自分の性格が嫌いです
プライドが高く、他人に弱みを見せることができません。
本当は他人にたくさん嫉妬しており、
心もどうしようもなく、弱いので、
それを隠すために無理して明るく
振舞ってしまいます。
お付き合いさせていただいてる方が
年上なのもあり、かなり
依存してしまっており、
相手に負担をかけてるのも
甘えすぎているのも
正直分かっています。
自分には形になるような結果を
残している訳でもないのに、
もともと前に立って仕切ってしまう癖もありそんなことを考えるたびに自分の存在意義が分からなくなります。
さらに、最近は自分がいない方が
よかったのではないかと考える事も
増えてきて、正直しんどいです。
恋人への依存度も比例するように
高くなってきている状態です。
すいません。生産性のない悩みなのもわかっているのですが、他に話せる
場所もないため、思わず書き込んでしまいました。
コメント頂けると嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
彼との関係がそれで成立しているなら
年下の彼女に甘えられ、依存されたい、と考える男性なら、相性の面でマッチしており、つり合いがとれているわけです。何の問題もありません。
逆に彼が、自立した依存しない女性を求めているなら、二人の関係は不適合だから彼とってあなたはシンドイ存在となります。
どっちなんでしょうね。たぶん前の方なんでしょう。だから続いているわけです。だったらそれでいいんじゃないでしょうか。
それから自分がいない方がいいじゃないか、とおっしゃいますが私もそう思うことがあります。自分なんてしょうもない人間だなぁ、と思うことは多々あります。
だけど、しょうもなくない人間なんてどれくらいいるんでしょう。また、しょうもなくてもしょうもなくなくても人間、いつか死にます。お若いからピンとこないかもしれませんが、時間の流れはとてもはやく、あっという間にあなたもオバサンになります。森高千里という歌手は若い頃、「私がオバサンになっても」という歌をうたっていました。あいかわらず美人ではありますが、あっという間にオバサンになってしまいました。だから、いない方がいいように思われるといことですが、気づいてみたらあっという間にもうすぐいなくなる時期がきます。自分が自分をどう感じるのかなんて大した問題じゃないんです。
朝日新聞土曜版beのもうすぐ終わる連載があります。淀川キリスト教病院の藤井理恵チャプレン(牧師さん)が書いておられます。ホスピスの牧師さんとして死んでいく患者さんと接してこられたことを書いて下さっています。あなたと同じようなことを感じ、悩みながら、人生の終着点近くまできた人たちにキリスト教の聖書を拠り所として、生きてきた意味、死の意味を説いておられます。つまらないと思ってきた自分の人生には価値があり、うまくいっていなかった人たちと和解し、死に意味を感じて命を閉じる人々の姿は美しいです。これから長い人生を生きていくあなたにも指針になることがたくさん書いてあります。自分で自分を愛せなくても、そのあなたを愛してやまない存在に出合えるかどうかが大切なことなのではないでしょうか。
質問者からのお礼
ご返信ありがとうございます
はじめての質問だったので
回答が頂けるか、不安だったのですが
こんなに早くもらうことができて
驚きつつ、とても嬉しいです。
ありがたいお言葉だったので、
まだ、おっしゃって下さったように
10代の自分には、もう少し
読み込まないとなかなか全てを
飲み込むことは難しいと
感じているので内容について
お返しのはできるのは
まだ先になりそうです。
でも、元気を頂くことができました。
もう少し楽観的に考えて
生きてみようと思います。
本当にありがとうございました!!