hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

祖母が亡くなりました。

回答数回答 1
有り難し有り難し 9

私は父母私の3人家族で私は現在32歳独身です。
8年前に父方の祖母と祖母の家で同居することになりました。
同居して少しした頃から祖母は認知症になり始めはデイサービスで通いで老人ホームに行っていたのですが、ここ何年かは泊まりでずっと施設にいてお正月お盆などそういったときに家に帰ってきていました。

私は祖母と暮らすことを楽しみにしていて、同居し始めた時は毎日お話をしてたまにどこか出かけたり仲良く過ごしていました。
しかし私の母とは嫁姑のよくあるいざこざがあり、特に祖母は素直に感謝することがあまりできないのでそれがだんだん母にとってストレスとなり同居が母の負担になっていました。
私は母をすごく大事に思っていて仲も良いので、母に攻撃する祖母がだんだん嫌になってきました。

認知症のせいか私にも嫌がることをしてきて、祖母に対してきつくあたったりもしてしまったこともありました。

一緒に暮らすのも窮屈になり、祖母がデイサービス 泊まりの施設利用をすることで家族のストレスが軽減したのが事実です。
内心ホッとしたのも事実ですが、老後に施設に預けられて祖母は生きていて幸せなのかと考えるようにもなりました。
私は心のどこかで今日までずっと罪悪感がありました。
あのときなんであんなにきつくあたってしまったのだろう、もうちょっと優しくできなかったのかな?と。

施設にもあまり会いに行かず、最近ではお正月に少し顔をみたくらいでほとんど会うこともなくなっておりました。

そんな祖母が今朝息を引き取りました。
数週間前から施設であまり喋らなくなり食欲もなくなっていて、介護ができる病院に移って割とすぐに他界してしまいました。

亡くなる前に私も病院へ行き意識がなく呼吸の荒い祖母に声をかけずっと手を握っていました。
手が冷たく血圧も低く、このまま目を開けることなく亡くなるのかもしれないと思うとだんだん悲しくなり涙が止まりませんでした。
今日の今日までこんな薄情な孫だったのに涙を流すなんて私に悲しむ資格があるのかと思いました。
過去の楽しかった出来事が込み上げてきてより悲しくなり、過去に私が祖母にきつく当たってしまったことを思い出し後悔し、私の心の中は悲しみと罪悪感でいっぱいです。
どう気持ちを整理すれば分からずここに質問させていただきました。
乱文ですみません。よろしくお願い申し上げます。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ゆっくりと出会い直していきましょう

ご相談拝読しました。まずもってお祖母様のご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。

南無阿弥陀仏

さて、身近な大切な人の死に接し、私たちには様々な思いが湧き起ってきます。どんな思いも良いとか悪いとかいうことはありません。自然な反応です。

「こんなこと考えちゃだめだ」とか「どうしてこうできなかったんだ」とご自身を責めないでください。どんな気持ちもお祖母様と、その死からいただいた大切な贈り物です。大事に受け止めていきましょう。

お聞かせいただいたことは多くの方が感じることだと思います。

なぜ生前にもっと良くしてあげられなかったのか…

悲しいかな私たちは生きている間は自分の都合にとらわれてぶつかり合ってしまうものなのでしょう。本当のところでなかなか深く出会っていけないものを持っているのでしょう。

それもまた良いと悪いとかいうことではありません。私たちはそういう存在だという事実をお祖母様はその命の終わりを通して教えてくださったのです。

真理に目覚めた人、つまりは本当のことを教えてくれる人のことを仏様と讃えます。あなたがお祖母様からの教えを受け取るところに、仏様としてのお祖母様との出会い直しの道が開かれてくるのです。

悲しみも罪悪感も何もかもから解放された亡き人の姿は、今生きてそうしたものにとらわれている私たちに迷っているのは私たちの方である事実を教えてくれます。

お祖母様の人生はその晩年や死に様だけではありません。生まれてからこれまでの全てがお祖母様の人生です。
そしてまた、死してもなおこれから出会い直していく全てがあなたにとってのお祖母様の人生です。

けして死という一点にそれもネガティブに集約されてしまうようなものではないはずです。それをそう見てしまうのは生きている私たちの迷いなのかもしれません。

悲しむのに資格など要りません。大いに悲しみ泣き悔やんでいいのです。そうした思いがそのまま出会い直しへと繋がっていきます。
それが仏法に出遇うご縁、すなわち供養(供に〔仏法-本当のこと-を〕養う)ということでしょう。

あせって気持ちを整理してしまうことはごまかしや、問題のくすぶりにも繋がりかねません。ゆっくりとじっくりと。あせらずに自然でよいのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

早速のお返事ありがとうございました。
とても心に響く言葉ばかりで、人は死が最期ではないということも分かりました。
出会い直しということも初めて知ったことだったのでとても感慨深く、これから祖母と出会い直しをして向き合っていきたいと思いました。
今回説いていただいたことを胸にこれからまた新しい出会いを大切にしていきたいと思います。

本当にありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ