事など訴訟するにはハードルが多くあります。労力を惜しまず何とか現実的に相手へダメージを与えたいと考えています。
さて、こちらの問答を見ていますと恨むことや復讐を企てるのは良くない事で負の連鎖に繋がるような回答が多いような気がします。(私の浅薄な読解力からの誤解ならすみません)
しかし現実には法で罰しなければならない悪人は多く、法律のギリギリを歩む悪人も多くいます。
他人に危害を加えてのうのうと生きている人間に何らかの罰や復讐を行う行為は当然の事ではないでしょうか。相手への復讐や罰する事は程度の問題はあるにせよむしろ推奨されてこそ、秩序が守られる世の中になると思いませんか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の内面を見つめる大切さ。

質問読ませていただきました。

仰るように、恨みや怒りというのは自分の心を染めていきます。そしてそれが自然に言動に現れ、いつの間にか周りに伝染していきます。
結果として争いを好む修羅の世界に身をおくことになり、いつしかその怒りの炎は自分の身を焼くでしょう。
それは決して自分のためになりません。なぜなら、今世の命だけではなく、来世の命を苦しみの世界に受けるからです。

さて仏教は、原因結果の法則をとき、それ故に自分の内面を見つめることを重視します。ですから「内道」と呼びます。
みなさんが仏教の教えを理解し、自分の行動や感情をしっかりコントロール出来るのであれば、争いはほとんど無くなってくるでしょう。

しかし、それはなかなか難しいことです。理想論ともとれるかもしれません。
ですので、世間の法(民法や刑法など)が作り出されたわけです。言い換えるなら、みんなが犯罪を犯すことが無ければ、刑法なんて必要ないということです。悪いことをする人がいるから、法律を作って抑止効果を期待しようということなのです。
つまり、正直者がバカをみないようにするために定められたものと言えるかもしれません。
正直者とは、仏教の教えを実践し、自分を律して生きていこうとする人とも言えるでしょう。

実際のところ、麒麟さんがおっしゃるように法による信賞必罰を強化し、復讐や罰を推奨した方が、手っ取り早く世の中は平和になるのかもしれません。
しかし、それは自分の内面を見つめる行為というよりは、外部の恐怖で人を押さえつけるに過ぎません。
そして自分の内面を見つめない限り、いつまで経っても苦しみの世界から抜け出せず、六道輪廻を繰り返すでしょう。

仏教者としては、やはりまずは自分の内面を見つめることを大切にしたく思います。
そして、理想論である「人を罰するような法律がなくても、各自が自分を見つめて律する」ような世の中を目指して、法を説いていきたいと考えています。

何か少しでも参考にしてみて下さいね!

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質問者からのお礼

ありがとうございます。
今世で罰っせられない悪人が、来世の六道輪廻の地獄に落ちると思うと、心を整理して気持ちに区切りをつけられることもあるかと思います。
復讐に燃えて悪人に仕返しする努力をする事はする事は修羅の道と言うより正義を貫く事にも繋がるんじゃないかと思うのです。

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