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座禅の悩み 昔のように安定した結跏趺坐で座禅をしたい

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仕事が落ち着き、十年ぶりに座禅会に行きました。
しかし座り方の基本が破綻してしまったのでご教授ください。

昔は結跏趺坐で通せたのですが、今回は始まって数分でかなりの痛みに襲われました。
こんな事なら事前に予習しておくべきだったと後悔しつつも足の痛みで座禅どころでなく周囲の迷惑にならないように合掌して半跏趺坐に直しました。

しかし半跏だと落ち着きが悪く、息を整えても片足が浮いて重心が傾いている感覚になります。薄目を開けて見ると両膝は畳に付いているので意識の問題だろうか?

休憩後、再び結跏趺坐に戻すとかつての落ち着いた姿勢で息を整えられました。

しかし足が痛み出すと再び座禅どころじゃなくなりました。
交差した足首の重なった所がとても痛みます。
昔は交差した部分がそれほど痛いという事はなかったはずで、年数を経て体が硬くなっているのか、足腰の劣化なのか。恐らく両方が原因でしょう。

住職は結跏に捉われずに無理せず半跏でどうぞ、とアドバイスしてくれたが、半跏では落ち着きが悪く重心が傾いている感覚で深く集中できないのです。

どうしても結跏趺坐を組み、昔のように重心が落ち着いた環境で座りたいのです。
足を組みやすくする効果的なストレッチや鍛錬法をご存じなら教えてください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今の自分に合ったやり方

私が修行した僧堂は半跏NGでしたので、必死に太くて短い足を組んで坐っていました。
でも、人の身体というものは不思議なもので、そのうち慣れてきて、3年目くらいになると2時間くらい平気で坐れるようになっていましたね。
でももう50歳を過ぎて、膝も硬くなってしまったので、今はムリせず半跏で坐っています。
坐禅会に来た方にも無理に組ませずに、いすに坐っての「ゆる坐禅」を薦めています。

バレットさんは10年ぶりくらいに坐られたとのことで、きっと膝などが硬くなってしまっていたのでしょうね、ただ単に関節が硬いだけならば、痛くても我慢して続けていれば、そのうち坐れるようになってくると思いますよ。

けれども無理は禁物です。
あまり結跏にこだわりすぎてもよくありません、それもまた煩悩の種になります。
仏教は中道です^^
厳しすぎず、楽すぎず、「今の自分」に合ったやり方を探してみましょう。

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有り難し
おきもち

様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの...
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質問者からのお礼

御回答有難うございます。

専門僧堂では結跏趺坐が基本と聞くので、足を組むためにストレッチや鍛錬法を御存じではないかと思い質問しました。

やはり、慣れが主ですか。
あれから足や膝をストレッチで伸ばしたりして少しずつ柔らかくなってます。
以前は長く組めていたので精進と共に元に戻れる気がしてます。

座禅は足の組み方にこだわっても本来の目的と違うので自分にあったやり方を模索して続けたいと思います。

「坐禅について」問答一覧

アドラー心理学と禅

法律事務所を経営しています。 顧客も案件もたくさんあるのですが、儲からず忙しいばかり。儲からない案件もお金を取らないで受けてしまうからです。 結果、大量の仕事に追われ、催促の電話に怯え、無力感や罪悪感で死にたくなる毎日です。月に1~2回、本当に自殺しそうになって思いとどまるようなことが1年くらい続いててかなりツラいです。 そんなときに、ベストセラーになった「嫌われる勇気」(アドラー心理学の本)を読みました。そのなかに、 「自分がした善行に相手の配慮を期待するのは筋違い」 「受けた善行に返報しないことに罪悪感を覚えるのも筋違い」 「助けを求められてそれに応えないことに、罪悪感を覚えるのも筋違い」 「自分が何をすべきかは「自分の課題」であり、それを相手がどう感じてどう対応するかは「相手の課題」だから」 「自分の課題と相手の課題を混同してはいけない。相手の課題を勝手に自分の課題にするから苦しくなる」 というようなことが書かれてました。 自分は誰かの役に立つことは好きなのですが、そのことでお金を請求するのが苦手です。一方で、役に立つことをしてるのに相手から配慮して貰えないと苛立ったりします。また、何かを頼まれて断ることに罪悪感を覚えます。断ったら「嫌なヤツ」と思われるかもしれないという恐怖もあります。 アドラーの指摘するように、自分の課題と相手の課題を切り分け、「お金を請求して、支払うかどうかは相手の課題だから、気にせず請求すればいい」「相手の役に立つことをしても、それにどう応じるかは相手の課題だから、相手の配慮を期待するほうがおかしい」「頼まれ事を断ったとして、それをどう感じるかは相手の課題だから、どう思われようと気にすることはない」と考えれば確かに楽なんですが、お坊さん的にはこうした考え方ってどうなんでしょうか? そう考えると楽なのは分かるんですが、なんとなく腑に落ちないのです。 以前聞きかじった禅の思想(教え?)で、「一時の結果や他人の評価など気にしても仕方ない(どうせ本来無一物/諸行無常)」「自分は自分。他人は他人(主人公)」みたいなのがあった気がします。うろ覚えですが。 禅にも似ている考え方があるんじゃないかと思い質問してみました。 実は人に相談するのもとても苦手です。 ご回答頂ければとても嬉しいです。

有り難し有り難し 34
回答数回答 2

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