hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

犯罪って?

回答数回答 2
有り難し有り難し 39

ニュースをみていてこんな言葉がたくさんあります。
「何の罪もない人々を巻き込む犯罪は決してゆるさない
「恐怖だ、被害者の心中を察すると平常心ではいられなくなる」
「怒りがこみ上げてくる、まして弱い立場にある者をねらうことは人間のすることではありません」

 川崎の事件だけではなく、どんな犯罪でも被害をうけた側はこうゆう気持ちです。つらいしかもうない絶望感です。
 
裏を返せば、国の利益につながること、政治家に対して良い印象をあたえることにつながること以外は日本のニュースもメディアも取り上げない事件のほうが多いようにおもいます。

 日本では泣き寝入りするしかない被害者はたくさんいます。性犯罪が多いですが、加害者が罪悪にもつかまらずに、のほほんと何もなかったかのように家庭円満生活してます。どんな犯罪も罪のない弱いものを巻き込み、被害者は平常心ではいられなくなります。それと同時に社会に生きられなくなる傾向がつよいです。 
 
自分たちは子供がいるから不安だ、自分たち家族だけはたすかろう、自分たちだけがよければ
という考えが、ひどい加害をする人間をつくってしまう要因のひとつのような気がします。

一人一人が他人に犯罪をしないことがあたりまえになる社会づくりを先送りにしてきた日本社会を、一人一人がよい方向にかえるにはどうすべきかを考えていかなくてはならないと思っています。なぜなら、このような犯罪を繰り返していいという暗黙の了解を社会に認めていることと同じだとおもいます。

 献花したりジュースおいたりすることを批判はしませんが、それだけでは何も変わらないとおもいます。 
 
 わたしも考えていますが
かえていくためのできることはなにか 政治ではない視点からぜひ
 アドバイスをお願いします。

 


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分は自分のフィールドで困った人を「ただ」救う!

私は人間の行動範囲は限られていると思います。
痛ましい事件を起こす犯人にも必ず事件の背景があります。
どんな負の最終形態でもその続きがある。
最後に印象付けられること。「それ」を変えることはできるのです。よりよく変えることが救いなのです。助けなのです。それはあなたにでもきます。
なぜなら、世界は生きて(活きて)います。
その変わりゆくとどまりのない「生きた」世界の中で、人間は個人的なイメージを抱く。
「こんな世界、終わってしまえ。」
「生まれてくるんじゃなかった。」
「自分だけが被害者だ…。」
そのような負の精神は、行き場や向上を見失ったままのさまよえる魂。
だから、およそ向かう先は生命なので、他を捕食して生き永らえようとする。
その行動・行為が時に猟奇的になり、邪悪な結果をもたらせるのです。
では、自分の子供を殺される親がうれしいでしょうか。
中國では年間に10万もの子供が行方不明になっています。
治安のよい国ではそんなことは怒りません。
だからこそ、国境を越えても悪は悪。善は善!
それをうちの国ではこれが普通だから、習俗、当たり前、文化が違うからという理由で「ほっとけさま」だったのが冷たい日本人だったのではないでしょうか。
私はそういう見て見ぬ振りが嫌いなので、できることをやります。
政治の業界だろうが、社会問題だろうが、小さな子が刺される現場だろうが、そこにジャンルなどありません。困っている人がいれば助けてあげる。それだけです。それが仏の慈悲。
条件付けを一つでも認めたら、それが人間の都合になる。
力の強い人、金のある人、権力のある人が「正しい」ことになる。
今の仏教業界にもそういう空気を一部に感じました。
原発事故があっても国には逆らわない。
汚染土が全国にばらまかれ、海に放出されても誰も見て見ぬふり。
チベット・ミャンマーなどの仏教国が中国に侵略され虐殺されても相手が中国という理由だけで見て見ぬふり。
手が届く人を人間の都合で助けないのは無慈悲・残酷・無関心・つめたいじゃぁありませんか。だから今の日本は見て見ぬふり。総スルー。
自分が誰も助けてくれない立場に置かれたら絶対に悲しいはず。あの時そうしておけばよかったと言っても誰も助けてくれない。そういう世界を作っちゃぁいかんのです!
だから、自分が救える人は救う。自分自身の心の矛盾を救うためにも救うのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

自分を大切にして同様に他を大切にすること

拝読させて頂きました。
あなたのおっしゃる通りかと思います。
単純に誰かを攻撃しても根本的には何ら変わらず同じことが繰り返されます。

有史以来様々ないじめや嫌がらせや虐待や暴力や殺人そしてテロや争いや虐殺そして戦争が繰り返されている事実はどちらかがどちらかを傷つけて奪い己の欲望の元に他をしいたげていくことです。

このような差別による悪意や悪言や悪業を決してしないよう、おたがいを心から尊重しておもいやる気持ちを私達誰しもがもって共に生きていくことが大切かと思います。

自分を大切にして同様に他を大切にすることが大切かと思います。

様々な差別や偏見をなくして共に平等に生きていける自分や家族や地域や社会や国家や世界を地道につくっていくことを日々心掛けて態度で示し共に行っていくことが大切かと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

お忙しいなかアドバイスしていただきましてありがとうございます。

わたし自身、行動のできる人であるように日々心がけていきます。 
 
一人一人、まずわたし自身からですね。
やり方が悪いのか
たまに警察に注意されます。つかまるまではならないから まあいいかと思ってます。
しかし、悪人は口が達者ですし、弱い立場の方をうまく利用し、他人になすりつけるかうまく逃げるかで、、、とても難しい場面が多いです。
 わたしの知識のなさをいまさらですがたいへん後悔しているので、志しだけでなく、
伝え方や世の中についての勉強も続けていきます。

この度は 貴重なお時間、アドバイスをありがとうございました。
 

「事件・犯罪・災害・戦争」問答一覧

犯罪は運命的なもの?

犯罪は全て世の中のバランスにより生み出されたものではないのかと思います。 世の中の真理で、善と悪のバランスがうまく保たれてるから平和なのではないのかと考えるようになりました。 善か悪どちらに強く傾いてしまえば極端な話、人類は滅亡してしまうのではないかと思います。 世の中でなくともバランスはどこにでも存在すると私は考えます。 それこそ、宇宙そのものも、何かがバランスよく存在してるから、そこに在るんだと思います。 何が言いたいのかというと犯罪が全くない世界は人間として生活する上で何かが欠けてしまうのではないかと思うのです。 そんな世界は未来永劫来ないと思いますがね。 さて、相談の題名にある犯罪は運命的なものではないのかという質問ですが、犯罪者は自然の摂理、つまり自然災害と同じではないかと私は思ってしまいます。 冒頭にも書いた様に、世の中は、宇宙はバランスで成り立っています。 善と悪もその一つです。 そんな中、善ばかりが増えるのは一見良い事の様に思えますが、そうではないと私は考えます。 これもさっき説明したので省きますが、犯罪は自然が生み出したものの一つだと仮定すると大量に人を殺してしまって死刑判決をされた人はその為に生まれてきたのか?と疑問が生まれます。 こんな不条理があるかと思うと怒りを覚えます。 よく、世間から批判が殺到する「死刑になりたくて殺しました」が動機の事件がありますが、あれも自然が生み出した悪人かと思うと非常に可哀想だなと思います。 それから、犯罪者は人権を奪って動物実験などさせたら良いとかいった意見もありますが、私はこれから先の未来、犯罪者になる可能性も0ではないと思ってる為、心が痛いです。(勿論、現段階で犯罪をしようとは微塵も思ってませんがね。) 以上を述べた上で是非お坊さんにお聞きしたいのですが、犯罪は突き詰めていけば運命的なものではないのか?という質問、難しいと思いますが真剣に考えてお答えして頂ければと思います。 だいぶ文章が下手くそですが、全文読んでしっかり回答して頂ければ幸いです。 ※尚、私は決して犯罪は良い事であるという事は言ってません。犯罪は許せない行為です。あくまでこういう考え方もあるよねという視点を変えただけなので、そこの所よろしくお願いします。

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

ウクライナやガザの現状が辛くて楽しめない

初めて書き込みさせていただきます。 ウクライナの侵攻が起きて以来、ネットで残虐な記事を見るたび心にダメージを受け、かと言ってそれらのニュースを見ないことは現実から目を背けることになると、遠くの国の出来事とは思わないようにしてきました。どんどん心が蝕まれ、記事を読んでは兵士や市民の無事を祈り、惨状に涙し、不眠症が悪化してしまいました。 戦争が続き、コロナが起き、そんな中でも飲み会を開き、賑やかに過ごす学生時代の同級生たちに対して軽蔑と拒否の気持ちから、一切の付き合いを断ちました。 今はイスラエルで、何の罪もない人たちが亡くなっているのです。会社ではムードメーカーを演じていますが、私はもう何をしても楽しめなくなってしまいました。LINEは全て無視していたら、誰からもこなくなりました。鬱陶しかったと初めて気づきました。 精神科に通い始め、眠れる薬をもらって眠れるようになりました。でも心の中は何の変化もありません。 誰とも会いたくないのです。こんな暗い自分を見られたくもないのです。 少しですが募金をしたり、署名に参加したり、一人で常に深い悲しみの中にいます。 夫と子どもが発達障害のため、家族に理解を求めることはできません。 これからどうやって生きていけば良いのかわかりません。この先楽しいことがあるとは思えないのです。

有り難し有り難し 8
回答数回答 2

戦争が怖い 不安

こんばんは。 先日第二子が産まれたため、マタニティブルーになっている自覚もありますが、どうしても不安が拭えないため、こちらで相談させて下さい。 未来に対しての漠然とした不安感がとにかく強いです。 主に戦争についてです。 幼い時に親から「戦争について学ぶことは大切!」と、戦争体験の絵本などを読まされてきました。 小さい頃の私はとにかくそれが恐ろしく、いつか自分が体験するのではと思い込んでいました。親には言えず、毎日隠れて泣いていました。 その体験を20年以上経った今も引きずっており、「戦争で大切な人を亡くす未来」がとにかく怖いのです。 昨年のウクライナ侵攻からそのようなニュースが増え、目にも入るようになってきました。 意識してニュース断ちをしていましたが、産後家から出られない時期にはついテレビを見てしまい、ニュースが目に入り、関連ニュースをネットで調べ、不安になる…という悪循環の毎日。 どうしてこうなってしまったのでしょう。 毎日不安で眠れないのです。 どのように考え方を変えれば、心穏やかに、子どもに向き合える母親になれるのでしょうか?今の自分の心があまりにもざわついていて、辛いです。 乱文失礼しました。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

神風特攻隊を崇拝する父親

つぶやきにも書きましたが…。 父親が神風特攻隊を崇拝しており困っています。 国のために戦った英雄と言って心酔しているようです。 私は、「彼らは戦争の犠牲者でその家族も友人も親戚も被害者なんだよ。戦争は悲惨で残酷だからもうこんなことしてはいけないというメッセージを残しているんだよ」 と言っても 「そんなこと北朝鮮は聞き入れないだろう。俺は命令されたら志願して北朝鮮に爆弾抱えて突っ込む」などと危険な思想を持っています。 今度知覧に行くそうで、そこでまた崇拝に拍車がかかると思います。 平和な世界のためにどうするべきか、という今の現状を受け入れず、なぜか戦争戦争としつこく言い テレビも戦争のドキュメンタリーばかり見てスマホで軍歌を流したり、かなり偏った思想で怖いです。 私は戦争で亡くなられた方、被害に合われた方に寄り添う気持ちは勿論ありますが、 私と父親とでは捉え方が違うようです。 個々の考えといえばそうなのかもしれませんが、外食先でも大声で戦争、特攻隊、と言い始めてその場を離れたかったです。 口ごたえすると激怒し、自分が正しいと思いこんでいるので母も何も言えません。 もう父親の口から戦争の話や特攻隊話を聞きたくありません。 遊びに来た姪っ子も「戦争のテレビばかり嫌だ」と言っても聞く耳持たずです。 色んな考えを持つ人がいるのは分かっていますが、まさか家族がこうなるとは思いませんでした。助けてください。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

夫が逮捕されました。

普段、仏教や宗教などとは縁遠く生活しているため、不躾、不遜な言い回しがありましたらご無礼をお許しください。 タイトルにもあります通り、先日夫が逮捕されました。罪状は強制わいせつです。相当にお酒に酔っ払った際に見知らぬ女性に抱きつきお尻を触ったそうです。 被害者の方は恐らく夫に遭遇後そのまま警察署か交番へ行き、道端でいきなり押し倒され臀部を弄られたと通報したそうです。 双方の言い分が乖離していますが、夫は逮捕後の勾留は免れ、現在は実家に身を寄せており私とは別に生活しています。現在も在宅捜査は続いている状況です。 私の夫は自身で物事をきちんと考えるということをあまりしたことがなく、今の状況でも具体的に何が悪かったのか、これからどう償っていくのかを具体的に考えられないようです。 私は幼い頃より両親から深く愛されながらもその辺りは厳しく育てられたので、モラルを逸脱することはあり得ないですし、万が一自身が何か人様に迷惑をかけるようなことがあればきちんと自分のしなければいけない償いを考えられると思います。 夫は金輪際お酒をやめると言っています。また仕事もやめ、交友関係もリセットすると言っています。今回の事件では弁護士さんに入っていただいており、被害者の方とは示談の話も出ています。 しかし、私としては夫が本当に心を入れ替え真っ当に生きていくことができるのか、これ以上私を含めまわりに迷惑をかけないことが可能なのかを非常に疑問に思っています。 逮捕されてから気が動転しパニックになっているのを考慮しても夫はまだまだ今までの甘い考えから抜け出られていない気がしています。 夫はお酒を飲まなければ、罪を犯すような人ではなく、普段はお調子者ながらも真面目な一般市民です。ただ育ってきた環境の違いからか、私とは意見がぶつかることも多いです。今まで述べているように甘い考えが露呈している場面も多く見てきました。 私は夫とこれからも共に生きていけるでしょうか。夫とは縁を切ったほうが良いと思う反面、ここで別れてしまったら夫は甘い考えのまま生きていきまた人様に迷惑をかけるだろうなと思います。離婚していれば、夫の行いなどわたしには関係のないことと頭では理解していますが、夫がそのまま生きていくのも許せません。私はどうすれば良いでしょうか。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ