他人の喜びや悲しみという気持ちに寄り添うことが出来ない
お世話になります。
友人や知人から「結婚した」「出産をした」という連絡をいただいても
表面的にはお祝いをしますが、心の中では「そうですか」という気持ちになります。
また、知人のお母様が亡くなられたときも「そうなんだ」としか思えませんでした。
よく、一緒に泣いて喜んだり悲しんだりする方もいると聞きますので
自分はそれができていないなあ、と思ってしまいました。
妬んだり僻んだりしているわけではないと思っていますが・・・、
人間、そんなものでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
誰も無理に喜んだり悲しんだりできませんよね
無理に笑うことも怒ることもできないけど、面白いことがあれば自然と笑いますし、ひどいことをされれば自然と怒ってしまいます。それと同じです。
結婚とか出産とかを喜びの尺度や基準にしていなければ祝福する気持ちも嫉妬する気持ちも起こりようがありません。私が20代の頃は、いついつまでに結婚しなきゃいけないみたいな世間的な縛りみたいなものが強くありましたが、今はありません。あなたはそういう縛りを持っておられないので、何がしかの感情が起こりようがないのでしょう。そんな方はご門徒(檀家さん)のなかにたくさんおられます。
お知り合いのお母さんとどれほどのお付き合いがあったかにもよりますが、大した付き合いがない場合、新聞の慶弔欄とほぼ同じなので、「ああ、そうですか」以上にお感じにならないのも当然です。あなたが特別な人ではありません。
むしろ、他者に過剰な関心を持つよりずっといいじゃありませんか。他者への関心が過剰に強いと自分と周囲を苦しめてしまいますよね。あなたにはそれがないんだから、よいお人柄なんです。
人それぞれです。自然にあるがままになさっていらしたら如何でしょう。
知識経験が増えれば変わるかも
まだお若いので、他人の状況を想像する材料となる知識・経験が少ないからかもしれませんね。
たとえば私の場合、自分が結婚したり子どもができた後の方が、他人の結婚や出産を喜べるようになりました。
「結婚したよ」の5文字からでも、色んな苦労や楽しみを想像できるからです。
人生経験は簡単には増やせませんが、読書やドラマを見るなどして、色んな人生を追体験するのも、他人の状況を想像する材料になると思います。