情熱がなく、味気なく過ぎていくだけの日々
10代の頃は特にこれといって強い夢などもなく、なんとなく心地よさそうな方を選んでそちらに流れる生き方をしていました。
20歳のときに思い切って海外に飛び出し、異国で1年間生活しました。
この経験で積極的になり、生まれ変わったような心境で帰国し、「これを残りの人生やろう!」と思える仕事に出会えました。
しかし2年ほどでその仕事も辛くなり、また興味も失せてしまいました。
せっかく自分にとって使命とさえ思える仕事に出会えたのに、それですら自分は続けられないのか、とかえって以前より自分に自信を失くしてしまいました。
今はその仕事は特に情熱はないもののアルバイトとして続けており、平行して興味のある分野のアルバイトをやってみようと思い仕事を探しています。
ただ、もう20歳に海外にいた頃や仕事に熱中していた頃のような、燃えるような情熱を全く感じないのです。
今の自分は無色透明で、いてもいなくてもどちらでもいい、誰も困らないし特に悲しまないような存在に思えてなりません。
また、20歳の頃は燃えるように恋をしたものですが、今は傷つくのが怖く無難な恋愛しかできずにいます。
これは相手にも失礼なことと分かりつつ、やめられずにいます。
何というか、自分なりにもがいてみてはいるのですが、今の自分は情けなくて自信が全く持てません。はっきり言って大嫌いです。
強く「死にたい」なんて思いませんが、今の自分には積極的に生きるべき理由もよく分かりません。
こんな自分にも生きる意味はあるのでしょうか。
今はひたすら虚しさに耐えるべきでしょうか。
失敗したくないという恐れが強く、完璧でいたいと願うばかりに、何をするにも考えすぎてしまい行動ができない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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何気ない生活も、淡々とこなす仕事にも、人の暮らし.幸せがある
燃えるような情熱かぁ。。。
そうですね、一度味わうと、またあの頃のようにと思いますよね。
燃えるような情熱を抱きながら、何ごとにも打込めている人が、どのくらいいるのでしょうかねぇ。
考えてしまいました。
情熱の持続というのも、なかなか難しいですし、人生の中で、一度でも出遇えたことが素晴らしいのかもしれませんね。
日常の何気ない生活も、淡々とこなす仕事にも、必要性があり 人の暮らしがあるもんです。
そんな中にある、ちょっとした変化にも気付ける毎日も、また幸せを感じるものだったりしますよ。
見る角度を、ちょっと変えてみませんか。
やり甲斐って、溢れているようにも感じます。
また、のんびりと流されていく中にも、幸せってあったりしますよ。
焦らずに、ボチボチと、いきましょう。