恋か執着か
ある男性のことを好きなのか、それとも執着してしまっているだけなのか分からなくなってしまっています。
相手とは去年出会い、2人で出かけることができるくらいには仲がよいです。
とても素敵な方で、友人としても1人の男性としても尊敬し、好意を抱いています。
ただ、大学が違うため連絡を取ることは少なく、わたしから誘わない限り会うこともありません。
相手には相手の大学生活があるし、程よい距離を保っていれば友人としてずっと関係を保ってられると思う一方、彼に恋人ができたらと考えると苦しくて泣きたくなってしまいます。
元々執着心が強く、友人たちにも彼にこだわりすぎじゃない?と言われたことが多々ある、また相手とやりとりする中で不安になったら落ち込んだりすることが多くなり自分の気持ちがわからなくなっています。
これは相手のことが好きなのか、ただ執着してしまっているのかどちらなのでしょうか……
くだらない相談だとは自覚しておりますが良ければご回答よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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どちらか一つということでなく
ご相談拝読しました。くだらない質問などではありませんよ。
相手への好意の思いに「恋」と「執着」の2パターンがあり、どちらかに分類されるのではありません。
言うならば「執着」に「恋」という名前をつけたのが人間の恋心でしょう。だからそれが良いとか悪いとかいうことではなくそういうものなのです。
あなたが彼の思う気持ちは文面からみれば明らかに恋心だと私は感じます。
しかしその相手を慕う心があるからこそ、その中に相手を思う通りにしたいという執着も含まれてきてしまうものです。それは人間の性質なので仕方のない事です。
でも執着に振り回されるだけでは苦しいだけです。自分の心をよく観察し、行動を省みることは大切な事だと思います。
執著は自分の力では破れません。執着を破ってくれるのは事実です。つまりあなたがいくら求めても彼がどうなのかという「事実」、もしも結ばれたとしてもこちらの思うままならば関係が上手くいかないという「事実」。
そうした「事実」から問われてこそ、自分の執著に気づいていけます。
「恋」という名の下に自分の執着心をごまかしていくのでなく、「恋」焦がれるからこそ、そこには同時に執着心があるのだと意識してみましょう。