hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

母を不本意な死に追いやった罪の意識で毎日が苦しい。

回答数回答 1
有り難し有り難し 25

 56歳で生死の境をさまよう難病に罹った母親を89歳で看取りました。最後の数年は軽い認知症も併発し子供のようにかわいいお母さんでした。ステロイドという強い薬の副作用で骨粗しょう症になり手足の神経も圧迫でマヒ状態でやっと歩いている状況でした。

 私は60台前半ですが40歳前に母に手伝ってもらい内科医院を開業し,自宅では酸素吸入するほど重い病気の母親を診ていました 10年ほど前から神経や骨の痛みがひどく医院の経理は引退し、自宅で療養しながらデイサービスでリハビリを受けるようになっていました。

 いつも前向きで明るく気力を振り絞って寝たきりにならないようにと頑張っていました。散々苦労かけたので毎週老親2人を連れて温泉に行ったりレストランに連れていったり楽しく3人の生活をしてきました。

 昨年夏寝てばかりいるので庭で散歩をと強引に外の庭に出したらすぐに転倒、大腿頸部骨折で入院。手術し1月間で何とか退院。歩行がさらに不自由になった母を今まで通りあちこち連れまわしていました。友達のいない一人娘の私に止む無くついて行ってやるが、体がしんどいので本当は嫌だと繰り返し私にも周囲にも言っていましたが、運動しない母にリハビリになると思い連れまわしました。

 今年に入って2回目の転倒で胸椎圧迫骨折を起こし2ヵ月入院。ほとんど食べなくなり毎日3回病院に通いおむつ交換食事介助と必死に看病しました。3月末にやっと自宅療養開始しまたぞろ温泉に連れていきましたが、息も絶え絶えに苦しい苦しいといって泣きました。

 ゴールデンウィークどこも出かけず介護ばかりで息詰まる閉塞感から嫌がる89と92歳を連れて遠出し、宿泊先の宿で嫌がる朝風呂に入れて突然死させてしまいました。直前まで私を信頼しニコニコしていたのに。

 毎日生前の優しい顔した母が笑ってくれるビデオを見て号泣しています。なんて人でなしな生きざまだ。世界で1番好きな母を殺してしまったと叫んでいます。従妹から可哀想な死にざまだ、虐待死だといわれてしまいました。生前の母にもお前は医者なのに患者の気持ちがわからないのかと泣かれました。人生最大の罪を背負い悲嘆に明け暮れています。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お母様の長寿を願って、頑張ってきたのですね

 病名はわかりかねますが、ステロイドを30年以上服用して、89歳まで生きられたんですね。医師として娘としてお母様の健康に注意を払ってきたのですね。

 私は20代の時にステロイドの服用が必要な病気となり、本来の病気は治らず、副作用で顔や体がむくみ、肝機能が不調になり発汗機能がおかしくなりました。ステロイドは骨を弱くしますから、骨粗しょう症は或る程度仕方が無いでしょう。それ以外の副作用が出ないように、注意を払って処方して来られたんですね。

 すべての病気に特効薬があるわけではありませんし、ましてや老化はとめようがありません。完全無欠の医療なんてありえ無いと思います。パーフェクトな介護なんてあり得ないと思います。高齢者でも進んで歩行に努める方も居ますが、床にについたまま、座ったまま、足を使わず車椅子に頼ったままというお年寄りも多いですね。自分の足で歩かなければ弱っていく一方だから、心を鬼にして自分の足で歩かせようとしたんでしょう。そうすることも、辛かったでしょうね。

 散歩に付き添ってあげられる家族がいつも何人かいるならば良いでしょうが、今時そんな大家族は居ませんよ。お一人でご両親の晩年を頑張って介護して来られたのです。お母様だって好きで転倒した訳では無いでしょうし、あなただって転倒しないように注意を払ってこられたのだ思います。お風呂のことも残念ですが、お母様を楽しませようと頑張って連れ出したんです。結果はどうあれ、あなたの真心はお母様に伝わっていると思います。

 心残りや後悔は多々あるかもしれませんが、一生懸命お母様に長生きしてもらうよう、頑張ったのは間違いないと思います。お疲れさまでした。

  感想拝読いたしました。あーちゃんさんがこの先の人生で気力を充実させて過ごしても、意気消沈して過ごしても、お母様は来世であなたを優しく迎えて下さると思います。私はそう信じています。
  私の実の両親は既にこの世に居ません。おそらくあの世でハラハラしながら見守ってくれていると思います。数日前に64歳になりました。残りの人生でたいした結果は残せそうもありませんが、「ちょっとは頑張ったよ。」という報告できる程度には頑張りたいと思っております。私でもそこそこ役に立つことはある、と信じて、残りの人生悪あがきしていこうと思ってます。

{{count}}
有り難し
おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

もうすぐ49日です。先祖の列に合流するときですね。アートマンがブラフマンになり集合意識の中の1粒の泡になるのでしょうか?量子力学者の一部が死者の意識が量子力学的に宇宙に残るって言ってるらしいです。そんなものは実証できません。でも私の心のそばにおかーさんは生き続けてほしいです。○○ちゃん頑張ってね。もう泣かないでって言ってくれてると信じたい。早くおかーさんにあいたい20年後まで待っていてくれているか。悲しくて悲しくてどうにかなりそうです。残された父親にも癌が見つかり、私にもバセドウ病があるとわかりました。生きる意欲がわきません。母の後輩の85歳の人に死んじゃって悲しいと泣いたら、その人が私もこの年でもおかーちゃんに一番あいたいといわれました。みんなお母さんへの思慕の気持ちは消えないですね。なくなる前に母がおかーさんに会いたいなーって何度もなきました。気持ちをどうすればいいでしょうか?

 もともと神経症傾向があり若いころ森田療法(ノイローゼを禅の精神で治す療法)を受けたこともあり、分析的な考えにとらわれるより毎日やるべきことを悩む心はそのままにして前進することと教わりました。

 寿命が尽きて母の元に行く時まで毎日が修行と心得えなすべきことを誠実に成し遂げるのが大切とわかっています。でも悲しく寂しい人生乗り越えるのはむつかしいです。

 もともと一人っ子で適応障害傾向があり友達もいません。孤独な老後を母が心配し、みんなと仲良くし助け合って生きるよう口を酸っぱくしていってくれていました。

 母は付き合いのあった人からあんな明るく優しい前向きな人はいない。あの人としゃべるだけでこちらが元気になったといわれるほどの人だったのです。愛情深い人でした。まるで似ていないのでますます悲しいです。

 お坊さんと同年代とわかりました。学年では同じかも。私は係累がいないのでますます孤独が身に沁みます。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

生活環境の変化と母の死が重なり苦しいです

転職・引っ越しによる環境変化と母の死が重なり心身ともに辛いです。 先日、母が癌で亡くなりました。1年前から入退院を繰り返しており、余命が短いことは覚悟していましたが、やはり悲しいです。母が病気の苦しみから解放されたのは救いですが、この先母がいないと思うと人生がつまらなく感じます。まだまだ母とやりたいことがたくさんありました。 母の死は時間が癒してくれるのを待つしかないのですが、ちょうど転職と引っ越しをした直後に母が亡くなったため、新しい仕事を頑張れる気がしません。一人暮らしでホームシックにもなっています。まだ結婚もしておらず、一人っ子でもあるので孤独感が大きいです。 新しい仕事は私が目指していたことで、母も生前応援してくれましたが、母が亡くなった今となっては前向きになれません。これから新しい仕事のためにたくさん勉強しなければならないのに、無気力で頑張れる気がしないです。 母の癌が発覚した1年前から精神的にしんどく、診療内科に通うほど体調も崩しました。そのような状況下で頑張って転職し、これからというときに訪れた母との別れは新生活の不安と二重の苦しみで耐えられる気がしません。これからどうやって日常生活を送り、前向きに人生と向き合えばよいでしょうか。

有り難し有り難し 0
回答数回答 1

故人の魂はどこに?

先日大好きな妻が亡くなりました。妻は本当に僕の全てで大事な大事な宝物でした。 子供もおらず、独りぼっちになってしまい、今は絶望しています。生きる目的、意味が全く無くなりました。 僕の唯一つの願いは最愛の妻の魂にずっとずっとすぐそばにいてもらい(お骨も手元に)、自分が亡くなるときに一緒のお墓に一緒に納骨してもらい、そしてあの世でまた会えることだけです。 質問なのですが、49日に審判され遠くへ行ってしまい最終的に極楽浄土を目指すという理解をしているのですが、疑問があります。 白木の御位牌から本位牌となり、魂を入れて頂くと思うのですが、位牌に魂が宿るとするならば、極楽浄土などに魂は向かうのに、魂はいったいどこにいるのでしょうか? 魂は分割され2か所にいるのでしょうか? また、お盆には年に一回戻って来るという話しも子供の頃から聞いており、迎え火で迎え送り火で送り帰って行くということでした。帰ってしまったらいないということなのでしょうか? 極楽浄土等、御位牌、お盆、魂の居場所をわかりやすくご説明頂けますと幸いです。 僕は妻にずっとそばにいて欲しい、遠くへ行って欲しくないと考えております、魂の居場所によっては仏教と考えが合わないのでしょうか? 実はそのように悩んでいる間に49日が過ぎてしまいました、49日の法要は過ぎては良くないと聞きますが今から行って頂くことは難しいのでしょうか? どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

父親亡くなる

父93歳母90歳姉64歳私57歳で、姉は実家からバスで30分の所に住んでおり、私は埼玉県に住んでいます。母は専業主婦で家事全般をやっていた人です。父母共に病気をして入院した時は、どちらかが実家に帰って寝泊まりをしていました。母が心臓の手術を10年前にしてから、家事全般を最小限しかできず、それでも父母と2人で頑張っていましたが、2年前に母が転倒して頭を打ったのですが、頭の中も異常なく、骨折もしておらず、ただ筋力が落ちて、やる気も出なくなり、父が母に変わって家事全般を最小限やってくれる事になり、父は、家事をやった事がないので、味噌汁の作り方を一から母が教えていました、しかし父の作る物にしょっぱいだの、と父と姉に話していたそうです。父も指示されているみたいでイヤだとは姉に話していたそうです。母か転倒して、動けなくなった頃から、愚痴がおおくなり、姉は、母は要支援2の認定を頂いていたので、訪問ドクター訪問看護ディサービスを利用し、少しでも愚痴の数を減らしていこうとした時に、父が脳梗塞でたおれ、悪性リンパ種も見つかり、入院して1ヶ月で亡くなりました。愚痴をこぼす所もなくなり、母は、私や姉が手続きや、お墓仏壇等をやっていると、私達に攻撃しはじたのです。ただそれが午前中に始まり夕方には、穏やかになり、母の今後の事もあり、ケアマネに来てもらい話をすると、老人うつ病をかられると言われ、私達も確信ではないが、そうではないかと思うと伝えました。前から少しずつあったものが、今になって大きく出てきたのではないかとも言われました。姉は知識がないので、精神的な事が書かれている本を前から読んでいますし、私も資格はないですが、施設で長く働いているので、少しは知識があります。ただ姉が言うには、父が生前の時母は、とても穏やかな人で先々を考える人だったと話し、母が転倒して何もできなくなってから、人が変わったようだと言うのです。うつ病があるかもしれない事を少し頭に入れて対応していこうと姉と話していたのですが、姉もわかっているが、ウンウンとは聞けずついいってしまう、母はエスカレートしてしまう、なので第三者に入ってもらって、近くにおばがいるので、母の話しを聞いてもらうなどして、対応していますが、これからどんな事に気をつけたらいいのか、対応はどうしたらいいのか、母自身も、自覚がないので困っています

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

夫の死 心が平穏になる時がきますか

夫が病気で急逝しました。夫はさぞ悔しいことでしょう。まだ現実として受け入れがたく、ふわふわとした心持ちで葬式、様々な手続きに生活に追われています。 子供たちと現実生活をいつも通りにふざけたことも言い合いながら笑顔で暮らしていますが、寂しく悲しい気持ちは各々が抱えています。 夫が亡くなって、葬式後に不倫関係にある人がいることが分かりました。相手からの、のんきなLINEがきたことで気づきました。再会した元カノのようで、レストランで食事したりホテルで密会したりしていることがやり取りから分かりました。これからもっとたくさん会いたいなど、関係を続けたい夫の気持ちも書いていました。あの時もあの時も嘘をついて家を出ていたのだと知りました。LINEを探すと、他の女性とも恋心をほのめかしたやり取りをしていたことも分かりました。 夫は多趣味で、趣味に仕事に忙しく、女の人と会う時間があるとは思いもしませんでした。私を悲しませることはしない人だと信じて疑ったことは1度もありませんでした。 夫は子育てに協力的でした。家の中のことは大体私がやっていましたが、対外的なことは率先してやってくれていました。共働きで、協力し合わないことには生活が回らなかったので、助かってました。私は子育て家事に喜びを感じながらも、夫の行動に苛立ちを感じていたことは確かです。夫は趣味の時間を家庭の様々なことに取られていると不満をいうことがありました。趣味をしている時の夫は本当に楽しそうなのでさせてあけたいと考えていたし、実際、ずっと続けていました。 こんなに趣味を楽しんだ上に、家事に疲れている私に、したいときだけすり寄ってくる夫を疎ましく思う気持ちもありました。 私は夫が好きでした。夫の物を片付けていたら、私からの数年おきの長い手紙や「大好きだよ」のカードがたくさん出てきました。先月もあげたはかりでした。 他の女の人には優しい言葉をたくさん書いていましたが、私にはありませんでした。私を子供の母としか見ていなかったのでしょうか。 数年前に、他の人としちゃおーなどと言うことが何度かあり、私はあきれて、どーぞ。と、言ってしまいました。夫は自分の欲を実行したのですね。 1人になると動悸がして落ち込みがひどいです。子供たちの明るい未来のためにも、元気で生きていきたいのです。どう考えれば心の整理がつくのでしょう。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ