くだらないことでとても不安になる
私は昔からあり得ないことで不安になってしまいます。
例えば、家の中で会社の愚痴を家族に聞いてもらった後に窓が開いていることに気付くと、会社の誰かに聞かれてしまったのではないか?と不安になったり(社宅ではありません)、ショッピングセンターやスーパーなど人が沢山いるところでオナラがしたくなったとき、勿論我慢しますが、「我慢していることが人にバレているのではないか?」と不安になっていました。
今もそれと似たようなことで、半年くらい悩み続けています。
電車の中で女子高生に小声で傷付くことを言われてしまい、とても恥ずかしい思いをしました。
その様子を知り合いに見られてしまったのではないかと不安になっています。
仮に同じ車両に知り合いが乗っていたとしても、女子高生は小声だったし、聞こえていないと思います。
それでもとても不安な気持ちになります。
すごく生きづらい人生です。
気持ちが楽になるような考え方はないでしょうか?
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
サバイバル能力ありすぎかも・・・
さらさん
こんばんは!
拝読させていただきました。
現代社会において、不安を抱きながらの生きづらさ、お察しします。
あり得ないというのも、まんざらそうではないかも!?
都市伝説ではないにしても、宇宙人や幽霊など“ない”ことを証明するのも難しいと思いますので・・・
ホモ・サピエンスとして、不安や恐怖心は、最強のサバイバル能力だと思います。
ただ、猛獣からの退避能力や飲食可能かどうかを見極める高度な原始能力が必要なくなった近代社会において、あまり不安や恐怖心を持ちすぎるのは、しんどくなるのかもしれません。
世界的に不安障害の人も増えているようですしね。
>知り合いの誰かに・・・
確かになくはないと思います。
そこで、その誰かを「御仏、大日如来、宇宙、お天道様」に聞かれている、見られていると感じるのはいかがでしょうか。
難しいかもしれませんが、特定の誰かではなく、大いなるものに抱かれていると感じるのも良いかもしれません。
森や河、海や山、そんな自然のなかで、風を感じ、鳥や虫の鳴き声を聴き、木々の香を体感してみてください。
人間社会よりも生態系システムの方が自然の摂理で、生きづらくないのだと思います。
大自然のなかで、ぼ~と過ごし、地球に住ませてもらっている、自分は自然の一部だと感じてみる。そんななかで、不安や生きづらさも少しだけ緩まるのかもしれませんね。
一つの参考になればうれしいです。
そのようなあなたは素晴らしい方です
拝読させて頂きました。
あなたのそのような思いや考えよくわかります。
私達はそんなたわいもないことにとらわれてしまうようなはかないささいな存在なのです。
私もよくトイレに入っていてこんな姿を人に見られたらどうしよう!、と思ってしまいます。
私もそのようなはかないささいなことに悩む存在なのです。
ですからそのような自分を大切に認めることがとってめ大事なことなんだな、と思いますね。
そのような自分をどうか大切になさって下さいね。そして認めてあげて下さいね。
そのようなあなたはとても素晴らしい方ですからね。