母を不本意な死に追いやった罪の意識で毎日が苦しい。
56歳で生死の境をさまよう難病に罹った母親を89歳で看取りました。最後の数年は軽い認知症も併発し子供のようにかわいいお母さんでした。ステロイドという強い薬の副作用で骨粗しょう症になり手足の神経も圧迫でマヒ状態でやっと歩いている状況でした。
私は60台前半ですが40歳前に母に手伝ってもらい内科医院を開業し,自宅では酸素吸入するほど重い病気の母親を診ていました 10年ほど前から神経や骨の痛みがひどく医院の経理は引退し、自宅で療養しながらデイサービスでリハビリを受けるようになっていました。
いつも前向きで明るく気力を振り絞って寝たきりにならないようにと頑張っていました。散々苦労かけたので毎週老親2人を連れて温泉に行ったりレストランに連れていったり楽しく3人の生活をしてきました。
昨年夏寝てばかりいるので庭で散歩をと強引に外の庭に出したらすぐに転倒、大腿頸部骨折で入院。手術し1月間で何とか退院。歩行がさらに不自由になった母を今まで通りあちこち連れまわしていました。友達のいない一人娘の私に止む無くついて行ってやるが、体がしんどいので本当は嫌だと繰り返し私にも周囲にも言っていましたが、運動しない母にリハビリになると思い連れまわしました。
今年に入って2回目の転倒で胸椎圧迫骨折を起こし2ヵ月入院。ほとんど食べなくなり毎日3回病院に通いおむつ交換食事介助と必死に看病しました。3月末にやっと自宅療養開始しまたぞろ温泉に連れていきましたが、息も絶え絶えに苦しい苦しいといって泣きました。
ゴールデンウィークどこも出かけず介護ばかりで息詰まる閉塞感から嫌がる89と92歳を連れて遠出し、宿泊先の宿で嫌がる朝風呂に入れて突然死させてしまいました。直前まで私を信頼しニコニコしていたのに。
毎日生前の優しい顔した母が笑ってくれるビデオを見て号泣しています。なんて人でなしな生きざまだ。世界で1番好きな母を殺してしまったと叫んでいます。従妹から可哀想な死にざまだ、虐待死だといわれてしまいました。生前の母にもお前は医者なのに患者の気持ちがわからないのかと泣かれました。人生最大の罪を背負い悲嘆に明け暮れています。
母をきちんと送ってやれなかった罪の意識で気が狂いそう。
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お母様の長寿を願って、頑張ってきたのですね
病名はわかりかねますが、ステロイドを30年以上服用して、89歳まで生きられたんですね。医師として娘としてお母様の健康に注意を払ってきたのですね。
私は20代の時にステロイドの服用が必要な病気となり、本来の病気は治らず、副作用で顔や体がむくみ、肝機能が不調になり発汗機能がおかしくなりました。ステロイドは骨を弱くしますから、骨粗しょう症は或る程度仕方が無いでしょう。それ以外の副作用が出ないように、注意を払って処方して来られたんですね。
すべての病気に特効薬があるわけではありませんし、ましてや老化はとめようがありません。完全無欠の医療なんてありえ無いと思います。パーフェクトな介護なんてあり得ないと思います。高齢者でも進んで歩行に努める方も居ますが、床にについたまま、座ったまま、足を使わず車椅子に頼ったままというお年寄りも多いですね。自分の足で歩かなければ弱っていく一方だから、心を鬼にして自分の足で歩かせようとしたんでしょう。そうすることも、辛かったでしょうね。
散歩に付き添ってあげられる家族がいつも何人かいるならば良いでしょうが、今時そんな大家族は居ませんよ。お一人でご両親の晩年を頑張って介護して来られたのです。お母様だって好きで転倒した訳では無いでしょうし、あなただって転倒しないように注意を払ってこられたのだ思います。お風呂のことも残念ですが、お母様を楽しませようと頑張って連れ出したんです。結果はどうあれ、あなたの真心はお母様に伝わっていると思います。
心残りや後悔は多々あるかもしれませんが、一生懸命お母様に長生きしてもらうよう、頑張ったのは間違いないと思います。お疲れさまでした。
感想拝読いたしました。あーちゃんさんがこの先の人生で気力を充実させて過ごしても、意気消沈して過ごしても、お母様は来世であなたを優しく迎えて下さると思います。私はそう信じています。
私の実の両親は既にこの世に居ません。おそらくあの世でハラハラしながら見守ってくれていると思います。数日前に64歳になりました。残りの人生でたいした結果は残せそうもありませんが、「ちょっとは頑張ったよ。」という報告できる程度には頑張りたいと思っております。私でもそこそこ役に立つことはある、と信じて、残りの人生悪あがきしていこうと思ってます。
質問者からのお礼
もうすぐ49日です。先祖の列に合流するときですね。アートマンがブラフマンになり集合意識の中の1粒の泡になるのでしょうか?量子力学者の一部が死者の意識が量子力学的に宇宙に残るって言ってるらしいです。そんなものは実証できません。でも私の心のそばにおかーさんは生き続けてほしいです。○○ちゃん頑張ってね。もう泣かないでって言ってくれてると信じたい。早くおかーさんにあいたい20年後まで待っていてくれているか。悲しくて悲しくてどうにかなりそうです。残された父親にも癌が見つかり、私にもバセドウ病があるとわかりました。生きる意欲がわきません。母の後輩の85歳の人に死んじゃって悲しいと泣いたら、その人が私もこの年でもおかーちゃんに一番あいたいといわれました。みんなお母さんへの思慕の気持ちは消えないですね。なくなる前に母がおかーさんに会いたいなーって何度もなきました。気持ちをどうすればいいでしょうか?
もともと神経症傾向があり若いころ森田療法(ノイローゼを禅の精神で治す療法)を受けたこともあり、分析的な考えにとらわれるより毎日やるべきことを悩む心はそのままにして前進することと教わりました。
寿命が尽きて母の元に行く時まで毎日が修行と心得えなすべきことを誠実に成し遂げるのが大切とわかっています。でも悲しく寂しい人生乗り越えるのはむつかしいです。
もともと一人っ子で適応障害傾向があり友達もいません。孤独な老後を母が心配し、みんなと仲良くし助け合って生きるよう口を酸っぱくしていってくれていました。
母は付き合いのあった人からあんな明るく優しい前向きな人はいない。あの人としゃべるだけでこちらが元気になったといわれるほどの人だったのです。愛情深い人でした。まるで似ていないのでますます悲しいです。
お坊さんと同年代とわかりました。学年では同じかも。私は係累がいないのでますます孤独が身に沁みます。