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縁ってなんですか?

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先月彼氏に振られて現在婚活中ですが、元彼の事が未だに忘れられません。

元彼からは仕事も忙しいし合わないと思う、私は何悪くない全部自分のせいだと言われ振られたのですが…

特に人と向き合うのが苦手な彼氏でその他欠点もたくさんあってそれでも私は好きだから受け入れようと思ってました。まぁでもそれでも振られたという事は相手にとってそれだけの価値がなかったという事は理解しています。
ただもうちょっとうまく付き合えたかなと今は後悔ばかりです。

その事を話すと周囲からは私は悪くないしょうがないご縁がないから諦めろ言われます。
周囲も慰めの言葉として縁がないと言ってくれるのは分かっています。
それどころか私がいつまでも引きずるなら縁切り寺に一緒にお参りに行こうと言う人までいました。
でも私は本当に彼氏の事が好きだったのでその人とご縁がないと言われるのがとても辛いし、そんな超自然的な物でなんだか納得できません(すみません)

ご縁ってなんですか?自分の意思や努力だけでは乗り越えられないものなんですか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あらゆるものすべてが縁

自分の意思や努力だけでは乗り越えられないものがあるのです。

それをあなたの周囲の方々は「ご縁」という言葉で表現しているのでしょう。

しかし、仏教的に言えばご縁は「ある」とか「ない」というものではなく作用(はたらき)です。言ってしまえば縁しかないのです。私に縁があるとかないとかいう話ではなく、私も縁なのです。…わかりにくいですよね。

例えば「種を蒔いたら芽が出る」という現象において、「種を蒔く」という行為が因(直接的原因)、「芽が出る」のが果(結果)。この因果関係が成立するには「水やり」や「日照」などの間接的原因(条件)が必要です。これが縁です。

これはあくまでも「種を蒔いたら芽が出る」という一つの現象を切り取って見ていますから因・縁・果がそれぞれ別個としてあるようにみえますが、実際には「芽が出た」ことがまた因となり縁となり様々な現象が連続していきますし、種が種としてあるにはそれまでに無数の因や縁があってはじめて成り立ちます。
また、「ある」ことだけに目が向きがちですが、ここには「鳥に種が食べられ“ない”」とか「災害が起き“ない”」など「ない」という縁が「ある」ことではじめて「種を蒔いたら芽が出る」という現象が成立していることを忘れてはいけません。

こうしてみると単純な「種を蒔いたら芽が出る」という現象ですら奇跡的であることがわかります。

ならば、あなたが彼と同じ時代に同じ地域に同じ人間として生まれ、出会い、そしてお互いに一時でも惹かれ合うというご縁は奇跡的であり、それが継続するには人間の意思や努力だけではどうにもならないものがあることに頷けてこないでしょうか?

あなたがいくら完璧に振舞ったとしても彼があなたを好きでいることがずっと続くわけではないかもしれないし、あなた自身の心もまた無常であり変化するものなのです。

あなたが今、後悔の気持ちにあるのも自分でそうなろうと思ってなったわけではないでしょう?その気持ちをやめようと思ってやめれるわけでもないでしょう?

同じように、彼もあなたを好きでなくなったという気持ちが現象として成立したご縁は彼の意志や努力でコントロールできるものではありません。

そういうどうにもならない世界に頭が下がり、受け止めることが出来ないとこの世は苦しみでしかないように思います。

お辛いでしょうが今一度考えてみてください。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
少しむなしいですが、
私の努力次第で何でもできると思うのはちょっと傲慢でした。
どうにもならないことを受け入れる…事が出来るようになればもっと楽に生きられるんでしょうね。
それがいい事なのかは分かりませんがもう一度よく考えてみます。

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