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ムシャクシャして休日が休めない

回答数回答 1
有り難し有り難し 19

先週は嫌なこと尽くしの一週間でした。

もう、ほんと、何度ここで書き直したか。言うか言わまいか悩みました。

詳細や心情をぐだぐだ書いたとしても1000文字では足りない熱量

修正してはやめて
言いたくなっては質問画面は待機状態

他の悩み相談所なるところにいっても
心ない人にバカにされ
イライラ、イライラします

叫びたいけど叫んだら変な人になるし
歌を歌う気分でもない

嫌なことをああ言えば良かった
こうすれば良かった
なぜああいうことを言ってきたのだろう
なぜ終わりごろに言ってきたのだろう
最初から知ってたらもっと違ってたのに
あの人にはもうなんでもかんでも喋るのはやめよう
どうも信用が出来ない

等々複数の事柄についてぐーるぐるです。

ここにも事細かく書いて
聞いてくださいよ!
ほんと嫌な目に遭ったんですよ!
と言うつもりだったけど
半分言ってるけど

修正画面で
これを言ってもどうせ怒られるんだろうなとか分かって貰えないんだろうなとか先週という過去に対して怒ってももうどうにもならないし、それを蒸し返して怒ってるだけだもんなと私の愚痴の答えは私がすでに持ってるのだと薄々分かります

折角の休日
先週嫌な目にあっても頑張った自分のご褒美
気分は最悪です
休日のために頑張ったのになんで引きずってしまうのか…
楽しいとか嬉しいとかそんな気分になれません

こういうときはどのように過ごされますか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【追記あり】そういう時はありますね

それはせっかくの休日が残念なことになってしまいましたね。お気持ちお察しします。

何があったかわかりませんが、よほど嫌な事があったのでしょうね。ただ嫌な事があっただけでなく、それについて自分がした選択にも自分自身が納得いかない…するともう心はなかか落ち着きませんね。

そのような時にどうするか。

はっきりいって選択は二つに一つだと思います。

①ごまかす
②根本的解決を図る

たいていは①でなんとかなるし、なんともならなくとも何とかするしかないということで①に終始するという人が大半だと思います。

手段としては、

・酒飲んで愚痴る
・身体をうごかしてリフレッシュ
・美味しいものを食べて早く寝る
・好きな趣味に没頭
・好きな音楽を聴ききながらリラックス

とかそういう類でしょう。

でもこれってその場しのぎにはなっても、また時が変われば、相手が変われば、シチュエーションが変われば…あれ?また同じようにムシャクシャ・モヤモヤということになりませんか?

つまり、それは自分の外側にそう感じさせるものがあるというだけの問題でなく、外側を縁(きっかけ・条件)としてそう感じてしまう原因が自分の中にあるということなのですね。

単純に言えば、怒らせる状況があるだけなく、怒る自分がいるということです。同じことでも怒る人と怒らない人がいるということは、その状況が絶対に怒るものという属性ではないことがわかります。何か自分の中にある。

それを問題にするのが②

すなわち仏教であり、言ってしまえばその自分の中にあるものは煩悩なのです。

でもここからまた仏教も色々分かれてのですね。

とは言ってもおそらくそんなにガチで仏教を学ぼうとは思わないでしょう。もっとてっとりばやくなんとかしてくてというのが本音でしょう。

でもそれはどうにもならないのですね。だからみんなごまかす。ずーーーーーっと①

それいいのか、いいのか自分?自分で自分の人生ごまかしたくないはず。

そう思えたらその時に仏教の門を叩いてください。いつでもウェルカムです。

【追記】
仏教はお坊さんだけのものでなく、仏教徒みんなのものです。誰でも救われることが出来るはずです。だからといってそんなに簡単なものではありません。
何のために生まれてきたのか…その問いはすごく大事な問いですよ。それこそごまかしてはいけないものです。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

ありがとうございます
悩みを話しても結局のところ出家してお坊さんにならないと出来ない技なんですね
人はなぜ怒るのか、なぜ怒りに変えてしまうのか
自分の受けた感情はなんだったのか
この感じたことは不必要なことだったのか
なんのために生きてきたのか
もう死ぬしかないのか
わかりません

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