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懺悔します

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有り難し有り難し 23

私は罪悪感を感じていることがあり、どうしてこんなことをしてしまったのだろうと思い、とても苦しいです。その行いを正し、もうしないようにしたいため、懺悔させて頂きます。

・家のお金を勝手に使ってしまったことがあります。
・保身の為に嘘をついたり、約束を守らなかったことがあります。
・機嫌が悪いとき、人に八つ当たりをしてしまったことがあります。
・子どものころ、家族や従兄弟に暴力を振るってしまったことがあります。
・ペットの世話をさぼってしまったことがあります。

人と幸せを分け合い、人生を楽しくしていくため、また、私のような悪いことをしてばかりの人間が少しでも救われる為に精進していきたい所存です。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

懴悔とは

切なる懴悔の思いを確かにお聞かせいただきました。

「どうしてあんなことをしてしまったのだろう…」ということは私たちには多々ありますね。私もそうです。

虫の命で残酷な遊びをしてしまったこと、友だちに嘘をついたこと、職場で自己中心的に振舞ったこと…思い返せば恥ずかしいばかりです。

それらを懴悔して「少しでもマシな私に…」という思いは大事なことだと思います。しかしそれが世間一般のいわゆる向上心と同じ論理であるならば、それが逆に自分を責めたり苦しめたりするものになってしまうこともあるかもしれません。

より多く、より早く、より正確に、清らかに、汚れなく、純粋に

…果たしてそんなものに私たちは成れるのでしょうか。

仏様の智慧で見る私たちの姿はどいういうものかというと

命を奪わないと生きていけない私。自分の都合でしか考えられない私。執着を離れられない私。

それが現実であり、揺るぎ無い事実です。

そうであるならば、自己反省して向上心をもったとしても、それが世間の価値観の範囲内のものならば迷いの中をぐるぐる回っているに過ぎません。心の持ち様では私たちの存在の事実は変わらないからです。

懺悔とは自己反省ではなく、仏の智慧から我が身の事実を言い当てられ、それに頷くことです。

「罪をつくっていく私でしかなかった」

というこの身の事実への頷きこそが私を今救うものです。

向上心とは向上した先の私を良しとし、そうなっていない今の私をダメなものとしてしまう論理です。その向上が本当に叶うものならばその先に救いもあるかもしれません。でもはたして私たちはマシになることがあるのでしょうか。

縁(条件)さえととのえばどんな振る舞いもしてしまう…そう仏の智慧は私の姿を厳しく言い当てておられます。

過去にしてしまったことは確かに避けられるならば避けたいものであったのかもしれません。でもその時はそういうご縁の私であったのです。そしてこれからもそういう私なのでしょう。

だからこそ、自分でどうにかしようともがくのでなく、仏様の教えを聞かせていただくところにはじめてこの身を深く問うていく道が開かれるのではないでしょうか。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

吉武文法様、丁寧なご回答ありがとうございます。

「自分を責めたり苦しめたりするものに」なっているという文に、ドキッとしました。なるべく良い人になろう、正しい行いをしよう、と考えすぎて、逆に苦しんでしまうことがあるからです。

確かに、仏様の仰る通り、私はこれからも多くの罪を重ねていくと思います。これからは、仏様の教えを聞き、自分の存在を見つめていきたいと思います。

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