心を開けない
私には有難いことに素敵な友人や同僚が沢山います。
みんな、私のことを大切にしてくれているんだろうなと感謝しています。
ですが、それが私の思い上がりなのではないか、影では何と言われているのだろうととても不安になります。
思い悩んだときや辛いとき、友人にメールや電話で相談したり、会いたいと言うことができません。
面倒くさいやつだな、何でこんなやつのために時間を割かなければならないのか、気持ち悪いやつなど思われるのではないかと不安になるからです。
過去にリストカットをしてしまい、左腕は手首から肩まで洗濯板のようになっています。
それを見られるのが怖くて、知られるのが怖くて、常に左腕を気にしてしまいます。
何となく気付いているけど何も言わずにいてくれてるんだろうなと思うことも多くありますが、不安で不安で仕方がありません。
私が一方的に友人と思っているだけではないかなど、人間関係において不安しかありません。
本当はもっと仲良くなりたいし、本当に大切な人たちばかりなので依存ではなく、お互いに頼り、頼られる関係になりたいのです。
どうすればいいでしょうか?
長文・駄文で失礼いたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人間関係の基盤は、相手への思いやりと感謝の気持ちです。
はじめまして。亀山純史と申します。
人間とは本来、利己的な生き物です。これは他の生き物においても言えることかもしれません。しかし、人間が他の生き物と違う点は、相手に対して感謝の気持ちを持つことが出来ることではないでしょうか。ですから、「私には有難いことに素敵な友人や同僚が沢山います。みんな、私のことを大切にしてくれているんだろうなと感謝しています。」という気持ちは非常に尊いものだと思います。
一方、私たちにとって一番愛おしい存在は、私自身ですから、「こんなことをしたら、人は自分のことを何と思うだろうか。」とか「もしかしたら、私がいないところでは...」などと考えてしまいがちです。
この2つの心(感謝の心と、疑心暗鬼の心)をどのように調整していけばよいのでしょうか。私は、人に対しての感謝の気持ちがあれば、それだけで十分と言えるのではないかと思っています。なぜならば、感謝されて嫌がる人はいません。そして、相手に対して本当に感謝しているのであれば、その相手のために今自分に何が出来るかを考え、実行に移すことです。それは決して、自分自身を犠牲にして、相手のことだけを考えることではありません。相手に甘える時は甘えてよいのです。
人間関係は決して楽ではありません。お互いの勘違いで意思の疎通がうまくとれなくなったり、ちょっとした発言が、相手をひどく傷つけたりすることはあります。でも、最後は相手への思いやりの気持ち、感謝の気持ちではないでしょうか。「お互いに頼り、そして頼られる関係」の基盤には、相手への思いやりと感謝の気持ち、言い換えれば、お互いに信頼しあい、尊重しあう気持ちがなければいけないでしょう。
以上が私からの回答です。これからも素敵な友人や同僚を大切にしてくだい。
質問者からのお礼
ずいぶん遅くなってしまいましたが…
なんだか、心が軽くなったような気がします。
ありがとうございます。
これからも周りの人達を大切にしていきたいと改めて思いました。