子供の虐待について
私には生後半年の息子がいて、毎日大切に大切に、愛情をたくさん注いで育てています。
最近、小さな子供が虐待されて死んでしまったというニュースを見かけます。
小さな子供が虐待や暴力を受ける話を聞くと、自分を責めてしまうようになりました。ニュースの子供は全くの赤の他人ですが、まるで私が目の前で見殺しにしてしまったような気がしてしまうのです。
私が幸せにしてあげたかった、もし生まれ変わることができたなら私のもとへ来て欲しいと、心から願っています。
テレビで取り上げられているのを見るとあまりにもつらくなってしまうので、チャンネルを変えるようにはしているのですが、思い出すだけでとてもつらく夜もなかなか眠れません。
私にはどうすることもできないのも分かっているのですが、それでも悪いことをしてしまった気がして自分を責めてしまい、とても悲しいです。
この気持ちを綺麗さっぱり無くしてしまうのは当然良くないですが、少しだけ楽になりたいです。どのように気持ちの整理をつければよろしいでしょうか。よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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どうぞお任せください
まさみさんは優しい方ですね。ただ、優しさの余り、苦しまれているのでしたら、お辛いことです。自分が見殺しにしてしまったと思ってしまうことは止められないかもしれませんが、我々僧侶が、きちんとご回向しておりますので、そのことは我々にどうぞお任せください。そして、もし、道端にお地蔵さんを見かけたら、そっと心の中で手を合わせてください。
また、生後半年の息子さんに、これまで通り、たっぷりと愛情を注いでください。この先、もし身近で、虐待をしてしまう親と出会うことがあったら、まさみさんが、虐待されている子がいたら、息子さんが、ぎゅっと抱きしめてあげる存在になってください。
現実できること
こんばんは。他者の痛みを自ら感じる。「同悲同苦」と言います。本当に、貴女のような心持ちの方が増えるといいのに、現代の何を見るに付けても、そのような気持ちになります。
私はこの間、台湾地震の義援金、寄付をしました。本来ならば人に言うようなことではないのですが、遠く離れた日本にいる私が今できること…と考えてです。昼食代が一日800円位ですから、一週間分で4000円。微々たるものです。自己満足かも知れません。…けれど、自己満足とは何でしょうか。「これで終わり!もう忘れよう」という態度ではないでしょうか。
この世の中の、どこか片隅、ほんの小さな場所でも、何か出来るならばやり続ける。「一隅を照らす」という言葉があります。良かったら、検索してみて下さい。