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猶予が無いのに仕事を決められない

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有り難し有り難し 34

両親が他界した後は実家一人暮らしです。しっかり働くことの心配や不安から不定期勤務で5年半程暮らしています。経済的に苦しく生活困窮者で行政機関に何カ所も申請や相談に行きましたが自身が働くしかない状況です。
そんな生活で遂に温水器破損でお湯が使えず、銭湯は徒歩30分掛かる上に雪国で移動も困難です。経済的理由で車も手放した事で仕事選びも大変になりました。考えているのは【苦手意識がある工場の派遣で入寮する】か【掛け持ちして風呂、シャワーが無い不衛生(銭湯に行く時間が無いかも)生活ながら自宅出勤】が良いかという事です。

私は仕事から逃げる気持ちがあり、仕事や環境に馴染めるか不安もあり継続勤務が心配です。

背中を押してくれる人、心を支えてくれる人が誰もいません。

些細な決断も出来ず相談しましたがどうか良きアドバイスをお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

えいっ と。

一歩踏み出してみてください。

娑婆は辛い事が、多いです、でも、貴女ならばきっと大丈夫です。

お父様も、お母様も見守っていて下さいますから。

ハスの花も、綺麗な水では咲きません、泥の中から綺麗な花を咲かせます。

大丈夫です。

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おきもち

ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市 の 大法寺 の住職をしております。 大法寺は、代々尼僧寺院であり、苦しんでいる女性を救い 「 おわりはじまりのてら 」 「 尾張の駆け込み寺 」と、呼ばれておりました。 白龍が住んでいると言われている、樹齢650年の大楠の元に、倶利伽羅不動明王の祠が有ります。 その宝剣で、悪い縁を切って下さると言われ、『 悪縁切り供養 』をしています。 病気、人間関係、依存症、自分の中の悪い想いを 切って下さいます。 縁切りの絵馬に、切りたい縁を書き込み、縁切りのお護りを授与しております。 是非、お参りください。 『 命の相談会 』 を、開催しております。 胸の中にあるもの、だれにも言えない事を、全て吐き出しましょう。 一緒に泣きましょう、一緒に叫びましょう、一緒に笑いましょう。 自坊、ショッピングモール、赤十字血液センター、カフェ、放送局、等で 定期的に行なっております。 日程は、ホームページで、確認してください。 ホームページ www.daihouji.org 『 樹木葬 大法寺 』 『 縁切り 大法寺 』 で検索してください。 緊急の場合 苦しかったら、辛かったら、電話ください、 09066179353

湯冷めする前になら行動する。

修行道場8年目時代、風呂場が一番遠いところに住んでいたためにもろくすっぽ風呂に入らず外の水道で水浴びして大体用が足りることを悟りました。水道があって人目さえが無ければ大体風呂の用が足りる天地が露天風呂、寺マエ・ロマエ丹下です。
あの時、犬の散歩をしていたおばさん、スッポンポンでびっくりさせてゴメンさい。っていうか、寺の境内の内部にまで入ってこないでください。
さて、
あなたはアタマで仕事をしていますが、アタマで仕事をしているうちは手が動いていません。
アタマの世界に生きることをやめましょう。
湯上りだって、ほっておけばどんどん湯冷めします。
湯冷めする前に行動しなければ風邪ひきます。
つまり、そのためになら嫌でもやらざるを得ません。
あなたには、まだゆとりがあるのです。ぶっちゃけボンビーでもへっちゃらでしょう。
生きるか死ぬかのギリギリになるまで人間行動しないもんです。
その時がくればどのみち動かざるを得ません。それまではテラマエの戦闘でゆっくりぬるま湯につかっていてください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。こんなに早く返事が頂けると思っていませんでした。私の状況に合わせて直ぐ対応して下さりとても嬉しいです。『えいっと…』は呪文のような言葉ですよね。理屈で頭の中が雁字搦めになっているのを抜け出す突破口にしたいです。石橋を叩かず歩いて時期もあった私です。先ずは動いて見ようと思いました。見守る両親に安心して貰えるように…。一人じゃないんだと感じています。感謝しています。

回答ありがとうございます。まだ余力があるうちに行動すべきなのに私は所持金が0円になるまで動かない呑気でノンビリ屋な面もあります。状況が悪化しないうちに動いて面接や説明会に行ってみます。一日中誰とも話さないので人の気持ちや考えを伺えて参考になりました。納得する事ばかりでした…。

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