人の不幸を願いがち。
自分は浪人生で、今まさに受験の真っ最中です。
家庭の事情で私立受験は不可能で、かつ今年で最後の大学受験です。
1年間がんばってはきたのですが、先日のセンター試験では失敗してしまいました。幸い絶望的な結果ではなかったのですが、二次試験がかなり不安です。
その不安が転じて、人の不幸を願うようになってしまいました。
私立受験が可能な友達をみていると、悔しくてたまりません。みんなと同じかそれ以上の努力をしてきたのに、自分は国公立大学に不合格だと大学進学を諦めなければならない。しかし彼らは失敗しても私立大学に通うことができる。そう考えるとなかなか応援できなくて、みんなも失敗すればいいとさえ思ってしまいます。
いままで支えてきてくれたし、いっしょがんばってもきた仲間なので、感謝とともに応援したいのですが素直にそれができなくて本当に悔しいです。
まだ不合格と決まったわけではないのですが、この気持ちは晴らすことができないのでしょうか。
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率直な気持ちに気づく
ワイオさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
よろしくお願いします。
ワイオさんの偽らざる気持ちをお書き頂きましたね。
今まで支えてくれ、一緒に頑張ってきた仲間を素直に応援することが出来ない、それどころか不幸を願ってさえしまうとのこと。
でもワイオさんの事情を拝見して、そう思ってしまうのも無理のないことだと思いました。そんなことを思わないことよりも、自分の気持ちに気づくことの方が、人として大切なことだと思います。
話は少し変わりますが、私が師と仰ぐお坊さんが、こんなことを仰っていました。
その方は大学で教鞭をとっていらしたのですが、新入生の最初の授業の時…
「皆さん、入学おめでとうございます。でも、皆さんが合格した陰で、不合格で涙を流した方が数多くいます。そのことを忘れずに、学生生活を過ごして下さい」と話すのです。
新入生としてはこれから楽しい大学生活が始まる時に、冷や水を浴びせられるような気持ちになったと思います。でも真実でもあります。
ワイオさんは、自分の率直な気持ちに気づきました。
ですから大学に合格した時には、不合格だった方の気持ちが分かる学生になれると思います。
また、もし不本意な結果だったとしても、人として大きな学びをなさったのではないかと、私は思います。受験に向けて頑張ったこと、大きな学びをしたこと、それは決して無駄にはならないはずです。
もちろん良い結果が出るように、精一杯念じております (−人−)
質問者からのお礼
相談にのっていただきありがとうございます。
たしかにそうだな、と思いました。
気づかせていただき本当にありがとうごさいます。
本番まで残り少ないですが、精一杯がんばります!