ここ半年間で、
理不尽な出来事が仕事の人間関係で何度かありました。
そこで初めて、公園のベンチで切ない顔をするサラリーマンの方の気持ちがわかりました。
そして、ありがたいことにそのときの惨めな気持ちから立ち直ることができ、人の優しさのありがたさを痛感しました。
惨めな気持ちになることで、成長できる‥というのも否定できません。しかし、なぜ惨めなきもにならなきゃいけないんだ!という心の叫びもあります。
具体的でないですが、そういうことについてどう考えますか。色んな意見をききたいです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
❝怨憎会苦(おんぞうえく)❞と言いますが・・・。
あなたは 「四苦八苦」という言葉をご存じですか?。お釈迦様は誰でも、人生には八つの苦しみがあるとおっしゃいました。その中の一つが❝怨憎会苦❞といって、顔も見たくない・声も聞きたくないという人とも、会わなければいけないということです。
会社で〈理不尽な出来事〉があった、というのは、まさにそういうことでしょう。ちなみに「苦」という字は、元々《自分の思い通りにならない》という意味です。
その八つの苦しみを我慢し辛抱して、耐え忍んで頑張っていると、きっと仕合わせ(幸せ)になれる・・・。
ちなみに、「仕合わせ」とは「一生仕える事や人に出合える」という意味です。なお、〈人の優しさのありがたさを痛感しました〉という事は、そのご褒美でしょう・・・。
これからも色々と「苦しい」出来事が起こると思いますが、❝怨憎会苦❞だと「割り切って」前向きに生きていって下さい・・・。キット素晴らしい「仕事や友達」に出逢えるはずです。合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。私は以前と変わらないこともあるかもしれないです。足りないところもあるかもしれないです。でも、私は人に優しくしてもらえたことのありがたさを理解したときに、自分に起こった理不尽なことを忘れられる幸せに出会えました。
それは、私にとって想定外の出来事でした。今まで、ある意味そういう人の優しさに気付けていなかったのです。自分自身の成長も大事ですが、そういう出来事は私にとって忘れられないことになると思いますし、大きな糧になりました。
世の中の人は物事を文字どおりにしか理解しないところが多々ありますし、私もそうだったと思います。しかし、そんな自分から一歩抜け出したことを幸せに思いますし、今回回答して下さった住職さんに私の話を理解してもらえて、思いやりのある返事をいただけたことも幸せに感じます。
ありがとうございました。世の中に、たくさんの幸せや喜びが生まれるよう、私も願おうと思います。