在家信者の有り様
私自身は真言宗の檀家に生まれ、
朝夕のお勤めはしておりますが、
それ以外に在家信者のすべきこと、
普段の心構え、有り様はどうあるべきなので
しょうか?
僧侶でない在家信者は、どう生き、
生活するべきなのでしょうか?
普通の会社員です。実家を出てから 三十ウン年、独身のまま齡五十を迎え ようかという年になりました。 このまま何も成さず、何も残さず 無為に年を重ね、死んでいくだけ なのか、悩む日々です。
煩悩と言われればいくらでも、怠けたい、 英達したい、優秀な人への妬み、 醜い外見へのコンプレックス等々。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一つの取っ掛かりとして
こんにちは。仏教徒として生きる、或いは真言宗の一員として生きる。日々のお勤めをされていることは、大変結構と存じます。
のであれば、日々のお経で「自分が何を言っているのか」を探求してみてはいかがでしょう。私はお寺に生まれたので、小さい頃から親しみはありましたが、二十代でしたが、「一体これ、何を言ってるのか分からない。意味を知りたい」と思い、聞いたり調べたりしました。
すると、結構物凄いことを日々唱えていることが分かりました。
「生まれてこのかた、いや、そのずっと前から」とか「このお経を読んだからには、世界のあらゆる存在に対して自分が施せることを全部やり」とか。
イヤイヤそんな大げさな、無理です無理ですと思いました。
だから、自分が理解でき、やれそうな範囲で心掛けようと思っています。言った通りには取り敢えずできないけれど、反対方向には行かないようにと。
自分の怠けとか横着とかケチンボが出そうな時に、自戒するアンカーとして使っています。
実現できるかはさておき、「そんな風に生きられたらいいな」という理想を忘れないために、毎日のお経をあげています。
質問者からのお礼
佐藤様
回答ありがとうございました。
やれそうな範囲で心掛ける、ですか。
確かに十善戒のひとつひとつ、
とても困難でこれらを実践するなんて
無理なように思ってしまいますが、
できる範囲で心掛けてみようと思います。
実は在家と僧侶の方との差というか、
お勤めはするけど結局深いところは
密教なので解らないから、在家での
信仰なんて無駄なのかな?
という思いがありました。
今でも全くないわけではありませんが、
出来ることから、ですよね。
ありがとうございました。