親との関係と自分
はじめまして。
41歳、既婚、子供なしの女性です。親との関係に悩み、ご相談させていただきます。
私は子供の頃両親が共働きで忙しく、甘えることを我慢し、わがままを言って困らせてはいけないと、いつも良い子でいなければと思って育ってきました。親に誉めてほしくて成績はいつも上位、母が帰ってくる前に家事をこなしておく。誉めてもらえることが認めてもらえることだと思って。でもそれは私にとっては当たり前のことでした。
結婚しても実家に近いため、週に一度は顔を出し、スーパーで特売のものがあれば買っていき、両親だけでは入りづらいようなお店に食事に連れていったり、時間があればおかずをつくって家の片付けもして。子供としてできるだけ親孝行をしなければと。ちょっとくらい自分が疲れていても我慢して。
実家は二世帯で、両親と共に兄夫婦と子供3人(両親にとっては孫)が一緒に住んでます。
私が実家に行くたびに、聞いてないのに母は孫の話を楽しそうに嬉しそうに私に話してきます。
孫があそこに行きたいと言えば連れていくし、あれが食べたいとなれば買ってくるし、雨が降れば学校に送り迎えもします。わがままを言ってもなんでも許してしまうし、なおかつ喜んでもいるのです。
もちろん分かるんです。孫は目に入れても痛くないということは。
しかし孫と同じような年代の頃、私はクラスの女の子の間で流行った文房具すら買って欲しいと言えずに我慢し、いつも良い子で、聞き分けが良く、お手伝いもして、そうしないといけないような。何がきっかけでそのように思うようになったのかは覚えていません。
今思うととても寂しかったんです。良い子でいるために我慢しなければいけないことが。しかし今、孫たちは何も考えずに私の両親から愛を無償で無限に受け取っていると思うと、とても羨ましくとても妬ましくとても悲しいのです。
これは私が親離れできていないということなのでしょうか?
よく、子供を産むと親のありがたさを実感すると言いますが、私には子供がいません。だからこんな考えをしてしまうのでしょうか。
数年前に死産で子供を亡くしてます。わたしは人殺しだといまだに自分を責め続けています。
もっともっと楽に生きたいです。
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私もよい子で育ちました。
こんばんは。おー同志!まさしく「親から褒められる・認めて貰う」のは、当時の私にとって人生の目標そのものでしたね。成績はそう良くありませんでしたが…
しかし「当時の寂しさを取り返そう」とは思いません。「それもあって、トータルで今の人生になっているんだから」と、まとめて肯定しようと考えているからです。
もしも、あなたが今よりもずっと我が儘な女に育っていたら、今よりもずっと周りに疎まれているかも知れません。勉強していなかったら、今の旦那さんに出会わなかったかも知れません。お手伝いをしていなかったら、今より手際が悪く、愚痴タレながら家事をしていたかも知れません。
だから、あなたとしてケリを付けたいならば、過去の怨念を本人にぶつけましょう。「私、昔はイヤだったんだから…!」って。今更謝れというのではなく、「辛かった、寂しかったのは知っておいて欲しいの。」とね。その辺り、できそうなご両親でしょうか…?
「いやー、聞いてくれるだけでいいんだけどね」と前置きして、私もぶつけたことがあります。そうしたら母は、「悪かったわね−。あなたが一人目だったから、私も分からなくて色々試したりしたから、ごめんなさいね」と。強弁も言い訳も何もなく、アッサリとしたものでした。
もし、あなたのご両親がそのように返答してくれそうであれば、実行するといいでしょう。私は母の言葉に、「あなたも大人になったわね。もう対等ね」というメッセージを感じましたよ。
質問者からのお礼
佐藤さま、この度は貴重なお時間を使ってご丁寧に回答いただきましたこと、まことに感謝しております。
実は2ヶ月前実家にて、今までずっと必死に張りつめていた糸がぶちっと切れまして、子供みたいにわんわん泣きながら実家を飛び出してきてしまいました。
それ以降お互いにまったく連絡を取っていません。
母の日も父の日も、私が物心がついてから初めてスルーしました。
今、どんな気持ちで両親が過ごしているか考えると、申し訳ない気持ちと、私なんかより孫にばかり愛情を注ぎすぎたバチが当たったのよという酷い感情が、毎日頭の中をぐるぐるいったりきたりしてます。
まだまだ時間がかかると思いますが、いつか佐藤さまのように両親に「私は寂しかったんだよ、もっと愛されたかったんだよ」と言える日が来るといいなぁと思いました。
両親は共働きで私を育ててくれて、そのときはそれなりの愛情を注いでくれていたのを私が忘れてるだけかもしれないですしね。
人間って、楽しかった思い出は忘れがちで、悲しくて辛い思い出はいつまでも忘れないものですよね。
これも私に課せられた修行なのかなと。
傷ついた分、人には優しくできるものですし、その頃の私がいたから今の私がいるわけですものね。
佐藤さまとこのようなご縁でお話ができ、気持ちが救われたような気がします。
明日から少しずつでも前向きに生きていこうと思います。
佐藤さま、ありがとうございました!