凶悪犯に同情してしまう
いつもお世話になっています。
不謹慎な話かもしれませんが、昔から犯罪者、特に社会を揺るがすような凶悪事件の犯人に同情することがよくあります。
凶悪犯罪を起こした人たちって大抵、幼い頃に親に虐待されていたり、容姿に強いコンプレックスがあったり、学生時代にいじめられていたりする傾向があるように思います。だから、もし周囲の環境が違ければ、彼らも人並みの幸せな生活を享受できたのではないかなぁと感じるのです。
私は昔から容姿に強いコンプレックスがあり、対人関係が苦手なので、彼らに対して「今まで辛かったんだろうなぁ」とか「もし周りの環境が異なっていればなぁ」という思いを抱き、同情してしまいます。私と同じように、社会や人生に何か失望や不満を抱えた人達が、その失望や不満を上手く処理できずに爆発してしまった結果が、ああいう凶悪犯なのかなぁ、と思ってしまうのです。
知人にこういうことを話すと、「被害者が苦しんでるのに不謹慎だ」とか「変わってる」と言われてしまいます。
もちろん被害者や遺族の方々がいちばん辛いのは分かっていますし、自分がどんなに苦しんでいても、その苦しみを暴力という形で人にぶつけたり、ましてや人を殺めてしまうのはいけないことだとも分かっています。でも、彼らがただの異常者としてワイドショーや雑誌で取り上げられ、人々に叩かれているのを目にすると、なんだかやるせない気持ちになります。
私の考えはおかしいのでしょうか?お坊さま方の考えをお聞かせ頂きたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
おっしゃる通りです
拝読させて頂きました。あなたのおっしゃる通りですね。犯罪を犯した人は生まれてから幼い時の成長する過程で様々な思いをしてきたことでしょうからね。そうしていって犯罪を犯さざるを得ない状況に追い込まれてしまったのですからね。様々な悪縁が重なってしまいあるきっかけがそうさせてしまったとも言えるでしょうからね。犯罪を犯した人の気持ちを考えれば同情しますよね。
ですからそのような悪縁が重なっていけば誰しもがそのような犯罪を犯してしまう可能性は充分あると思います。
とはいえどのような理由があっても犯罪を犯したのはやはり本人の判断があったからですからその責任はまず本人にあります。そして少なからずその環境や社会や国家や世界にもあるでしょう。私達一人一人にもあるのです。
ですのでそのような悪しき考えや行いをしないようにと私達一人一人が共に考えて行動していくことが必要ですよね。
私もあなたも誰しもが完璧ではありません、どこか弱みもあれば強みもあります。ですから共にお互いを思いやり尊重しながら助け合って生きていくことが大切ですよね。そのような悪しき考えや行いにならぬようにみんなで力や知恵を出し合って仲良くカバーしあって生きていきたいですね。
あなたがこれからも様々なつながりの中で共に助け合いながらお健やかに成長なさっていかれて心豊かに皆さんと一緒に生き抜いていかれますようにと切にお祈り申し上げます。
私もあなたも共につながっていますからね。これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。
凶悪犯もいろいろです
私は刑務所の教誨師という役を勤めさせていただいております。立場上、犯罪者の方々と面談する機会があります。と言っても、個人情報保護の観点からすべての情報を見せてもらえることは出来ませんし、面談を通して知り得た個人情報をネットで流すことは出来ません。具体的な統計データを所持している訳でもないので、大雑把な説明しか出来ません。
本当にかわいそうな境遇のため、教育の機会にも恵まれず、仕事にも恵まれず、窃盗を生業としてきた方も少なからず居られます。非行を繰り返す中で、就職先が反社会的組織(893)しか選択肢がなくなってしまうケースも多いようです。長い懲役や無期懲役で服役している方々はかなり重い犯罪を犯しています。でも、必ずしも生まれつきの凶悪犯という訳ではありません。重い刑に服しているからと言っても、すべての人が根っからの悪人だとは思いません。多分に同情の余地はあると思います。犯罪者の境遇に同情し、なんとかならなかったのかと思いやる気持ちは尊いと思います。どうか其のお気持ちを今後も大事にしてください。
しかし、一方で犯罪の被害者のことを考えれば、犯罪を正当化していまってはならないことは言うまでもありません。映画やテレビドラマでなら、脚本で「殺されても仕方がない。」という台詞は存在するでしょう。しかし、いくら犯人の生い立ちがかわいそうで、悲惨な境遇で育ったからと言って、他者の命や財産を奪うことを正当化してはならないと思います。生まれつきの悪人根っからの悪人は居なくても、他者の命や財産を平気で奪う悪人は少なからず居ります。正当化できない筈の犯罪行為を、自分の中で正当化してしまっているのです。「性根まで腐った」犯罪者も居ます。すべての犯罪者が同情にするに値するとは限らないのです。
今後も個々の事例に即して、犯罪者の境遇に同情してあげたり、犯罪者の更正を願ってあげて下さい。suiさんが犯罪を推奨したり正当化したりする意図を持っているわけではないことは、理解しております。但し、同情の言葉が、犯罪を正当化したり被害者をより苦しめたりすることにつながらないよう、御注意ください。
慈悲の心は大切
あなたのおっしゃるように、生い立ちや持って生まれた能力などによって犯罪に走ってしまうのかもしれません。
ですから、仏様は、どんな悪人や罪人に対しても慈悲の心を注ぎ、見捨てないのです。
もちろん、世間には世間のルール(法律)がありますから、犯罪者は法律に則って罰をウケる必要があります。
そこは、ルールはルールと割りきるべきかもしれません。
仮に死刑になるような犯罪者でも、南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えれば極楽浄土に往生できます。
だからといって、仏様は、どんな罪を犯してもよいとは言わないのです。
どんな悪人でも救われると信じつつ、小さな罪も犯さないように努めましょうというのが、仏教(特に浄土宗)の考え方です。
質問者からのお礼
皆さま回答ありがとうございました。
東様に至っては、またまた私の質問に答えていただいてしまいました。本当に東様のお言葉には助けられてばかりです。お互いに支え合い、尊重し合い、心を病める人がより少ない社会を目指せれば、即ち犯罪のより少ない社会が目指せるのでしょうね。こちらこそ、是非これからも宜しくお願いします。
他のお二方もありがとうございました。願誉浄史様のお言葉も、吉田様のお言葉も、とても興味深く拝見させて頂きました。