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身体と心のケアの為には?

回答数回答 1
有り難し有り難し 14

去年の終わり頃より、病気が発覚し、現在治療中の身です。

人が病気になるときというのは、何らかの試練を与えられてるものと考えていくべきなのでしょうか?

今年に入り、治療がなかなか良い方向に進まずにいます。

その為、自分自身の中で段々、焦りや周りへの不信感が出てきて、自分の心のケアも出来ません。

何とか身体と心が落ち着くようなアドバイスを頂きたくお願い申し上げます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

なぜ病むのか

ご相談拝読しました。治療中とのことでお見舞い申し上げるとともに、ご回復を念じます。

さて、病気の原因は何でしょうか?遺伝、不摂生、環境、偶然…様々に考えられますがどれも一面は正解でありかつどれも不十分です。

病気の根本原因は生まれたことです。生まれたからにはやがて病むのは必然なのです。

健やかなるもやがて病むべき健やかさ
若さもやがて老いるべき若さ
生もまたやがて死すべき生

なのです。

あらゆる物事・現象には原因があります。仏教ではそれをコントロ-ルするような何か絶対的存在、いわゆる神のようなものを認めません。
ありとあらゆる数えきれない原因と条件がととのって一つの物事や現象が成立します。それは偶然であり必然です。

最近では水泳の池江 璃花子さんがやはり「神からの試練」ということを言われましたが私はそれは強者の理論だと感じます。乗り越えられる人に言えることであり、そうでなかった時には「神も仏もない」という絶望が残るのみではないでしょうか。

人間の心として病気を乗り越えることを目指すのは当然ですが、一つの現象としては老い病み死すことの方が当然です。

回復を目指す希望は身体活動にも影響を与えるでしょうから持っておくにこしたことはありません。しかし同時に仏教的視点としては自然な事を自然なままに受け入れる智慧も大事です。

なるようになっている自然の法則に逆らっているのはこの身体ではなく、頭の中のはからいです。

老いたくない、病みたくない、死にたくない

という心。それがなくなることはありませんが、それこそが道理に逆らうものであることを仏の教えから知らされることは病に対する向き合い方として非常に大きいものであると感じます。

治療が上手く進まないと頭ではお感じでも、身体はその時その時をありのままに精一杯生きています。
そのことを認められれば心も後から付いてくるかもしれません。病んでいる今もあなたのありのままの姿です。
もう二度とはない今この時を大事に過ごせますように。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

救われるようなお言葉をお忙しい中、ありがとうございました。何度も何度も読み返し、自分の中の心と照らし合わせながら、理解出来るように読ませて頂きました。
「有り難し」と感謝致します。
これから手術を受けることになりますが、それも一歩前進と受け止めて、自分のありのままの状態を理解する努力をしていこうと思います。
本当に有り難い御言葉をありがとうございました。治療に辛くなったり、心がまた折れそうな時に読み返していこうと思います。

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