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父の死から立ち直れません。

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初めまして。よろしくお願いします。
2年前に79歳だった父が仕事中に脳梗塞で倒れました。緊急病院で治療をしてもらい一命をとりとめたものの生まれつきの心臓に欠陥があり手術は無理とのことでした。覚悟をしてくださいと言われ去年の9月に81で亡くなりました。
わかっていたものいざ亡くなると父の魂はあっても肉体がないから父のいない寂しさから立ち直れません。
こんなんじゃいけないのもわかっていますが父の側に行きたいんです。死は恐くありません。父に会えるなら今でも死ねます。

菩提寺は浄土宗です。
父は今何をしているのでしょうか?一人で先に逝ってしまい悲しいです。
毎月父のお墓参りは行っています。家に位牌と遺影はありますがやっぱり肉体のない父に会えないのは辛いです。毎日泣いても泣いても辛すぎて
どうしたらいいのかわからなくて。
死ねるなら死にたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お父様はお浄土からあなたに働きかけています。

カーネーションさん、ご質問ありがとうございます。

お父様がお亡くなりになって、悲しみを背負っておられるのですね。

ご宗旨が浄土宗ということで、あるいは少し違いがあるかもしれませんが、
浄土真宗の立場から、私の考えをお伝えしたいと思います。

亡くなった方は、阿弥陀様のお導きにより、お浄土にお生まれになります。
お浄土は安楽国というように、苦しみのない世界です。

浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、お浄土に生まれることにより、仏となって
衆生に働きかけ、導くのだと言われます。

ですから、亡くなった方は、遠い世界に行ったきりになってしまったのでは
ありません。
衆生そして衆生の中の一人の「私」を目当てにして、導こうと働いてください
ます。
そう考えると、お浄土のお父様と現世で生きているカーネーションさんは、
いま、共に生きているとも言えそうです。

そんなふうにお考えになってみてはいかがですか?

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おきもち

真宗山元派上西山正善寺住職
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「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

私のせいで母が亡くなってしまいました

母とは一卵性母娘と言われるような、いつも一緒の仲良し母娘でした。服やバッグも共有したり、色違いで持ったり、どこへ出掛けるにも二人で一緒でした。 そんな母が昨年9月に大動脈破裂で亡くなりました。 元々大動脈解離はありましたが、前月の検査でも変わりなく、また一年後と言われたばかりでした。 数年前に他の場所の解離性大動脈瘤の手術後、高次脳機能障害が出て物忘れ等あったものの、本人も長生きすると頑張っていましたが、最近尿漏れや便漏れで汚してしまったりすることがごくたまにありました。それ以外にもたいしたことではないのに、昔はしっかり者できれい好きな母だったと思うと、私はイライラした感情をぶつけ、怒鳴ったりきつく当たったりしてしまいました。 いい言葉に買い言葉で、母は私に迷惑を掛けているから殺してくれ、と言うこともありました。本心は私と同じで、二人でずっと一緒に居たいと思っていたのに。 私が酷く母を傷付けたせいで、悲しさ苦しさ辛さのストレスで母が亡くなってしまったのだと思います。 私にとって、母は大好きで一番大切な人、母が居るから頑張れる、母が健康で長生きしてくれることだけが願いだったのに、それが私の一番の幸せだったのに、神棚にも仏壇にも、願うのはそのことばかりだったのに。 母の人生も幸せも、自分の人生も幸せも、私のせいで全て失ってしまった。 今さら悔いても謝っても、もう取り戻せない、大好きな母は戻ってこない。 謝って許してくれたところで、自分だけが楽になるなんてずるい。 母の悲しみや苦しみを思えば、傷付けた私が苦しみながら過ごすことは当然の報いですが、でも生きていくのが辛いです。 父と母からもらった大切な命で、大切な身体なのは重々承知ですが、自分の愚かさに、大好きな母を失った現実に耐えられません。 親友が私を心配し、手を差し伸べてくれて感謝しかありませんが、母を傷付けた駄目な私に優しくしてくれることが苦しいです。 一人っ子独身の私は、父が亡くなってから20年以上母と二人で暮らしてきました。でももうひとり、自分のせいで一人になってしまいました。 友人は、寿命は誰にも決められない、母が亡くなったのは私のせいじゃないと言ってくれますが、私の自己中心的な振舞いのせいだと感じています。 自業自得ですが、もう生きていく気力がありません。

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子どもを亡くし苦しいです

最近3歳になったばかりの男の子を急な病気で亡くしました。寝る前まではとても元気だったのに、夜中に急変し救急車で病院に搬送されましたがその日のうちに亡くなりました。 異変には私が気付き、その時の事が未だに脳裏に焼き付いてとても辛いです。もっと早く気付いていたら、もっとああしていたらと後悔ばかりです。医師からは発症してしまうとどうやっても助からない病気だからと言われましたが自分を責めないと気がおかしくなりそうです。 私にはもったいないくらいのとても可愛い子でした。我が家に幸せを運んでくれ、3人で過ごした期間は人生で1番幸福な時間でした。本当に最後の1日以外どの日を思い出しても幸せで、息子には感謝しかないです。 しかし私も主人もとても苦しんでいます。主人は優しく子煩悩な人で、息子もお父さんが大好きでした。こんなに愛情深い人が我が子を奪われるなんてと悲しむ主人を見るとこの運命に絶望します。 それでも生きなければいけないと思っています。病院で闘う息子と約束しました。私たちがちゃんと生きること、また会えるよう頑張ること。その約束のおかげで何とか踏ん張って生きています。 家族葬でしたが息子に携わってくれた方、私たちの知り合い、ほとんど全ての方が会いに来てくれました。息子はたくさんの方に愛されていたのだと誇りに思います。そして私たちもたくさんの方に支えられているのだと実感しました。お互いの親族もたくさん泣いてくれ、私達を気遣ってくれています。 なのに本当は早く息子の後を追ってしまいたいです。息子との約束、主人を支える事、周りへの感謝、それが今の私の生きる理由だと自分に言い聞かせて誤魔化し誤魔化し、でもふと現実を思い出しては泣きわめく日々です。 苦しみはいつか和らぐ日は来ますか? 息子の写真を見たり思い出すと安らぎます。だけど同時にもういないんだと思い知らされるのが辛いです。いつかいないと分かりながらも穏やかに思い出せる日が来ますか?

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母を亡くしてから不調です

2020年に母を亡くしました。それからずっとうつ状態や解離(物事を忘れてしまう、遠くに居てどうしてどうやってここに来たのかが分からない等)、死にたくなるなどの心の不調が続いていて、母の死を受け入れられていないのかもしれません。 2011年から絶縁状態だったにも関わらず、下記のような経験をしてきたのにどうしてでしょうか。どうすれば執着しないようになれるでしょうか。何も考えられず、お骨も手元に置いてしまったままです。どうすればよいのでしょうか。 幼少期より、両親から身体的(金棒で殴られる水をかけられるなど)精神的(要らないと言われる人格を否定される)、性的虐待(ポルノを見せられる、自慰行為を強制される)を受けていました。 ネグレクトもあったため、家は荒れ果てゴキブリだらけ、お風呂にも入れてもらえず、眠っている時にゴキブリに体をかじられて目を覚ますような日々が続きました。 父はアルコール依存症、母はボーダーラインパーソナリティ障害で、2人ともちょっとしたことで怒り出し、暴力を振るっていました。 また、母はパーソナリティ障害から自殺企図や自傷行為が多く、私が常に看護していないといけない状態が長く続きました。母の意向で小学校中学校には通わせてもらえませんでした。 私自身も中学生の時に歩道橋から飛び降り自殺を試みて大怪我をしたのですが、呼び出された親はにこにこと笑ってみているだけでした。 恨んでいるかと言われると、恨んではいないのですが、じゃあ愛しているかと言われるとわからないです。 両親が私のことをどう思っていたか…もよくわからないです。要らなかったのではないか…という気持ちが強いです。

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父の死について夫と私自身を慰めたい

先日父が急逝しました。2日前までは普通だったのに、たった1日で意識がなくなりそのまま逝ってしまいました。この数日間で私自身の気持ちは整理できたつもりですが涙が出るし、まだ父は出張に行っているだけのような感覚がして、寂しくて悲しいです。 そして去年結婚したばかりの外国人の夫は私以上にショックを受けているようです。夫は父と最後に1週間前くらいに顔を合わせ、次に対面したのは父が病院で亡くなってからでした。夫は今まで1度も亡くなった人の体を見たことがなく、またあまりにも突然のことで大変な衝撃を受けたようです。 夫は、「もっともっとたくさん父と話したかった。あと10年、20年と時間があると思っていたのに…もっと日本語を勉強していればよかった」と悔やんでいます。 父も夫のことをとても気に入っていたようで、こっそり英語の参考書を読んで勉強していたようです。また外国人の息子が出来たことを写真を見せて自慢していたと、父の友人から聞きました。どれもこれも全て父の死後に知ったことです。そういった全てのことに対して、夫は涙を流して悔やんでいます。 夫の慰めになればと、夫と一緒に父の遺影の前に毎日ビールやお菓子をお供えしたりしていますが、やはり座ってひといきつくタイミングで呆然とし、涙を滲ませています。 そのような夫にかける言葉がわかりません。寄り添ってあげたいです。一緒に前に進んでいくために、どういうふうに考えたり行動したりすればいいか教えてください。

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もっとたくさん会えばよかった後悔の気持ち

先日、父方の祖父が亡くなりました。 祖父は自宅から3時間ほど離れた場所に住んでいるということと、私の父と母の関係があまりうまくいっていないというのもあり、母と一緒にいることが多かった私は祖父になかなか会えず、生前最後に会ったのは3,4年も前です。 そんな中でも、進学のお祝いや、毎年必ずクリスマスの時期になるとお菓子の詰め合わせを段ボールいっぱいにして送ってくれていました。 そのたびに電話してはいましたが、年に数えるほどの回数ですし、時間もそう長くはありませんでした。 亡くなった日も、私が大学受験に合格したお祝いにと年金生活で苦しい中、私の通帳にお金を振り込んでくれていました。 その足で自宅に帰り、ほどなくして亡くなったそうです。 進路が決まったことも私から言ったのではなく、父からです。 直接会って伝えたかったし、お祝いのお金のお礼だって直接言いたかった。 最後に祖父に会いに行ったとき、私の大好物でテーブルをいっぱいにしてニコニコの笑顔で迎え入れてくれました。そのことを思い出す度に胸が苦しくなります。 私のためにこんなにたくさん色々な事をしてくれていたのに、何にもお返しすることができませんでした。 行こうと思えば、一人でも行ける距離です。 少し勇気を出して、母に「祖父に会いたいから一緒に来てほしい」と言っていれば、母も動いてくれていたかもしれない。 父に対する気まずいとか気恥ずかしいという感情で止めずに、父が帰省するタイミングで私も一緒に行っていれば会えたし、直接話すことだってできました。 私が、電話をかけただけでものすごく喜んでくれて、進路のことを楽しみにしていてくれて、家には私の写真を飾ってくれていた。 そんな祖父に対する自分の行動が許せなくて許せなくて...。 あの時ああしていれば、もっと会っていたらと後悔の気持ちでいっぱいです。 これを書きながらも涙が止まりません。 こんな私を祖父はどんな風に思っているでしょうか。 もっと私に会いたかっただろうし、話したかったと思います。 なんで会いに来てくれないんだろうと寂しく思うこともあったと思います。 今更思ったって遅いのに毎日毎日毎日毎日後悔の気持ちでいっぱいです。

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亡くなった祖父と替わりたい

一昨日、祖父が亡くなりました。 数日前まで元気でした。肺に水が溜まって、救急入院しましたが、快方に向かっていました。 一昨日の午前までは退院の話も出ていたのに、午後に様態が急変して、そのまま亡くなりました。 多趣味で、とにかく元気で、じっとしているのを見たことがない人でした。 100歳まで生きると言っていましたし、100歳超えても元気でいるだろうと、母と話していました。 その一方で私は、生きるモチベーションがかなり低いです。 それなのに、何故祖父が亡くなって、私が生きているのかわかりません。年齢順とはいえ、納得できません。 仏様は何をお考えなのでしょうか。 祖父と替わりたいです。我が子である叔父の死を乗り越えた祖父なら、私の死も乗り越えると思います。でも、私に祖父の死は耐えられません。 他の身内が次に亡くなった時に、またこの様な思いをするのも嫌です。祖父がいない世界を生きていくのが辛いです。 心配かけてばかりで、恩返しも何も出来ませんでした。 お経を唱えたり、私の寿命を祖父にあげますからと、先に亡くなった叔父や仏様にお祈りしたりもしました。 もっと真剣にお祈りすれば、祖父は亡くならずに済んだのでしょうか。 大好きな三線や、ゲートボールや、畑仕事をもっと沢山やって、大好きなお肉をもっと沢山食べてほしかった。 恩返しがしたかった。大好きって伝えたかった。 祖父が元気に動き回る姿がまた見たい。 祖父と替わりたいです。 祖父に一緒に連れていってほしいです。

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昔、母の最期に何も伝えられなかった後悔

現在23歳です。17歳のときガンで母を亡くしました。  親しい人がなくなるという経験は、物心ついてから初めてのことでした。また、もともと母とは性格的に合わない部分もあったし、当時の私は少し反抗期も残っていたように思います。それでもたくさん愛してもらったし、大好きな母でした。  母が余命わずかで自宅療養をしはじめたころ、私は母がもうすぐ亡くなるという事実が受け入れがたく、ただこのままその日が来なければ良いのにとばかり考えて現実逃避していました。母が亡くなることなんてないと信じたかったんです。  だから、母が病気でもなんでもないかのように振る舞ってしまいました。産んでくれて育ててくれてありがとうとも、大好きだとも伝えられませんでした。  母は専業主婦でしたが、活動的で仕事ができるスキルや資格もある人でした。  この年齢になって、私も将来の子育てとキャリアのことを悩んだりします。きっと母は働きたかったけど、その気持ちを犠牲にして私達を大事に育ててくれたこと、その重大さが今はよく分かります。  それなのにあの時は何も言えなかった。今の私なら母が最期に幸せだと思ってもらえるようなことをたくさんできたし、悔いなく感謝を伝えられたと思います。母の話ももっと聞けばよかった。最期に、この人生を選んでよかったと心から思ってもらえるような送り出し方がしたかった。  子どもが元気に生きているだけで親孝行、なのかもしれません。でも母はもう亡くなってしまって、最期にまったく親孝行できなかったという気持がずっと引っかかっています。  今日、夢のなかで母が亡くなる直前の時期にいました。夢の中の私はやっぱり現実逃避して、大事なことを何も伝えられませんでした。  もうどうしようもないと分かってるけど、叶うなら母が亡くなる前に戻ってもっとたくさん感謝を伝えたいし、母の人生の話を聞きたい。  この後悔はどう整理していけば良いのでしょうか。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ