hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

師匠とどういう気持ちで付き合えばいいかわからなくなってきた

回答数回答 1
有り難し有り難し 11

私は流産、大ケガを経験し、今は転移ガンの治療中です。

その間に、尊敬する師匠に赤ちゃんが産まれました。

厳しかった師匠が、赤ちゃんを稽古場に連れてきて、生徒に子守りをさせその微笑ましい様子を動画で録画しています。
赤ちゃんを連れてこない日は、その分生徒へのしごきがすごいです。

30年以上続ける自分のライフワークでもある趣味で、師匠の技術も作品も大変尊敬してきました。
しかしこの数年の自分の経験により、師匠に対してなんとも言えない気持ちなのです。

私はもう子供を望めず、なるべく赤ちゃんのいる稽古日は師匠に接しないことで自分の心を守っています。
自分のことに集中するのみと思っています。
そして日毎にアップダウンの大きい稽古は、治療中の体への負担が大きいことも伝え、休憩をとりつつ続けようと思っています。

師匠は、ガン治療中の私に、特別なかたちで1人の発表の場を与えてくれました。
稽古が私の治療のモチベーションになってることを理解してくれています。
そういった配慮や心遣いは大変ありがたいのです。
しかし、今まで気分で態度を変えられたり、私の尊敬心を弄ばれるように感じてしまったことも実はあります。
人間だから仕方ないとも思います。

そして、尊敬する師匠が幸せそうなのはとても良いことで、治療中の私への気づかいも大変ありがたい。
しかし稽古中に心がえぐられるような気持ちになる瞬間があることも事実です。
小さな頃からした経験や、いまは転移ガンや流産を経験し、なんだかさめたような気持ちになっていることもあります。

30年以上のこのライフワークはできれば続けたいです。
しょせんは他人。
しかし余計なねたみやつらい気持ちが、自分で自分を苦しめています
やはり尊敬している部分はあり、恩もあるので、真心をもって接したいとも思いますが、どこまでが真心なのか。
「自分はもう子供は望めないが、稽古が毎日のモチベーションになっている」ということを、新生児をかかえたお母さん(師匠)に言うのも、どうかと…

師匠とどんな気持ちで付き合っていけばいいでしょうか


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

醜い感情は心の主人ではない

浄土宗とう宗派でメインの修行は、南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)える念仏です。
ところが、人間の心には、念仏しながらも様々な妄想雑念が浮かんできます。
念仏すること自体を忘れてしまうくらいに。
これについて、日本の浄土宗を開いた法然上人は、念仏が心という家の主人であり、妄想雑念は心のお客さんだと言われました。
お客さんは、心にやって来ますが、必ず去って行きます。すると、主人である念仏が心の真ん中に現れます。
怒り・悲しみ・嫉妬・パニック、欲、怠け心などの妄想雑念、あなたの師匠への不快な感情は、心のお客さんです。
お客さんは必ず過ぎ去ります。
そのときに、心の主人として顔を出してもらいたい、心のホーム画面は、どのような気持ちにしたいでしょうか。
たとえば、生きとし生けるものの幸せを願う落ち着いた気持ちや、うろたえずにやるべきことをやる集中した状態を、心の主人に設定してはどうでしょうか。
妄想雑念は浮かんでも良い。醜い感情も浮かんで良い。
しかし、それらは必ず過ぎ去る。
雲は月を隠せても月を壊せない。雲が去ればまた月が照らす。
映画の映像は白いスクリーンを汚せない。映画が終われば真っ白いスクリーンに帰る。
そのように、瞬間瞬間に生じては滅する思考や感情を、客観的に見つめましょう。
たとえば、あなたが師匠と一緒に1時間過ごす間にも、心では、主人お客お客お客主人主人お客お客主人と入れ替わりがあります。
お客が来たときも、これはお客だ、お客は必ず過ぎ去ると、安心しましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

「安心しましょう」とのお言葉、本当にありがとうございます。
心のつきものがとれたような気持ちです。

「心の主人、心のホーム画面は、どのような気持ちか
生きとし生けるものの幸せを願う落ち着いた気持ち
うろたえずにやるべきことをやる集中した気持ち」

お言葉いただき、そうでありたいと、気づかせていただきました。
また醜い感情もお客さんだと受け止めることができました

お言葉頂戴して以来、とてもらくに、稽古に励むことができています。
本当にありがとうございました。

「学校の先生・教授」問答一覧

教授に嫌味を言われた

必修の教授が嫌いです。 4月から2年生になったのですが、第二外国語の授業は1クラス25人ほどの少人数クラスで、二年生の後期まで受けることが卒業要件に必須です。私のとっている言語は2クラスしかなく、どちらか1クラスを選んで取ることになります。 1年生の間は、第一志望の大学ではなかったことや友人関係で鬱気味になって第二外国語だけでなく学校は1年間ずっと休みがちになっていました。前期は二外の単位がもらえる欠席回数上限を越すことはなかったのですが、後期は精神状態がさらに悪くなり、休める上限回数を超えてしまいました。(そのうち一回は正月の帰省の際に飛行機が止まってしまい帰れませんでした) 二外は週2回で、それぞれ別の先生が担当するので欠席回数のカウントは共有されているはずです。嫌いな先生ではないもう一方の先生が、一年後期の分は成績評価をdにする代わりに単位をくれました。 2年生の春から心を改めて頑張ろうと思って今日初回授業に出ました。初回授業は自己紹介だったのですが、自己紹介で私の番が回ってきた時に嫌いな先生に〇〇さん単位取れたんだね!とクラス全員に聞こえる声で言われました。もともとおしゃべりが多く、人をそうやっていじるタイプの先生ではあったのですが、クラス全員に笑われてしまい、クラスのうるさめな男子にはまあ休めるだけ休めるのは賢いよねーと大きな声で言われてしまいました。恥ずかしくてしょうがなくて、もう次回から学校に行きたくありません。 クラス全体の前でそのようなことを言うのは嫌がらせではないのでしょうか、それとも気にしすぎで、私のメンタルが弱いだけでしょうか?今日が初日で、せっかく今年から頑張ろうと思ったのに出鼻をくじかれて、本当に今も電車で泣きそうです。 これをきっかけにもう一つのクラスにクラスを変更したらクラスの人や教授に何か言われるのではないかと怖いし、そんなことで引きたくない、見返したい自分もいます。 私は人の目を気にしすぎなのでしょうか。気にしすぎない方法を教えてください。どうかよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 0
回答数回答 1

「やろうとしていない」と言われ続け辛い。

こんにちは。私は現在大学生で、音楽の学科に入っています。 そこでの大学の先生に言われる「あなたやろうとしてない」という言葉が辛いです。 音楽科では、生徒は基本、誰か一人の先生の弟子になり、その先生のレッスンを受けることになっています。(音楽科の中では門下といいます) 私もある先生の門下になったのですが、週一回必ずある、その先生のレッスンで下記のことを言われます。 先生に言われたことの全てができないと 「なぜ私が言ったことをやろうとしないの?」 その後、「やろうとはしてます」と返すと 「それはやろうとしてると思ってるだけで実際にはできてないから。」 他にも一度に多くのタスクを課してくることもあり、それもできないと 「なんで?さっきやってたことの上に付け足すだけだよ?それがそんなに難しいことなの?」 私は不器用な性格で、一度に多くのことができないタイプです。 頭が混乱して全部できる余裕がないです。と先生に伝えても 「頭が混乱してるのは誰の所為なの?あなたが自分で混乱させて自分の気持ちに余裕なくしてるんじゃない。」 「自分で不器用だと気づけている人は本当は不器用じゃない。自分で自分に制限をかけているだけ」 とも言われました。 褒めてくれることもありますが、最近はその「やろうとしてない」という言葉が嫌になり、自主練の時でもレッスンに言われたことなどがフラッシュバックに涙が出てきて、毎日練習室で泣いている日々が続いています。 「やろうとしていない」という言葉が、なにを持って言うのか、よく分からず、いつも 頭を抱えています。 私はこのままその先生のところでレッスンを続けるべきなのでしょうか? 先生に言われていることは理不尽だなと思いますが、同時に「確かに自分で自分を制限かけているのかな?」などとも思っています。 一応、他の先生に相談すれば他の音楽の先生に変えてくれる制度はあります。 長文駄文になり申し訳ありませんが、回答よろしくお願いします。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

昔の教え子から相撲対決をお願いされました

小学校教諭の男、40代です。 先日、10年前の教え子(当時小4)から突然電話がありました。 用件は何と「先生と相撲で勝負したい」とのことです。 実は私、身長は170cm程度ですが、体重は当時も今も100kg以上あります。 その子は、(当時は知りませんでしたが)幼少時から相撲観戦が大好きで、巨漢である私が担任になってから「いつか相撲をとってみたい」とずっと思っていたそうです。 私も、突然の連絡が相撲対決申込みというだけで既に驚きましたが、彼が当時クラスの男子で最も小柄・細身で性格も優しい子だったので「まさか、あの子が相撲なんて」と更に驚いています。 「担任だったときの先生は、幼かった自分にとって本物の相撲とりのように大きな存在だった。今自分は体重53kg程度で相変わらず痩せており、先生の相手にならないことは分かっているが、先生の胸に渾身の力を込めてぶつかっていきたい」と真剣な口調で話してくれました。 私は、電話が来たとき他の用件で忙しかったこともあり一旦返事を保留しましたが、彼の申し出を受け入れるべきか悩んでいます。 というのも、今の私自身が極度の運動不足・不摂生だからです。 学生時代から続けていた野球を20代後半でやめて以来ほとんど運動していません。 酒もタバコも相当やる方なので、不摂生がたたって最近では階段を上がっただけで息切れしてしまう有様です。 体重こそありますが、まともに相撲をとれる自信がありません。 相手は約半分の体重とはいえ、一番体の動く20歳前後ですので、もしかしたら今の私より強いかもしれません。 そして何より、今の私自身が、幼き日の彼の目に映った本物の力士のような屈強な存在ではなくなっていることが最大の心配です。 もし私が情けない負け方をしたら、彼の憧れを壊してしまわないでしょうか。 私は彼と相撲をとっても構いませんし、彼に相撲で負けても不愉快な気分にはなりませんが、元教え子の思いに応えるべきか悩んでいます。 (尚、私も彼もスポーツとしての相撲経験はありません。)

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

先生から嫌がらせを受けています。

私は教育現場で働いています。同じ教員である先生から嫌がらせを受けています。私に嫌がらせをしてくる主犯格はA先生、そして口の上手いA先生のことを信じ、つまらない情報収集に勤しみ告げ口をする養護教諭、教頭、校長がいます。 嫌がらせは去年から始まりました。A先生と今はもう異動して職場にいないB先生、そして私の3人は学年部のチームでした。もともとA先生が持ち上がりたかった学級を私が受け持つことになり、初年度がスタートしましたが、この時点からA先生は私のことが気に入らなかったようです。 途中から似たもの同士のB先生と結託し、日々の陰口に加えて、次第に学年部の会議に私を呼ばなかったり、学級の物や私物を勝手に使われたり荒らされたりするようになりました。 最初はコソコソしていた陰口も、段々大っぴらにするようになり始めた頃には、私のメンタルも参ってしまい、2学期の終わり頃に限界を迎えてしまいました。 廊下で一人号泣する私を前年度の校長が発見してくださり、これまでの経緯を話し、A先生とB先生に話をしてくださることになりました。それ以降、ピタッと陰口が無くなりました。 本当は2人とも全然反省しておらず、相変わらず陰口を言っていたことは知っていましたが、私に聞こえるように言わなくなっただけで、随分と仕事がし易くなりました。 しかし、前年度の校長が異動でいなくなってから再びA先生が動き出しました。 今度は自分から動かず、先に話した養護教諭、教頭、今年度から赴任した校長を使って監視をしてくるようになりました。何かアドバイスをする訳でもなく、学級の様子を観察しに来ては、陰口の材料として楽しんでいます。 子ども達に楽しくわかりやすく勉強を教えたいとあれこれ考えていたのに、最近は、「この授業で大丈夫なのか。また陰口を言われるのではないか。」という風にしか考えられなくなってしまい、辛いです。 いじめ問題や人権教育を語るあの口で、どうしてこんな酷い言葉が吐けるのか。理解できません。 もともとA先生と仲が良い養護教諭と教頭は、去年私がどんな目に合ったか知っている上でA先生に協力的です。 憎いです。いけないことだと分かっていますが、彼女、彼らが不幸な目に遭えばいいのにと願わずにはいられません。 しかし人を憎む自分も嫌で、考え方を変えたいとも思っています。ご助言をいただけると幸いです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

指導教員との関わり方が難しい

大学の卒業研究で指導して下さる教授が、プライドの高い方です。周りの大人も先生をヨイショしまくっており、時にはそのヨイショに良い気持ちになり言動が大きく(悪口など)なることが多々あります。 研究者として非常に優秀な方ですが、近年ではハラスメントと言われる言動を周りを気にせず、担当の学生に行います。特に私が気にられていて(退官前最後の学生だからか)、同級生の前でイジリを繰り返してきます。 この半年間、先生は一種の愛情表現としてそのような態度を取ってくるのだろうと、必死にそれを理解して上手く対応しようとしてきました。しかし院試を半年後に控え卒業研究が残り1年になった今、わからなくなっています。精神的にまいってしまった、とは被害者ヅラするようで言いたくありませんが、辛いです。そこで今後の展望と伴うリスクを以下に書きます。 1) この研究分野に今後も影響力を与える先生を、上司として割り切った上で自分を演じ、轢かれたレールで比較的順調な学生時代とその後の研究人生を過ごす。すると先生と、表面的にはより良い一生の付き合いを続けることになるが、先生との関係は続く。 2) 今与えられている環境を捨てて(他大学や海外)、自分の研究人生を自分で切り開いていく。影響力のある先生なのでどこかで何かしら私の悪口を言ってそれが耳に入ることがあるだろう。または研究分野の学会で不評を流される可能性もある。 今考えないと、きっと流されて今後もずっと先生の言うことを聞く弟子でしかなくなってしまうと思うのです。割り切って付き合うのか、いっそ離れるか。院試を控えた今、悩んでいます。 (古いタイプの人間は今後より淘汰されていくと一般的に言われますが、研究界ではまだまだ強く深く根付いています。時間はかかれども私たちの世代が変えていきたいという気持ちです。)

有り難し有り難し 11
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ