自立・甘え・自己中心
現在大学生の者です。
わたしは今まで周囲の目を気にして生きてきました。
大学に入学し人間関係の輪が広がると、周囲の目を気にせず自分らしくキラキラ生きる人にたくさん出会いました。
わたしもこんな生き方がしたい!と思い、自分なりにどうしたら自立できるのか調べてみました。
そこでどうしても分からないことがありました。
「自立」と「甘え」と「自己中心」の違いについてです。
わたしは、「甘え」とは自分の力でできることに対して周囲に助けを求めることだと思っていました。しかし、それではこのように自分の悩みを相談することは「甘え」となってしまうような気がします。
自分の力だけで解決しようとすると、周りが見えなくなり「自己中心」になってしまうとも思います。
「自立」「甘え」「自己中心」の違いについて、どのように捉えていらっしゃるのかご意見いただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自立」しても「甘え」に頼りながら「自己中心」の私に気づかされ
なるほどね。ちゃんと自分を分析していて、偉いわね(^^)
周囲の目を気にするって、ある程度は必要なことよね。社会の中で共存しているからね。協力し合ったり、共に生活していれば、好き勝手にやりたい放題では、周りが離れていってしまうわね。
ただ、気にし過ぎると、自分が出せなくなって、何をするにも周りの反応を見てからしか一歩が出せなくなる。無難に、同調しようと。そんなの、窮屈で 自分の意思に反するわよね。生きづらいね。
さて、あなたの問いの
「自立」「甘え」「自己中心」の違いですが。
線引きは曖昧ね。また、人によっても認識は違うと思うわ。
これらは、相対(そうたい)だと思うのよ。
「自立」周りの助けなしで自分で行う進めるということだけれど。大人になると、自立できて 一人で解決出来ることも増えてくるけれど、完璧じゃないし、一人で生きてきたわけではなかった、多くに支えられてきたのだと気づかされる。これも、自立したからこそ、気づけたことだと思うわ◎
また「甘え」は、自立の反対のような気がしますが。甘えてくれることを期待したり、甘えられる場所や存在があることで、人は強くなったりできるものね。心の支え、拠り所という意味では、甘えを持っていなくちゃね◎
「自己中心」は、勝手な自分、欲ということだけれど。仏教では「煩悩」といって、人間なら誰しもが秘めているもの。周りに迷惑がかからない程度に、うまくコントロールしながら、人は自分を許し、相手を許し、認め合って生きています◎
「自立」しても、「甘え」に頼りながら、「自己中心」の私に気づかされている。
違いはあるけれど、こんな生き方、
これって、悪いこと⁈でもなく、人なら誰しもが持ち合わせているものじゃないかな。
それとうまく付き合いながら、バランスの中で、人は共存していますよ。
あなたは、あなた。
周りに流されず、自分を大切に。
支え合える、刺激し合える、愛し合える、理解し合える、、、
そんな 縁に巡り合いながら、生きていってね(﹡´◡`﹡ )
他人との関わり合いの中で。
こんばんは。亀山純史と申します。
私たちは常に他人との関わり合いの中で生きています。どんなに自立した生き方をしている人でも、他人との関わり合い無しには生きていけません。言い換えれば、私たちは他人のお世話になりながら、時には迷惑をかけながら生きているのです。
そのような中で、他人が私に対して、しなくてもいいお世話をしてくれているとき、それは「甘え」だと思います。
そして、「私たちはいつも他人のお世話になっている」ということを忘れているとき、私たちは「自己中心」になっているのです。
最後に「自立」とは、「他人のために生きる」ことが出来る状態になっていることではないでしょうか。
以上が私からの回答です。充実した大学生活を過ごしてください。
質問者からのお礼
中田三恵様、亀山純史 様
ご回答ありがとうございます。
お二人のすてきな回答に心が温まりました。
そしてなによりも、人生の先輩方がわたしの考えたことを読んでくださって、ばかにしたり見下したりせずに受け止めてくださったことがとてもとても嬉しいです(*´ー`*)