地縛霊など
娘の自殺についてご質問させていただいたものです。
もう一つご質問なのですが、かなり類の異なる質問なので、改めてお尋ねさせていただきます。
娘には悩みがあったとはいえ、誰にでもあるごく普通の悩みであったようにも思います。基本的には明るい子で、楽しいこともたくさん経験させてきたつもりですし、突然、そこまで思い切ったことをしたことが納得できずにおります。
ただ、ここ最近、娘の部屋が足の踏み場もないくらい異様に散らかっていたこと、夜一人では怖いといって、私のベッドで一緒に寝ることが何度かあったこと、私が仕事から帰るとベランダに出て何かごそごそとやっていたことなど、心配な行動もいくつかありました。
娘の部屋のベランダの向かいの大通りでは、過去に自殺や事故で死亡者が複数出ているという話を聞きました。よく言われる地縛霊とか浮遊霊などに引き込まれた可能性はあるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
事実を事実として
前回のご相談とあわせて拝読しました。娘さんのご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。
南無阿弥陀仏
さて、親心として娘さんの選択の原因を何としてでも突き止めて納得したいというお気持ちはわかります。
しかし、娘さんが正に命をかけてまで選択したその結果を地縛霊とか浮遊霊などのせいにしてしまうのは娘さんの選択を否定するものになってしまうのではないでしょうか。
他者から見れば「誰にでもあるごく普通の悩み」だったのかもしれません。しかしその悩みについて命をかけるまでに激しく考えた娘さんの姿勢を思うと、それがけして軽いものでないことは確かでしょう。
人間は「わからないこと」が恐怖やストレスであり、自分が「納得」するためには、事実は置いといて、いやもっと言うならば、自分の分かる範囲に事実をねじまげてでも「納得」したいという悲しい性があります。
それがいわゆる霊や祟りなどの迷信をも生むのでしょう。そう思い込めばスッキリ納得できるからです。
しかしその「納得」の背後には傷ついた人がたくさんいるのかもしれません。誰かの納得が、だれかの事実・真実をねじまげてしまうような悲劇です。
たとえ納得などしてもらえなくとも、親にも理解をしてもらえなくとも、「私はこうなんだ」「こう思うんだ」「こう感じているんだ」、娘さんはその事実をありのままに受け止めてほしかったのではないでしょうか。
納得し、共感してほしいわけでなく、「あなたはそうなのだね」とまるごとの自分をそのままに受け止めてほしかったのではないでしょうか。
今となっては悩みについての事実・真実はわかりません。しかし今からでも受け止められる事実は娘さんは命をかけてまで自身の悩みに真摯に向き合ったということです。生きる意味、死への恐怖についてある意味では今生きている誰よりも強く激しく問うたことでしょう。
その事実だけでもそのままに受け止めて尊重して差し上げませんか?
悲しみや後悔など様々な思いは尽きないことと思います。これからゆっくりと娘さんと出会い直していきましょう。
質問者からのお礼
早速ご回答いただきありがとうございました。
おっしゃっていること、その通りですね。
このような質問をしてお恥ずかしい限りです。
私自身の逃げ場を探しているのですね。
私自身もいろいろ悩みを抱え、死にたいと思うこともありましたが、そこまで踏み切る勇気はありませんでした。
年を取るごとに、いろいろ経験するごとに、自分が強い人間であると自分に暗示をかけて、できるだけ思い悩むことを避けて生きてきたように思います。
娘は私の苦労をある程度、理解していたようには思います。
最近、私のようにはなりたくないと、もっと楽に生きたいと初めて言いました。
娘と私はまったく同じでないせよ、性格で似ているところが多くありました。
人に弱みを見せたがらないところもよく似ています。
私のせいです。ただ、この重荷を背負って生きていく自信がないというのも本音で、逃げ場を探しているのですね。
気づかせていただきありがとうございます。