来世について
こんにちは。度々お世話になっております。
私は、高校時代に授業で餓鬼草子や、地獄絵を知り、その時から、とても怖いなぁと思っていました。
私は、やむを得ず悪いことをしたり、言ってしまったりしたことも多くあります。それをとても後悔していると同時に、地獄道など、恐ろしい世界に生まれ変わるのではないか、と考えてしまい、不安で夜も眠れなくなることがあります。
私は、来世でも人間として、人生を歩んでみたいです。そのため、地獄の恐ろしさという自分の感情を上手く受け止め、今をより良く生きる考え方があれば教えて頂きたいです。
一度悩み始めると、その事しか考えられなくなる。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
地獄も極楽もあなたの心中にあり
拝
地獄絵ってすごいインパクトですよね
でもあくまでフィクションです
地獄絵の類は輪廻を字の認識が出来なくても
六道輪廻の思想がわかりやすいようにと
僧侶が絵師に想像させて描かれた背景があります
いわばフィクションで漫画の原点的なものですね
絵巻で大事な事は教訓です
地獄も極楽も何もあの世ばかりにあるのではないのです
怒ってばかりいる修羅道に落ちている人々
餓鬼道では
思ったように食べることが出来ない餓鬼もおれば
金持ちでなんぼ食べても満足しない餓鬼もおります
この世でも「あるある」でしょ?
とどのつまりは
自分の事しか考えない人間には財があろうとなかろうと
本来の豊かさにたどり着けないのです
又は、人に産まれなければ畜生以下の生物に産まれる畜生道に落ちることになります
がしかし
Hikariさんいいですかな?
仏教の目標は人間に再び産まれる事ではないのです
次は人に生まれ変わらないように
この世でたくさんの徳を積み仏になる事が目標なのです
自分のことばかり考え
恐れや不安に囚われれば
妄想が頭を支配し
誰かが喜ぶ事を考えていれば
自他に幸せが溢れます
ほらね地獄も極楽もこの世にあるんです
人間に産まれた幸運は
どちらも自分で選択出来るということです
他の動物に産まれたなら
こうした自我コントロールは出来ないのです
日々精進して自分を極楽に保ち
次はこの世に生まれないよう
生きるのが我々仏教徒の本来の勤めなのです
まずは不安や妄想から離れ
この瞬間を安心で満たすよう努めましょう
合掌
念仏すれば大丈夫
南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えれば、臨終の瞬間に阿弥陀仏の力で極楽浄土に往生できます。
極楽浄土には、地獄・餓鬼・畜生の三悪道はいません。
だから大丈夫。
仏様はどんな悪人でも見捨てません。
ただし、悪を行うのを推奨されているわけではありません。
悪を止め、善を行うことは、この世で快適に暮らすためにも、来世で悟るのが早くなるためにも、役立ちます。
質問者からのお礼
丸山晃俊様、願誉浄史様、ご回答頂き、ありがとうございました。
丸山晃俊様
「誰かが喜ぶ事を考えていれば 自他に幸せが溢れます」という言葉が、とても心に響きました。相手を思いやることで、自分も相手も心穏やかに生きることができるのではないか、と思いました。現世も来世も極楽になるよう、努めていきたいです。
願誉浄史様
仏様は私達を救って下さるのだ、と分かり、とても温かい気持ちになりました。「悪を止め、善を行う」ことで、これからは穏やかな気持ちで生きて行きたいです。