母の死の記憶とトラウマ
去年の夏、母が病気で亡くなりました。
最近、母が苦しんで倒れる夢や看取る瞬間の夢をよく見ます。
母の死の瞬間を鮮明に思い出してしまい、「人の呼吸が止まって死ぬ」という状況への恐怖や、「もっと早く病気に気付いてあげられたらよかった」「もっと話したかった」という後悔の気持ちなどが溢れてきて、起きた後は長時間泣いてしまいます。
自分の心がまだ混乱している感じがして、どう落ち着かせたら良いのかわかりません。
死とどのように向き合い受け入れていけば良いか、教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
感情を押し殺さず、悲しみにあらがわない
ずいびん早くお母さんとお別れになったんですね。まだ一年くらいですから、悲嘆に包まれておられるのは当然です。
というか、日にち薬、という言葉は確かにあるけど、月日が経過したから悲しみが薄くなるというわけでもないです。
私の母は49歳で亡くなりました。肝臓がんで気づいた時には手遅れ、という状態でしたから、現在、あなたがお感じになっていることと同じようなことを私も思ってきました。
そうした状況ですから、自分でもいろいろ考え、本なども少しは読みました。そのなかでお伝えしたいのは、悲嘆を乗り越えたい、みたいなことに考えるところはありますが、むしろ悲嘆を抑え込もうとせず、思いきり悲しむことが大切であるようです。ひとりのときは誰も見ていないのだから、どんどん泣いたらよいと思います。感情を押さえつけないんです。トコトン悲しむことが大切で、無理に乗り越えようとしないんです。
ほかには、儀式は大切でした。お葬式はもちろんですが、初七日とか四十九日の法事、一周忌、三回忌などは悲嘆を軽減するための昔からある生活の知恵だったことを何度も遺族をやって教えられました。現在、あなたはお寺との関りが深い環境のなかにはないかもしれないので、これをそのままあなたもやってくれとはいえません。あなたがよいと思うやり方であなたなりの儀式を続けていかれるのはとても大切です。
また、お母さんへ手紙を書く(手書きがよい)、身内や親戚の方々と思い出の文集を作ってみるなどが、よかったという方もありました。私も文集を作りました。でも、いまはその状況じゃないなら、すぐこれらを真似る必要はありません。
最後に、遺族会への参加もお勧めできます。がん患者遺族の会に出席しましたが、同じような状況で家族を亡くした人たちが集まって話し合います。専門的に学ばれた遺族の方々が話し合いの内容から助言をくださいます。これは有意義な集まりです。がん以外にも、種々の遺族会があり、参加されたらよいとお勧めできる会もあります。