命日とお盆の違い
命日とは何をすれば良い日なのでしょうか ?
母の命日は、7/13、お盆はその一ヶ月後、
命日にお供物を送っていたのですが、それを仏壇に置いたり、
手を合わせる意味が無いように思えてきました。
その場に母はいないという気がします。
そういうのは全てお盆にすれば良いのかと。
であれば、命日は何をする日なのか ?
それを教えていただければと思います。
他の先祖もいるので、まとめてなのがお盆なのか。
手を合わせられるような距離ではないので、
いつもお供え物だけ送ります。
今年も送りました。
ほぼ毎年そうです、簡単に帰れない事情もありますが、
罰当たり者でしょうか ?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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仏・宝・僧の三宝に供養
まず、仏教徒として、仏・宝・僧の三宝を尊敬する信仰心があることが前提の話です。
信仰心がある人にとって、三宝に供養(おもてなし)をすること自体が喜びなのです。
で、たとえば命日を記念して三宝を供養する。そして、その功徳(良いことをして心に良い癖がつく)を、亡くなった人にも回向(えこう)しようと願うのです。
いわば、亡くなった人の代わりに三宝をおもてなしし、亡くなった人にも一緒に喜んでもらうわけです。
たとえば、亡くなった人が大ファンだったアーティストに、亡くなった人の代わりにプレゼントを送る、それを、毎日は無理だけど、命日などを記念して実施するのです。
で、お盆も、亡くなった人のために(代わりに)、お坊さん達に食べ物を供養するのがメインイベントなのです。
日本では、あの世から先祖が帰ってくる日とされていますが。
ちなみに、2600年前のインドでお釈迦様が生きておられたとき、お釈迦様は大人気の有名人で、行く先々の人々が、お釈迦様やお弟子さんを食事に招くことを名誉としていたのです。
お釈迦様を食事に招待する約束をした人に、別の人がその「権利」を譲ってもらえないかと頼んで断られた、というエピソードが経典に記録れています。
それをふまえて、お盆や命日など、特別な日に、お寺や仏壇にお供えをしたりすることが、仏教徒にとっては喜びなのです。
質問者からのお礼
ご回答頂きありがとうございました。
勉強になりました。