悪縁とは
いつも話を聞いて下さりありがとうございます。今日は悪縁についての質問なのですが、お坊様の回答に、「悪縁からは離れたほうがいい」という内容のものがあります。
ですが例えば「あの人は自分に合わないから離れたい」と思っても、長い目で見れば自分の学びになる人もいます。相手がどうというより、自分の甘えや、視野の狭さで離れてしまう場合です。私はこれが多く、選択したあとになって、これで良かったのだろうか?と考える時があります。
あるいは、周りから見れば明らかに「離れた方がいい」という関係でも、当事者には見えていない場合もあります。悪縁かそうでないかはどう判断すれば良いでしょうか。はっきりこう、とは言えないかもしれませんが、お坊様の言う悪縁とはどういうものですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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究極的には自分の在り方
ご相談拝読しました。
おっしゃる通り、究極的なところで言えば悪縁とは人間関係における相手など対象如何の問題ではなく自分自身の問題でしょう。
誰かや何かとの縁を切ったとしても自分の在り方が変わっていなければそれはいつでも着いて離れないのですから。
しかしながらこうした悩み相談においては様々なケースがあります。相談者様の状況や能力によってもかける言葉のニュアンスは異なってくるでしょう。
自分自身に目を向けてほしいということをストレートに伝えることもあれば、そうしたら反発されそうな場合や、そのような余裕がない切羽詰まった場合にはまずはそこから離れるように勧める場合もあります。
自分自身の苦を増長するような在り方が悪縁とするならば、そこから真の意味で離れる(そうした自分に気づく)にはどのようなルートが最善か、それを一緒に考えるのが相談の場でしょう。けして回答者が答えを押し付けるものでなく、相談者自身に気づきが成り立たなければなりません。
トカゲのしっぽ切をしてもトカゲはトカゲ。トカゲがトカゲを超えるにはトカゲであることに気づき認めなければいけませんものね。
質問者からのお礼
吉武文法 様
悪縁とは相手から負の影響を受けるもの、などと漠然に考えていたのですが、自分自身の苦を増長する在り方(悪縁)と、それに自分が気づく、というお言葉にハッとさせられました。
と同時に、自分の中に、環境に文句を言う前に自分をなんとかすればいいのに、という自他への強い苛立ちがあったことに気づかされました…。この件でまたご相談するかもしれませんが、しばらく自分の苦について考えてみます。回答下さりありがとうございました。