復讐心が原動力は悪いことでしょうか?
私は、向上心は比較的高く、承認欲求も高い性格です。
経済的自由を手に入れるため、
これも経験だと自分に言い聞かせ、目が回るような仕事ライフを送っています。
しかし、原動力は復讐心です。
対象は、過去にフラれた女性達、イジメられた同級生です。
成功して見返したい一心で頑張れています。
今彼女がいますが、
過去の女性達を見返す為なんて、失礼極まりないだとは自分でも理解しております。
ですが、それが原動力となり頑張れます。
そのおかげか、毎日多忙ですが良い会社で経験を積めています。
元々面倒くさがりなので、忘れないよう体にタトゥーとして刻もうとも思っています。
原動力が無くなり、頑張れなくなり落ちぶれるのが怖いのです。
正直疲れてしまいました。
ですが過去を思い出すと見返したい気持ちが沸々と湧き上がります。
過去の記憶に反応しているだけと、
成功したとして対象の人達が知らなければ意味はないと、
理解しておりますが、他の原動力が思いつきません。
復讐なんて自分に酔っているのでしょうか。
ご助言を頂けると嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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怒りも欲も使いようで切れる
怒りや欲を原動力にして成功する場合と失敗する場合があります。
失敗する場合は、欲・怒りに囚われすぎて結局、肝心の仕事に集中して頑張れなかったのだと思います。成功する場合は、原動力は欲・怒りでも仕事や勉強をやり始めたらそれに集中して、うまく成果が出せていると考えられます。
「この仕事が片付いたらどこそこに旅行に行こう」とか「○○大学で勉強できたら楽しそう」とか、それでうまくいったりいかなかったり。
「あいつらを見返すために営業を頑張るぞ」とか「うちが先に特許を取るぞ」とかでうまくいったりいかなかったり。
お釈迦様の時代には欲をもとに(結婚するはずだった妻より美人が天界にたくさんいると知って)悟った比丘や怒りをもとに(夫に捨てられて、じゃ、私は比丘尼になります、と)悟った比丘尼の話などがあり、悟るまでの欲や怒りは上手にコントロールすればよいのではないかと思います。
質問者からのお礼
藤本様、ご回答ありがとうございます。
拝読させていただきました。
今の私は、
復讐を目的ではなく、モチベーションとして上手くコントロールできるよう、今この瞬間に集中しようと思います。
ありがとうございました。