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Pさんに問うてみた

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ある人(Pさん)と出会って約20年になります。出会った時、私はまだ学生で、Pさんは10歳上のアシスタントディレクターでした。法律の授業に、先生(弁護士)の戦友(報道に携わる人)としてやってきて、講義を受けたのがそもそもの始まりです。その講義に心打たれた私は、その裁判を傍聴しに行くようになりました。
原告側に若い人がいない中、ポツリと1人参加している場違いな感じの私に、皆「なんだこの子は?」みたいな視線を送り続けていましたが、先生(弁護団の団長)と話をしていた時に、「あ~あの子か!」と驚いた様子でPさんが近寄って来ました。「どこかで見たような気がしていた」と。「今まで本当に参加してくる学生がいなかったから、まさかあの授業の子とは思っていなかった」と。それから頻繁に話をし、お酒も入りつつ語り合う仲になりました。
それから10年後、海外の支局長を経て、日本に戻って来たPさんはプロデューサーになり、報道番組を指揮する立場になりました。その時、Pさんが「この立場になっても昔の青臭いままの自分でいたい」と言っていたことが私は忘れられずにいました。
Pさんはどんどん出世し、少し前には人事部長に。
そして更に、出会ってから20年が経った最近、Pさんは報道部長となりました。

そこで、私はPさんにあることを問うてみることにしました。「報道部長としてのPさんにお聞きしたいことがあります。ありのままの姿、真実を伝える報道のお仕事をしていて、ふとした世の中の疑問についても、真っ正面から向き合い、是非問うてみたいと思うことはありますか?今でも青臭さを持って取材したいという志は変わらず存在していますか?」

Pさんからの返事。「青臭さについては僕の体からなかなか抜けません。もちろん、青臭さを抜きたくないからなのですが、『大人になりきれない』ということに尽きると思います。生きている意味、この世に命を授かり、そして、社会にむけて少しでもお役に立ったうえで人生を閉じる…その究極のスタイルを考えたとき、大人(この場合、ずるさや矛盾や不条理…などを指します)としてふるまえないのじゃないか、と強く思っているからです。器用に生きるよりも、少々不器用な方がよいとも信じています。」

私の10年後の目標は、Pさんのような「青臭さ」を忘れないでいることです。
お坊さまは「青臭い」ままでいることをどう思われますか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

とても素晴らしいことと思います。

「青臭さ」というと
マイナスイメージがありますが
「初心」と同義だと思います。

「まっいいか」と流されることなく
初心を忘れてしまうことなく
当初の意気込みを持ち続けたいものです

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 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

いいお話ありがとうございます。

現代においては擦れてるほうが世渡りがうまくいくことも多々あるとは思いますが、初心やピュアな部分を守り続けるというのはある意味困難なことだと思います。
また真に人心を惹きつける人物というのは卑怯な駆け引きなどしない人ではないでしょうか。

細かな事情はここでは書きませんが、私も常に権力や欲に取り込まれず、駆け出しだった頃の自分を見失わないよう努めたいと思っています。

特に私達のような世界には重視すべき心掛けではないかと思います。

仏教の例えで言うなら
「蓮は泥中より生じて咲き、泥に染まらず」といったところでしょうか。

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個別相談可能
一般家庭から真言宗のお坊さんとなりました。 お寺はありませんので普段は普通に企業で働いております。 求めに応じて衣を纏い法を説いてます。 https://youtu.be/-k4oRLFXGSM https://youtu.be/02VnGUcldkI https://youtu.be/AM8z5xl1f8E

人間は永遠のミカンセイ 「トマトは青い方がイイ」?

🍊
みかんは青臭いのはあまり好まれませんが、トマトは真っ赤っかものもいいですが、わたしゃ最近の品種改良されてしまったものよりも、昔の青臭いトマトが好きです。
ご存知でしょうか。
昔のトマトは自然で、全体が真っ赤にならずヘタの辺りは青かったもんです。
うん、品種改良されたフルーツみたいに甘いトマトはもはやトマトではありません。
人の手が加わって別の存在に変えられてしまうこと。
それは悲しいことですね。
ウイグル人もチベット人も中国共産党によって侵略支配されて無理やり中国語をしゃべらされているといいます。私はそういう人間が人間を支配してその人間、その民族本来の良さを奪ってしまうようなことはあってはならないと思っております。
SNSでもそういう発信をしています。
ところが、チベット、ウイグルの現実を伝えても坊さんを含むほとんどの人たちがみんなスルー。なんなんでしょうね。
彼らは私の事を青臭いとでも思っているのでしょうか。
世間は社会問題や世の中の現実にはマトリックスのネオのようにイナバウアー状態で超絶スルーです。
それも、空気を読めとで思っているのでしょうか。
人の命が軽視されているのに、誰もニュースでも取り上げない。
日本は恐ろしいと思います。
私はこのhasunohaでの回答も控えていました。
最近SNSで発信を続けてついにTVの報道でも取り上げていただいて、世の中にウイグルの悲惨な現実が報道されるようになりました。
後はジャスティン・ビーバーのような世界的なインフルエンサーにチベットやウイグルの現実が伝われば、大きな動きが起こって引き離された親子や、悲しい死を遂げた方々の現実が明らかにされ、中国の非道が明かされて本当に進むべき方向へ進むことでありましょう。
私たち日本人はみんなハウス栽培の真っ赤なトマトのようなものです。
消毒されて、肥料をたっぷり貰って、虫一つつかないテラテラのトマト。
「足並みそろえよ」
「空気を読め」
「ことなかれ」
「集団同調性バイアス」
「長いものに巻かれろ」
冗談じゃない。
青臭いといっても、品種改良?改悪?されないままの本来の青というのは素晴らしい青ではありませんか。
青は青でもへこむブルーもありますが、スカイブルー、マリンブルー、群青色もあります。
いつか世の中の悪や不正をしている人たちが真っ青になるような生き方をいたしましょう。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

渡部仁海様、はじめまして!お返事ありがとうございます。
初心を忘れない、ということが恥ずべきことではなく大切なことと思うこと。それで良く、また、お坊さまにとっても心掛けたいと思うことなのだなぁ…と考えると、Pさんの器の大きさや生き方に尊敬をし、やはり私の目標とする人であるとしみじみ感じました。10年経ったとき、もし自分が蓮のような人になれていたら…と願うばかりです。

和田隆恩様、お久しぶりです。お返事ありがとうございます。
学生から社会人になった頃には、私の目標は「青臭い人間であること」でしたが、それを言うと、大概、笑われるだけで、特に就活や転職の面接なんかでは失笑のもとになるだけ。まさに「マイナスイメージ」でしたが、私にとってはすごく大切な気持ちなので、ずっとずっと大切にし続けてきました。お坊さまが聞いたら、何と答えるのだろう?また失笑されるかも知れない…と思っていましたが「初心」とプラスイメージでとらえておられることと分かり、ホッとした気持ちになり、また、頑張る力になるような気がしました。これからも、私らしく青臭く前向きに生きていきたいと思います。

丹下覚元様、お久しぶりです。お返事ありがとうございます。
うーん…「なかなか取り上げてもらえない」という問題は世の中にいっぱいあって、私ももう自分が動き出すしかない!私がそちら側に立つしかない!ということで、いっとき働かせていただいたりもしました。
でも、やっぱり全部取り上げるのは無理なんですよね…だから、信頼出来る方がトップにいる局に気持ちを託す、情報提供してみる、等々…。私も本来の青いトマトでいたいものです。これからも青臭く、品種改良してしまわないよう心掛け、自らを研ぎ澄まして生きていかなければならないなと思います。

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