死にたいです
ある道徳(宗教?)に出会って「業が深い主人を大切にしていない親を大切にしていない」と言われてから、幻聴が聴こえるようになり眠れない食べれないで倒れてしまいました。幻聴にしたがい、暴れ、警察まで来ました。精神科で解離性障害とうつ病と言われました。数ヶ月で幻聴は消えましたが、うつ病に関しては今日でちょうど2年になります。
幼少より母からの過干渉、しつけという名の虐待(針で刺す、棒で殴る、布団にす巻きにされる、家を追い出される)、言葉の暴力に耐えて大学進学を期に家出。逃げるように結婚して思春期真っ只中の子供が二人います。
今は家事は出来ないやりたくない、子供の面倒も見られない。他者貢献も出来ない人間なんて生きてる意味ない。甘やかしてくれる主人と子供たちには感謝しかありませんが、会話も無いのでずっと一人です。
友達も元々いません。仲良ししていたと思うのは私だけのようで気がつくと私だけ外されて皆さんで楽しく会ってらっしゃるようです。
母からはうつを期に「縁を切る」と言われました。ほっとした反面、やはりこの人には愛されて無かったんだなと。それでも父を使って子供たちにごますりのお小遣いをわたしたり、私の様子を父に見にこさせたりしてるのが腹立たしいです。
やる気がない、体が動かないというのはうつのせいだとしても「死にたい」と思ってたのは小学生から。結婚して薄れていたのにまた元に戻ってしまった。これは一生失くならない気持ちなんだと思います。
主人には「精神が病んでるって気付かず結婚して申し訳ない」子供たちには「病んでる母でごめん」という気持ちで、私が居なくなって、健常者の方が来てくれた方が皆幸せになれるのにと思います。
主人は責任感からか「離婚はしない」と言ってくれますが、私の想いを聞くのは嫌がります。(病気が言わしてると思ってるようで、病院で話すように進められます)泣くことも止められます。子供たちが勉強中なのでベッドでこっそり泣き声が漏れないように書いています。
4月から学費の為、3時間ほど働きに行き出しましたが、毎日「車がひいて殺してくれないかな」と思いながら通勤してます。しかし、仕事は苦痛ではありません。自分の存在が嫌なのです。自殺がダメなら病気でさっさと死ねれば良いのに。でも来週のお盆休みに決行しよう。ご飯さえ作っておけば困らないはず。主人は仕事子供たちも自分の事してるから。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生きていいのですよ
よく頑張ってハスノハに書くことができましたね。それだけでも凄いことだと思いますよ。ハスノハに書いてくれてありがとうございます。
私たちは友人というほどの仲良しじゃないけど、あなたの書いた文をしっかり読ませてもらい、何かお伝えすることが有れば回答に書かせていただきますからね。
これからもあなた自身の思いや考えを整理するためにも、ハスノハに色んなことを書いてくださいね。
さて、あなたが子供の時に死にたいと思ったのは、お母さんがあなたに虐待をしていたからです。
そして、あなたが大人になって再び死にたいと思ったのはその宗教?からの悪口の影響です。
ですから、あなたは生まれつき、生まれて今までずっと死にたいと思っていたのでは無く、虐待や悪口を受けた時に苦しくなって死にたいと思うだけなのです。
一時的なものなのです。
本心は生きたいのだと思います。
虐待や悪口が無ければ、幸せに生きていたと思います。
今は幻聴が収まっていて、仕事も少し始められたようですね。
だんだん苦しみが小さくなっている証だと思います。
その調子で、急がずに、少しずつできることをコツコツとやっていきましょうね。
ご主人もお子さんも社会もあなたを必要としています。
そしてあなた自身がより成長する為にもあなたが必要です。
そのまま、ゆっくりでいいので生きてください。
一年前の自分より今の自分は成長したと実感していませんか。病も治まってきたと思いませんか。
来年のあなたはもっと良くなっていると思いますよ。
また、ご主人を許してあげてくださいね。
苦しさを聞くのは精神科医やカウンセラーや経験のある坊さんでしか上手く対応できないのです。
ご主人は精神科医やカウンセラーじゃないでしょ。対応を間違えるとあなたを苦しめてしまうかもしれない。だから、話すのは医師にと言っているのです。
あなたを嫌いなのでは無く、あなたのことが心配だから、病院で話してと言っているのです。
ですから、ご主人を許してあげてくださいね。
またどんなことでもハスノハに書いてくださいね。
質問者からのお礼
早速のアドバイスありがとうございます。
母からされた仕打ちを『虐待』と書いてくださって自分の想いを理解してもらえたようで嬉しかったです。
今朝、主人の寝顔を見て泣いてしまったのですが、それに気付いたようで「ごめん。今は仕事が忙しくて話を聞いてやれてない。一人で抱えたら辛いよな。なんてアドバイスしたら良いか分からんからついつい医師やカウンセラーはなんて言ってる?としか言えないんや。ごめん」と言ってくれました。ありがたかったです。
去年よりも良くなってるのかしら?去年は廃人のように1日寝てばかりだった分、死にたいとか感じる暇もなかったんです。のろのろ家事出来る事だけして食べて薬飲んで寝るだけ。今は仕事に出れる反面、脳や心が動き、苦しさを感じる。どっちが良いんでしょうね?
社会や家族に必要とされてるのか?
悪口や愚痴をいう人、私の出来る事を自分の代わりにやらせようという人からは求められる気がしますが、持ちつ持たれつの人からは求められないので正直分かりません。
損得ではない必要を感じられたら生きていられるのかなと思います。
想いをきいて下さってありがとうございました。まだ「死ぬのを止めます」とは言えませんが、自分が発したことに応えて貰えたという経験は宝物になりました。
受け止めて貰えるのは本当に嬉しいことですね。
また想いを吐き出させて貰うかもしれません。
その際は宜しくお願いします。