ペットを殺してしまいました
15年前、ペットのチワワを虐待して殺しました。
これから私がどうしたら、あの子の魂が幸せになれるのでしょうか。
---
社会人になった頃、チワワの子犬を飼い始めました。当時、一人暮らしでワンルームのアパートに住んでおりました。
最初は可愛がったのですが、数ヶ月で仕事のストレスがたまると、虐待するようになりました。
おしっこの掃除が面倒になり、一日中狭いお風呂に閉じ込めていました。帰宅してお風呂がうんち臭いことに苛立ち、怒鳴りながらチワワをお風呂の壁に投げつけました。
さらに、夜鳴きがうるさいので真っ暗なクローゼットに閉じ込めました。鳴くと足でドアを蹴ってうるさいと怒鳴りました。
それから数ヶ月経ったチワワの最期のことは、思い出したくありませんが、書きます。
うんちの世話さえ嫌になり、スーパーのビニール袋に首から下を全部入れて放置していました。その頃には、チワワの目がもう死んでいたと思います。その生気のない様にもイライラして、ごはんを乱暴に口の前に投げつけました。もう、ごはんを目にしても何の反応もしませんでした。
ある朝、クローゼットのドアを開けたら、チワワは死んでいました。無表情な目をよく覚えています。
当時の私は、なんで今死ぬのよ面倒くさいと思い、そのままゴミ袋に入れて可燃ごみとして捨てました。
-----
ごめんなさい、こんな胸糞悪い話を読ませてしまって。
それ以降、私の道徳観は狂ってしまったように思います。チワワのことを思い出しそうになると、あわてて別の楽しいことを考えるようになりました。心を凍らせて、申し訳ないとかかわいそうといった感情を感じないようにしていました。
それから15年間記憶を封じたまま、新しい犬を飼い、夫と出会い、娘が産まれました。新しい犬や娘のことは可愛がっています。
私はいつかあの子と同じように苦しんで死ぬべきだと思います。自殺などという楽な死に方ではなく、何ヶ月も苦しみ抜いて誰からも見捨てられて、永遠に絶望しながら死ぬべきです。
でも、そのように死んだところで、あの子への償いには不十分という気もいたします。だってあの子は永遠に絶望したまま灰になってしまいました、いえ正確には、ごみになってしまいました。私がこの先どうしたら、あの子の魂が少しでも幸せになるでしょうか。
乱文で申し訳ありません。初めて本当のことを話しました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
何をすることが、亡くなったペットのためになるのか?
質問読ませていただきました。
さて、まずはペットを殺してしまったことについてです。
当時のりかこさんの精神状態がどうであろうと、生き物を殺してしまった罪は消えることはありません。たとえそこから逃げていても、今のりかこさんのようにいつまでも追いかけてくるでしょう。そして、いつか追いつかれて大きく苦しむことになります。
ですので、辛いでしょうがきっちりと向かい合うことが必要です。向かい合って、反省すべき事を反省し、二度と同じ事を繰り返さないことが大切です。
他に自分が何が出来るかを考えてみて下さい。ひょっとしたら、何らかの形で虐待からペットを守る活動に携わることもできるかもしれません。それはその辛さと後悔を経験したりかこさんだからこそ、できることなのかもしれません。
何にせよ、自分の罪と向かい合わなければ前には進めないでしょう。
そして、「苦しんで死ぬべきだ」ということについてですが、りかこさんが苦しんで亡くなるか、楽して亡くなるかで、亡くなったペットに何の変化もないし恩恵もないのです。それは、「罪の意識から逃れたいから、苦しんで死ぬべきだ」という自分勝手な考えに過ぎません。そしてりかこさん以外の誰もそんなことは望んでいません。
では、亡くなったペットに対して、何をしてあげるのが1番良いのでしょうか?
それはしっかり供養してあげる事です。信頼できるご僧侶にお願いし、供養をお願いすることです。祥月命日や回忌法要に当たるのであれば、お塔婆を立てていただけるようにお願いして手を合わせてあげてください。
それが必ず亡くなったペットを苦しみから救ってくれるでしょう。
そのためにも、記憶を封じたままではなく、正面から向き合うことが大切になってきます。
また、供養してあげる事で、りかこさんの心にも罪滅ぼしの気持ちが芽生えてきて、自分自身も助けてくれることでしょう。
また心の余裕を持つことも大切です。人は心の余裕を持つことで相手を思いやることができます。亡くなったペットを思いやるために、自分が一生懸命生きて幸せになり、心の余裕を持つことも必要だということです。
それによって向き合う覚悟が出来てきますし、供養してあげようという気持ちも出てくるでしょうから、りかこさんの幸せが、回り回って亡くなったペットの幸せに繋がるということになるのですよ。
何か少しでも参考にしてみて下さいね。
その子に真心込めて謝罪しご供養なさって下さい
拝読させて頂きました。
あなたがその子になさったことを読ませて頂きました。そしてあなたがその子を傷つけてあやめてしまい、深い罪を作ったことを読ませて頂きました。
様々な諸事情があったとはいえあなたは悪意を持ちその様な悪業・罪を犯したのですね。そしてその罪に今まで苛まれていらして苦しんでこられたことでしょう。あなたのお気持ちをお察し申し上げます。
その子が必ず仏様に導かれ一切の苦しみから救われ、仏様のもとで心から安らかになります様切に仏様にお願いさせて頂き、心を込めてお念仏おとなえさせて頂きその子をご供養させて頂きます。
なむあみだぶつ
その子は必ず仏様がお救いなさって下さいます。そしてこれから心から安心なさって清らかに円満にご成仏なさって下さいます。
あなたもどうかあなたが犯した罪を心から反省して仏様に懺悔なさり、その子に心から手を合わせて謝罪なさって下さい、そして真心込めてその子をご供養なさって下さいね。
あなたの思いは必ず仏様やその子に届きます。あなたの思いを仏様もその子もしっかりと受け止めて下さいます。
どうかこれから合間合間にその子に手を合わせて謝罪なさりご供養なさって下さいね。少しずつ少しずつあなたの心は清まっていきます。そして少しずつ素直なお気持ちで仏様やその子にお向き合いなさることができるようになります。
その子はあなたをこれからも優しく見守っていて下さいますよ。あなたがどのように思い苦しんでいるかも見守っていて下さいます。
いつの日かあなたが天寿を全うなさる時には必ず仏様があなたをお導きなさって下さいます。そしてその子もあなたをお迎えになって下さいます。あなたはその子に再会なさるのです。そして様々な思いをお伝えになり再会を喜び合うことでしょう。そして共に心から分かち合い成仏させて頂くのです。
これからの未来あなたはその子を思い真心込めてご供養なさり、そしてご家族の皆さんと幸せに生き抜いていかれるのです。どうかこれからもその子に手を合わせて心から謝罪なさりながら見守っていて下さいとお願いなさって下さい。そしてあなた自身が仏様に救われます様にその子に合えます様にと仏様にお願いなさりお念仏おとなえなさって下さい。
南無阿弥陀仏心からおとなえなさって下さい。
仏様は必ずあなたをお救いなさって下さいます。
1000字を超えてしまいます。再度ご質問お願いします。
質問者からのお礼
ご返答、本当にありがとうございます。
罪と向かい合わなければ前には進めないとのお言葉、きっとその通りだと思います。
今回、こうして誰かに打ち明けるまで、15年もかかりました。15年間まったく幸せではありませんでした。恐らく、この罪を思い出すことを避けてきたことが、その根本的な背景だと思います。
供養をするということは、これまで考えませんでした。今でも冷たく暗いところで絶望したままであろうあの子でも、供養によって少しは和らぐのでしょうか。もしそうなのなら、この先一生、供養をしていきたいと思います。
やっと前に進む道、やるべきことが分かってきたような気がします。本当にありがとうございました。
一向寺さま、ご返答、本当にありがとうございます。
「その子は必ず仏様がお救いなさって下さいます」と仰ってくださり、お念仏をいただき、とても嬉しかったです。
もちろん、それで自分の罪が滅ぼされるわけではないことは分かっております。でも、そのお言葉をいただけなかったら、あの子の時間は、何の罪もないのに私に殺されて捨てられた時から、ずっと止まったままだったと思います。
仏様があの子をきちんと見てくれたら、それに勝る喜びはありません。
なお、いつか私を苦しめて殺してくださいと仏様に祈ることは、間違っているでしょうか。仏様はそういう願いも聞いてくださいますか?
ご返答で、「家族とともに幸せに生きていく」と仰ってくださいました。幸せにしか生きられない(=あえて自分の不幸を願ってもあの子のためにまったくならない)ということが、あの子を殺した報いとしての私の義務だという理解で、合っておりますか?
そうだとすれば、それを受け入れて死ぬまであの子を供養して生きてゆきたいと思います。
すみません、とりとめもない文になりました。