死ぬ勇気もない癖に何かあればすぐに「死んで楽になりたい」という
思考に陥ってしまいます。
とても不謹慎ではありますが、ニュースで人の「死」を目にする度に
「羨ましい」と感じてしまいます。
この思考から抜け出し、前向きに生きていく方法を探しています。
私は、現在転職活動をしている30歳女性です。
新卒で自分の能力には合わない程の大手企業に入社出来ました。
入社5年目で職務内容が180度変わる異動を経験し、精神疾患を患い、
半年程休職し、復帰後6か月で退職しました。
その後入社した企業では、上司との人間関係、新規営業の辛さから
3か月で退職してしまいました。
現在は転職活動をしていますがなかなか上手くいかず、やりたい事
も見つからず、人生が止まってしまったように感じています。
1社目の精神疾患罹患時、退職時、2社目の退職時も自分に甘い考え
があり、逃げの道を選んでしまいました。
私は両親や家族から大きな愛を受けて育ちました。
とても恵まれた環境であったにも関わらず、こんな自分になった事が
とても申し訳なく思っています。
その恩と愛を返して人生を前向きに生きていきたいと思っています。
ですが、その生き方が出来ない自分がとても恥ずかしく思います。
死んでしまいたいと思いますが、自分には死ぬ勇気もありません。
死ぬ事が出来ないのであれば、せめてこの思考から脱出し、前向き
に生きていけたらと思い、この度質問をさせて頂きました。
知恵をお借りできれば幸いです。
宜しくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご相談拝読しました。
生きるって前向きでないといけないのでしょうか?後ろ向きでもいいのではないでしょうか。
精神疾患も経験されたのですから希死念慮も含めて鬱傾向の思考になることはある意味自然な部分もあると思います。
また、そうでないにしろ人間暗くなる時はなるものです。
つまり、思考や感情はそういう様になるべくしてなっているということ。きわめて自然な現象であってそれをコントロールしようとする方が不自然ではないでしょうか。
思考・感情 ≠ 私
です。
死にたい気持ちになっても、「ああ私は今こう感じる縁の中にいるのだな、でも私はこうしよう」と思考・感情に振り回されずに人生に主体的な態度選択を示せるように意識してみましょう。
もちろん時にはそうもできないほど思考・感情の波にのまれてしまうこともあるでしょう。でもその波は永遠ではないのです。波がおさまればまた水面に浮くでしょう。その時はその縁に身を委ねてもいいのかもしれません。
楽な思考に逃げることは楽な思考の世界に自分を閉じこめるだけであって、楽な現実を生まないことは十分に経験されてきたと思います。
楽は苦を避けた先でなく、苦を引き受けてこれも今の自分の縁だと苦に真正面に向き合えるところに開かれてくるのではないでしょうか。
ブラックな労働環境や煩わしい人間関係を全て我慢する必要はありません。でもどこかに楽な理想郷があるはずという思考に逃げるだけでは現実は開けてこないでしょう。
思考・感情に振り回されないバランスを探ってみてください。
お忙しい中お返事を頂きありがとうございます。
お言葉がとても心に響き、涙が止まりません。
仰る通り、死へ逃げる思考の自分は駄目人間で恥ずかしいと自己否定ばかりして、身動きが取れない状況になっていたように思います。
負の感情に振り回されるよりも、それを自然な感情だと受け止めてコントロールする。これは心が元気な数年前は自然と出来ていたように思います。精神疾患を患って以来、感情のコントロール方法が分からず溜め込んでしまっていたのかなと感じました。
すぐに思考を変えるのは難しい事ですか、教えて頂いたようにコントロール出来るように、少しずつ頑張っていきたいと思います。
本当に有難うございました。