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日本、自然死を知らない医師

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有り難し有り難し 6

いろいろ、いろいろ、思うことがあって、思うことがあり過ぎて溢れて、うまく文章に出来ないです。

死とは何か…医者は自然死を知らない
「延命治療」蔓延する日本と「自然死」選ぶ欧米

夕刊◯ジの記事は、良くも悪くも、日本人の「自然死」に対する考え、気持ち、心について、考えるきっかけを与えてくれているように感じました。

良いとか悪いとかじゃなくてです。

いろんな意見があります。

どの方の意見も分かります。

そうだね、そうだよね、と思います。

ただ記事にすると、意見の押し付けや行き過ぎた言葉が並んでしまいがちで…

でも、それも仕方がないことで…

何せ人間が書いた記事ですからね…

意見の押し売りさえなければ、それも良しとするしかありませんよね。

私も自然死賛成、いや、自然死なんて嫌だ、延命治療はしたくない、いや、延命治療だって必要だ…

どれも、そうだよね、と思います。

医療者の側からすると、治療拒否→治療しない、とは出来ない事情もあります。

それも仕方がないこと。

最近、腎臓の病気を患う患者さんに対して、人工透析をせず死なせた!という事件(?)が世間を騒がせたけれど…

じゃあ…ただ人工透析を続けるのみ、人工透析の拒否を受け入れない医師が、良い医師、正しい医師、と言えるのか…

私がよく経験した話になります。

タクシーに乗った時に「◯◯大学病院までお願いします」と言うと、私がまさか職員とは知らず、見舞い客か何かと思って、こんな話をされたりするのです…

「僕の兄貴も腎臓悪して、ずっと◯◯大学病院で透析うけとったんや。でもな、しんどうてしんどうて、もうええ、透析はやめる言うてな、ホンマにやめて、死んでんけどな、やめて良かったわ、医者は反対してたけどな、やめて良かった…」

だから、透析どうこうは、そんな単純な話ではないと私は思うのです。

じゃあ、ケースバイケースだ!という人が正しいかと言えば、そんなこともないし、それだって言ってしまえば綺麗事であり他人事のように聞こえます。

正しい答えなんて、ない。

じゃあ、どうしら…?

お坊さまたちは、人が人としとある最後の姿、亡くなった姿をたくさん見ている貴重な方々です。

自然死、延命治療、その他いろいろ…

お坊さまの意見…?というか…お坊さまの心の中にある想いをお聞かせ願えませんか?

2019年5月23日 4:24

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

時代と個々の選択と

延命治療に関する考え方は時代により変化しているいますね。釈迦に説法ですが、だんだんと延命治療は行わない方向に進んでいます。私は在宅で前住職さんを看取りましたので、この流れがよいと思っています。しかし、これは自分たちの実体験から得た結論という面と、時代がそう考えさせた、という両面があります。「時代」のなかには医療費がかさんで困っている国の意向も含みますよね。今後、ますます国の意向に沿った形になっていくのでしょう。否応なく。

延命治療といってもすべてをすべてのケースにおいて否定することはできないかもしれませんが、命の終わりを迎えるご本人にとって苦痛が少なく、安楽な終りが実現するような方向に社会が向かっていけば、と私も思っています。

2019年5月24日 7:02
{{count}}
有り難し
おきもち

私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...

質問者からのお礼

藤岡俊彦様、はじめまして!

お返事ありがとうございます。

私も、多分、一生「これが正しい!」と言える答えは出ないと思っています。

私自身にとっても、皆様にとっても。

正解のない問いのように思えます。

全てが現実なのに、全てが非現実的だからです。

生きていれば死んだ経験は出来ませんし、死んだら生き返れないからです。

もし「あの世」があったとしても、「この世」からは想像すること、想いを馳せることしか出来ません。

どちらの記憶も経験もある人がいたらなば、いろいろと訊いてみたいことだらけです。

私が初めてこちらのhasunohaに訪れた時には、臓器移植について触れた為、思いもよらぬお坊さま方からの強い反応に驚きました。

ビハーラの推進を望みながらも、なかなか日本全土に広めるのも難しいですし…

じゃあ、自分に何が出来るのだろうか?そういう思いをたくさん質問してきました。

「(ご本人いわく)お叱り」を受けることも度々。

でも、叱られたと思ったことはありません。

それも1つの答えであり意見であり想いだからです。

そういう考え方もあるのだな、と受け取ってきました。

仏様は…

どのように想われるのでしょうか…

直接お話し出来たらいいですね。

焦っても答えは出ません。

これからも、ずっと問うて問うて問うていきたいと思います。

「死について」問答一覧

どうして死にたいという人を見過ごせないんだろう

数年前の一時期、全く通りすがりのブログに「死にたい」というSOSを続けざまに見つけたことがありました。一晩に5、6件とか。 「死にたい」は「助けて」だと思います。 希死念慮はどれくらいの緊急性があるかによって違ってきますが、プロフィールや住所などがある程度特定可能な場合ですと、公的機関…と言っても警察は事件が起きないと動いてくれないので、主にその人の地元の役所や福祉の関係の機関にお願いするしかなかったりします。ある程度深刻かも、という場合ですが。 とおりすがりの人間がコメントを入れても効果があるかどうかわかりませんし、むしろ逆効果になったりすると最悪なので、そのあたりに匿名性の限界があります。 何かやった、というにはあまりにもささやかなことですし、効果があったかどうかなんて全然わかりませんでしたが、でも何かしないといられない気持ちがさせたことでした。 過去の自分がそうやって必死になったことがあるので、自分が死にたくなった時には、もしかすると友人知人家族のみならず、見知らぬ人がどこかで祈っていてくださるかもしれない、と思って、ちょっと考える余裕を持つことが出来ています。 手を伸ばそうとしたその時の誰にも伝わっていないかもしれませんが。でもやらずにはいられなかった。大きな事故や災害の時にも無事を祈りますよね。そういう気持ちと同じです。直接に助けにいけないもどかしさはありますが。 私も双極性障害の持病があるので、よく希死念慮には襲われます。自分がすごく死にたい気分の時なのに、いまにも死にそうな人に遭遇すると、思わず助けないといられない、っていうのはなんなんでしょうね??かなり本能に近い?崖っぷちの人を助けようとしたら自分も落ちる危険があるけど、それでも手を伸ばす。人って不思議だな、と思います。(サイコパスな人の心境は不明ですが) 自分のいままでの行動でずっと不思議だと思っていたことでした。「それじゃあ、一緒に死のう」とは思わないんですよね。本能とか良心とかが関係しているのかな?とも思えますが。 もしかしたら「いまにも死にそうな人」に自分自身を投影していて、その人が救われると安堵するというか、そのへんはもう彼我の境界が薄くなっているのかもしれませんが。でもこれは私だけではない心理だと思えます。悩みつつ、行動しています。ささやかですが。 でも謎心理です。

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